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File:081 中華人民解放軍

メリケンサックが銀の軌跡を描き、風を裂きながら前崎に襲いかかる。


迎え撃つは、逆手に構えたナイフ。

一閃――交差はほんの刹那。


鍔迫り合いすら起きない。だが、頬にかすかな熱。

前崎の皮膚に、斜めの線が浮かぶ。薄皮一枚、裂かれた。


「ちっ!……避け損ねたか」


無言で刃を戻しながら、前崎が目を細める。

向かい合うケンは、ゆっくりと顔を上げ、感情の読めぬ瞳を向けてきた。


「さて、前崎様」


口元に冷たい笑みが浮かぶ。


「我々アダルトレジスタンスがここまで追い詰められたのは、初めてのことです。

 すべては、あなたが現れてからです」


「皮肉か? ある程度尽力したつもりだがな。

 で、何だ?その装備は」


「緊急起動型の自動換装ユニット。

 おそらく、私だけに許された装備です。

 特定条件下でのみ作動するよう設計されています」


そう言いながら、ケンは手を広げたり握ったりし、装甲の動きを確かめる。

まるで、新たな肉体との対話を楽しんでいるかのように。


そして、唐突に呟いた。


「――情報、漏洩していましたね」


「……何の話だ?」


「とぼけるのは、やめましょう。

 黒岩様との交戦時、彼は私の武装を事前に理解していた。

 “あれ”の対処法を、まるで教科書を読むかのように実行した」


前崎は口を閉ざしたままだった。


「情報源が誰であれ、我々の技術が流出しているのは確かです。

 だがその一方で、あなたはメディア関係者を何人か――“排除”している」


ケンの声は次第に低く、鋭さを帯びていく。


「さくらTVでも、サテライトキャノンの情報を伏せていれば、目的達成は容易だったはず。

 自らを犠牲にする必要はありますが……。

 それをせず、あなたは撃ち殺している」


「…………」


「――矛盾しています。あなたの行動は。

 国家に生き、国家に刃を向ける。それが、あなたです 」


ケンはゆっくりとメリケンサックを擦り合わせる。

金属と金属の擦過音が、静寂を裂いた。


「あなたの中に、“揺らぎ”がある。

 我々か、国家か。敵か、味方か。

 あなた自身が決めかねている」


火花がひとつ、宙を舞った。


「では、問います――あなたはどちら側につくおつもりですか?」


「……どっちだろうな」


前崎が低く呟き、ナイフを握り直す。

刃の重みが、覚悟の輪郭を際立たせる。


「だが一つ確かなのは――お前は許す気はないんだろう?

 どちらにせよ、お前は俺を殺しに来る。

 なら、俺は迎撃するだけだ」


「裏切り。

 我々の中で、最も重き罪とされているものです」


ケンの眼差しは、もはや一片の迷いもなかった。


「あなたの行動は、もはやそれに準じる。

 私がボスの代行者としてあなたを裁きます。

 あなたの罪は、もはや消せませんから」


強く、擦り合わせた。


“ガチッ”


火花が再び弾け飛ぶ。


ケンは左手をわずかに動かす。

その掌の上に、“ボタン”が現れた。


「これ。何かお分かりですか?」


「……さあな」


「あなたの体内に埋め込まれた爆弾、その起動スイッチです」


静寂が流れた。


前崎の眉がわずかに動く。

だが返答はない。沈黙のまま、ナイフをわずかに構え直した。


「このまま片腕を奪います。よろしいですね?」


「嫌だって言ったら、恩赦でもあるのか?」


「いえ。

 その場合は片腕を奪った上で、アダルトレジスタンス本部へ送還。

 そののち拷問を施し、最終的に“メタトロン”の餌にします。

 記憶は、私が責任をもって引き継ぎますので――ご安心を」


前崎の目が細くなった。

冷笑のような吐息とともに、刃を振りかざす。


「そうか。なら、やってみろ」


瞬間、ケンの親指がスイッチを押し込んだ。


カチリ――

乾いた音。


……だが。


「爆発……しない?」


ケンの目がわずかに揺れる。


脳裏をかすめたのは、あの男の顔――アレイスター。


「……取り除かれていたんですね。あの方に。

 ――また勝手な真似を」


ボタンを地面に叩きつけた。無言の怒りを乗せて。

その隙を突き、前崎がナイフを閃かせる。


だが――

キィン!


鋼を裂く音とともに、その刃は弾かれた。


ケンの肘から突き出ていた、銀の刃に阻まれて。


「なんだそりゃ。初めて見る戦い方だ。

 スパーリングでは見なかったな」


「私も、誰かに見せるのは初めてですので」


ケンが反撃に転じる。

ナイフを弾き飛ばし、肘、膝、足――鋭利な外骨格を活かした肉弾戦。


前崎も二本目のナイフを引き抜き、応戦する。

だが――腹を狙う角度がない。

肘を軸にした奇妙な軌道、防御と攻撃を一体化させた動き。


わかる――これは。


「……ムエタイか? いや……シラット?」


「ご名答です」


ケンが膝を跳ね上げる。

そこにも、刃が仕込まれている。


前崎はすぐさま距離を取った。


シラット。

東南アジアに伝わる戦術的武術。

ムエタイが“剛”ならば、こちらは“柔”――しなやかさと変幻を特徴とする。


空気が張り詰める。

互いに、再び間合いを測り直した。


「……お前、東南アジア出身か?」


「ええ。そうですね」


ケンは自らの仮面に手をかけ、砕いた。


現れた顔には、焼けただれた皮膚。

鼻の形は崩れ、頬には赤黒い瘢痕。

判別不能なほどに変形した顔面――その異様さと、笑みが重なり、妖しさを増す。


「この顔です。

 国籍どころか、人種の特定も困難でしょう?」


不気味に、口角が吊り上がった。


「さて……私個人の話をしましょうか。

 あなたと話すのは、おそらくこれが最後になりますから」


「俺を殺せると? 前に何があったか、忘れたわけじゃないだろう?

