かわいいクマさん
※ふざけたタイトルですが、残酷&絶望展開ありの作品ですので、御注意ください
「すいません、たしかに熊が樹皮を剥した痕跡です。しかし、少なく見積っても10年以上前のモノです」
杉村良子は、衛星回線経由で自衛隊のレンジャー部隊員が送ってきた画像を見て、そう答えた。
元々は、大規模な地震や水害などが起きた時でも、インターネットへの接続を確保する為に打ち上げられた通信衛星だったが、ここ十数年は、熊害対策の為に山中に分け入っているレンジャー部隊が回線を占有しているような状態だ。
『そんな……馬鹿な……やっと見付けたのに……』
「頭上は確認されましたか? 熊が木に登って葉っぱや果実を食べた痕跡は? あと足下はどうですか? 熊のモノらしい糞は無かったですか?」
『いや、散々、確認したよ。でも、無かった』
現場のレンジャー隊員は、苛立ちと疲れが入り混じった口調で、そう答える。
「ですが……」
『文句が有るなら……あんたが、ここまで来て、熊の痕跡を探してくれよ』
言われなくても、自分で行きたいのは山々だ。
だが、本州各地で大規模な熊害が発生するようになってから、数年後、政府は熊が出没する可能性が高い山林への一般人の許可無き立ち入りを禁じる決定を下した。
それは、熊害以前から、ツキノワグマの生態調査の為のフィールドワークを行なっていた者達さえ例外では無かった。
いや、どうやら、インターネット上で、杉村のようなフィールドワーカー達が「かわいそうな熊を殺すな」と主張している@#$%どもだというデマが広まってしまい、むしろ、熊の生活痕を見付けるノウハウやスキルを持っている者達の方が山林への立ち入り許可が下りにくくなっている。
熊害が始まる直前にベテランだったフィールドワーカー達は……今や、若い者でさえ60前後。そして、何年も、山に入っていない。
ノウハウやスキルは錆付き、体力は落ち……そして、後継者は育っていない。
しかし……。
「すいません、周囲の撮影は続けて下さい」
『面倒くせえなぁ……前にも、そんな事言ってたけど、結局、何も判らなかっただろ。あと、悪いけど、そろそろ人里に下りる予定なんでな』
「大丈夫です。その間だけでいいので……お願いましす」
何かが気になる……。
山の植生が、杉村達がフィールドワークを行なっていた頃と違っている気がする。
地球温暖化などの気候の変化のせいか……それとも、熊が居なくなった思わぬ影響か?
だが、それなら……杉村は、これまで、何人もの人間が、何度も何度も何度も何度も繰り返し続け……だが、答が見付かっていない問いを脳裏に思い浮かべる。
山林に居る熊が事実上ほぼ全て駆逐されたのなら、人里を襲っている熊は、どこからやって来ているのだ?
「おい、例のセンセに映像は送り続けてるか?」
レンジャー隊の現場指揮官の古賀は、部下の海野にそう訊いた。
「いや、面倒臭いんで、やめましたよ。バッテリーももったいないし」
「だな……そろそろ、ライトを点けろ……まぁ、もうすぐ、最寄りの集落だ。今日は、そこの公民館を借りて泊まる予定……」
古賀が、そこまで言った時、ヘルメットのライトが……あるモノを照らし出していた。
「隊長……どうしました……?」
「お……おい……あれ……例のセンセから何度も写真で見せられた……その……」
「あ……あの……あっちの木にも……」
部下の1人である水野が別の方向を指差す。
周囲の木の上に有ったのは……熊棚と呼ばれるモノだった。
熊が木に登って、葉っぱや、木になっている木の実や果物を食べた痕跡……。
それが、何本もの木に有った。
「な……何でだ?」
どうなっている?
部隊員達の脳裏に、当然の疑問が浮かぶ。
何故、山林で見付からなかった熊の生活痕が、人里付近にこんなにも有る?
人里を襲っている熊は山から下りて来たもの……その前提が間違っていたのか?