 その武器は初見のアドバンテージで勝つ武器だ。

 ネタが割れたお前に勝ちはない」


「ええ、ごもっともです。

 ですが、今回の話は――もっと別のことです」


ケンの目が細まり、神経外骨格の出力が唸りを上げる。

全身の装甲がわずかに震え、空気を揺らす。


「……私の顔を見た人間は、原則として全員“始末”しています」


その言葉と同時に、動いた。

刹那――

目が追いつくよりも早く、空気が割れる。


掌底。


直線的に突き出された掌が、前崎の顔面を正確に捉えにくる。

カンフーの基本にして、決定打。

メリケンサックがグローブのように変化する。

だが、それで終わらない。


そこから――

流れるように変幻する動き。


詠春の連打、螳螂拳の奇襲、太極の螺旋、華山派の鋭い刃――

ひとつひとつが別流派の殺人技。

それらが“切り替え”ではなく“融合”されて、無尽蔵に放たれてくる。


メリケンサックだったものがその武術を放つのに最適な形状変化をし続ける。


打撃、打撃、また打撃。

柔と剛、速と重、静と動――武術の系統の矛盾すら利用して襲いかかる連撃の波。


思い出す。坂上のことだ。

彼の動きも異質だった。

だが――これは次元が違う。


坂上の技は自分の技術を高めていった先にあるものだった。

だが、今のケンの技は自分の延長上にはない。


何より技と技の“つなぎ”に理がない。

常識ではあり得ないタイミング、角度、重心移動――

なのに破綻がなく、むしろ予測不能で対応が困難。


文字通り技の桁が違う。


それでも目で追えるのはこの武術の教育機関に心当たりがあるからだ。

この異常な組み合わせ――

ただ一つ、これを教え込める軍がある。


「……中華人民解放軍、か?」


「お見事。

 そこまで辿り着いた方は初めてです」


ケンが、満足げに笑う。


「なぜ東南アジア出身のお前が使えるんだ?」


「習近平が崩御して以来――中国という国は内側から崩壊しました。

 少数民族55部族が、漢民族に対して一斉に反旗を翻したのです」


口調は淡々と。しかし、どこか乾いていた。


「その余波で、中国政府は新たな経済圏確保のため、東南アジア――ベトナム、タイ、フィリピンにまで手を伸ばしました。

 あなたも、覚えているでしょう?」


「……ああ。あの侵攻は地獄だったそうだな。

 日本が攻められなかったのは奇跡だった」


「ええ。私の故郷も、例外ではなかった。

 旗が塗り替えられ、家族とは強制的に分断され

 ……私は主人に飼われました(買われました)


ケンは、己の肉体を見せつけるように一歩踏み出す。

まるで、これがその地獄を生き抜いた結果だとでも言うように。


「――私の頭には、中国特殊部隊が培ってきた全戦闘技術が叩き込まれています。

 私の故郷を潰した名も無き人民解放軍30人の記憶を抽出しました。

 メタトロンの力を“完全に引き出せる”数少ない適合者の一人です」


ケンの声は静かだった。だが、内容は重い。圧がある。


「本来、メタトロンの知識転写は、時間をかけて行うものです。

 一気に流し込めば、脳がショートする。

 人格が崩壊し、精神が焼き切れる。

 だから私は……何年もかけて、少しずつ染み渡らせてきたのです。

 毒を、祈るように服み続けるようにしてね」


その言葉と同時に――ケンの体が脈動を始めた。


「ただ4年の歳月をかけても30人分の記憶など処理しきれなかった。

 だからこそ、()()()()()()()()()()()()()


皮膚の下で蠢く筋肉。浮かび上がる血管。

金属のラインが青白く光る。

骨格そのものが軋みを上げ、体格が徐々に変化していく。


まるで“本来の形”に戻ろうとしているかのように。


「レジスタンス加入前、私は――心と脳に、深刻な損傷を負っていました。

 感情の制御もできず、記憶も断片的で、名前さえ曖昧な状態。

 しかし、ルシアン(ボス)のある仮説に賭けたんです。

 他人の脳の知識を移植し、失われた回路を刺激することで“別の神経”で代替できるのではないか――と」


ケンの背が伸び、肩幅が広がる。

顔の形も歪みが治っていき、より鋭利な輪郭へと変わっていく。

目は深く沈み、皮膚には装甲のような光沢が宿る。


子どもだった面影は、どこにもない。


そこにいたのは、戦場を渡り歩いた兵士――いや、“人殺しの化身”だった。


前崎は呟く。


「……それが、メタトロンの“進化”か?」


「ええ。

 “肉体の形状記憶”とでも呼びましょうか。

 顔も声も、体格も。

 すべてが、私にとって最適な“殺しの器”に再構築されたんです。

 もう子どもとは私を見ても言えませんね」


その場の空気が変わった。

理屈では説明できない、圧。

科学では測れない、人の“枠”を踏み越えた存在感。


進みすぎた科学は魔法と区別がつかないという。

まさに今見ているのがそれだ。


少年に降魔術か何かで、別の何か恐ろしい生物が降りてきたかのようだ。

先ほどいた少年はもういない。


ケンだったものは一歩、前に出た。


「――さあ。

 あなたを殺して、最高指導者に捧げましょう。

 偉大なる中国の贄となれ、()()

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