「あ……あの……隊長……今日泊まる集落って、あっちの方角でしたよね……?」
部隊員の中でも最年少の佐久間が……最早、小便をチビる寸前と言った感じの口調で、そう尋ねる。
「そ……それが……どうし……」
「この時間に灯りが全然見えないって……不自然じゃないですか?」
『ねえ……昔、私達が『あんなかわいい熊を殺すなんて酷い』って役所にクレーム入れた、ってデマを立てられましたよね』
「うん……結局、誰のいたずらだったか、判らなかったけど、かなりの件数、本当にやったマヌケが居たみたいだね」
杉村は、昔の仲間の佐藤とビデオ・チャットで話していた。
『でも……何か……気になって調べてみたんですよ……』
「何を?」
『最近の若い熊ってホントにかわいい外見になってませんか?』
「え? いや……何、言ってんの?」
『あくまで、仮説なんですけど……昔、ソ連で行なわれた毛皮用のキツネを家畜化する実験の事知ってます?』
「あれだっけ……大人しくて従順なキツネを掛け合せていったら……後の世代になると、性格が大人しくて人なつっこくなっただけじゃなくて、人間から見ると、かわいく見える外見に変っていった、ってアレ?」
『ええ……そうです』
「それが、どうかしたの?」
『いや、熊害が起きる少し前の世代から、ツキノワグマの中でも、大人しい個体ほど子孫を残し易くなる環境の変化が起きてたんじゃないですかね?』
「自己家畜化ってアレだっけ?」
『ええ、まるで家畜用の動物のような性質を……飼い主も居ないのに、獲得した上に、それが種の存続に役立つ事が有る……その代表例が人間……』
「でも……」
でも……大人しい熊が増えれば増えるほど……熊害が酷くなっていく。
そんな事が有るのだろうか?
『この家も全滅です』
部下からの無線通信を聴きながら、古賀は絶望の闇に堕ちかけていた。
かろうじて、古賀を正気に繋ぎ止めているのは……指揮官としての責任……それだけだった。
今晩宿泊する予定だった集落は、熊によって、ほぼ全滅させられていた。
「住人は、どうなってる?」
『食われてます』
「隊長……何か変ですよ」
副隊長の田中が、そう言った。
「何がだ?」
「だって、ツキノワグマの体重って……重い奴でも……」
「余程の異常個体じゃない限り……せいぜい……200㎏か……」
「絶対に、集落1つ分の人間を食い殺せるなんて訳が……」
「でも、ツキノワグマは単独行動が普通……母子連れでも、4頭以上は、まず居な……」
いや……何かが変だ……。
たしか……熊害が広まり始めた時期に……有った筈……。
熊対策の講習の座学で教えられた……覚えが有る……。
『隊長、熊、出現、交戦許可……ぐえっ』
『こちらにも熊が……うわあ……何で?』
「な……何が起きてる?」
「わかりませ……」
グル……っ。
その時、熊の声……。
声がした方向に発砲。
グル……。
外れたらしい。
ヘルメットに付けられたライトから放たれる光が……走り去るクマの影を捕捉える。
「全員、一旦、安全な場所まで退避」
安全な場所ってどこだ?
そもそも、何人生き残っている?
それでも、古賀と田中は走り出し……一日中、山を歩き続けた疲労が足取りを鈍らせているが、それでも……気力を振り絞り……。
まるで……クマどもに誘導されている……。
そんな錯覚さえ感じる。
逃げ続ける古賀と田中の行く先々で、クマが現われては、唸り声だけあげて、すぐに姿を消した。
「あ……あそこって、今日、泊まる予定だった……」
「あ……ああ、公民館だな……、とりあえず、あそこに逃げ込むか」
古賀と田中は、よろよろと歩きながら……。
グル……グル……グル……。
周囲から、何頭ものクマの唸り声……。
そして……声がしない方向は……。
おかしい。
何かが、おかしい。
古賀の脳裏に、疑問が浮かぶ。
まるで、公民館の方に誘導されているよう……。
次の瞬間、公民館の方から4頭の熊が古賀達目掛けて突進してきた。
銃を構える暇さえなく……。
くうん……くうん……くうん……。
人間達を全滅させたクマ達は、お互いに甘えたような声をあげる。
人里付近で生まれ育ち……そして、山林とは違う環境に適応したクマ達……。
熊害発生初期に、母熊と逸れ、あるいは母熊を失ない、人里付近に居着いて生き延びた子熊の子孫達。
通常、ツキノワグマは群を作らない。例外は、人間に飼育され家畜化した場合のみ。
彼らは……いつしか……生存に有利な協調性を身に付け、わずかながら自己家畜化の方向に進化を始め……群を作り、そして、群で人間に対抗する事を覚えていた。




