File:077 Perfect Cascadeーパーフェクト・カスケード
ホログラムによって再構成されたルシアンの肉体が、淡い青白い光をまとって現れる。
その顔には怒気が滲んでいた。
冷たい怒り、理性と憎悪が静かに結晶化した表情だった。
ソウとケンの部下、リュウジとショウタをかろうじて回収できたが、状況は最悪だった。
アレイスターと国家権力が手を組んだ。
その事実ひとつで、盤面はすべて崩れ去ったに等しい。
カオリが何か言いたげにこちらを見ていた。
だが、ルシアンは一瞥せず歩き去る。
今は彼女の感情などどうでもいい。
それほどに、彼は苛立っていた。
『レスターめ……!』
その名を吐き捨てるように呟く。
あの男が――あの理屈だけの化け物が、まさか国家を味方に付けるとは。
アレイスターの存在そのものが想定外だった。
だが、それ以上に“国”がその手に乗ったことに、底知れぬ短絡さと絶望を覚える。
真実を話すのであれば、一ノ瀬が判断を迫られたというのが真相だ。
だがルシアンにとって、そんな経緯はどうでもいい。
「日本」とは、結局その程度の論理で動く。
理性より保身、論理より感情。
アレイスターが狙っているものは明白だった。
ルシアンの記憶、技術、そして――器。
『本当に手段を選ばないんだね、君は……』
誰もいない空間に、ぽつりと声を落とす。
静かな語りかけは、怒りというより諦念に近かった。
「そうか……わかったよ」
再び独白する声は、徐々に鋭さを帯びていく。
「なら、こちらも“切り札”を使わせてもらうよ。
本当は、できるだけ使いたくなかったんだけどね」
SGの最深部――誰も知らない、ルシアンだけの聖域。
ケンすらこの場所の存在を知らない。
アクセス用のパスコードを手入力し、幾重にも張り巡らされたロックを解除する。
何年も封鎖されていたであろう鋼鉄の扉が、重々しく開いた。
中から吹き出すのは、凍てつくような冷気。
ここはSG内でも最もエネルギー消費の激しい区画だ。
だが、エネルギーは事実上無限――節電の概念は存在しない。
唯一我々が「もったいない」と感じるのは、ジョンが作った飯を残したときくらいのものだ。
しかもその対象はジョンの労力に対して……だ。
内部には、無数の光点が点滅する。
見た目はデータサーバーに似ているが、すべてが“記憶”を蓄えた装置だ。
記憶媒体の容量は桁違いだった。
1TB?10TB?そんな単位では語れない。
ここで人間のメモリーについての話をしたい。
人間のゲノムデータは、およそ3GB。
生涯の会話記録で約20TB。
生涯の視覚・聴覚・触覚といった感覚情報――最大で1000TB。
記憶・思考・性格などを含む人格モデルは、数百TBから数PB。
だが、最も容量を食うのは
――脳の接続構造=コネクトームである。
コネクトーム。
それは、人間の脳内に存在する860億のニューロンと、100兆を超えるシナプス結合のすべての配線図だ。
その情報を、物理的に、完全に保存するためには
――少なくとも15PB、場合によっては20PB近い容量が必要になる。
だが、人間に必要な情報とは何か?
それを“AI的合理性”で選別し、不要なノイズを削ぎ落とし、圧縮し、再構成すればどうなるか。
シミュレーション上の理論値としては15TB未満。
つまり、“人間”の完全なコピーは、理論的には2060年のハードディスク1台分で足りる。
この部屋は、その実証結果だ。
ここには、ルシアンが生前に蒐集したあらゆる知識――
歴史を動かした扇動家たち、思想家たち、軍略家たちの記憶と思考の結晶が蓄積されている。
それも1000PBなどでは比較にならないほどに。
そして、彼自身の研究成果のログと心理プロファイルも、欠けることなく格納されていた。
さらには、カオリに密かに命じていたゲノム再生計画も、すでに完了していた。
この部屋の奥――
祭壇と呼ばれる冷凍保存装置の中に、それはある。
――ルシアンの生前の“肉体”。
骨格から臓器まで新たに再構成され、完全に同一のゲノムで復元された器。
その頭部には、幾重にも神経接続端子が張り巡らされたメタルヘルムが装着されている。
意識や情報を送受信するためのものだ。
ホログラムの少年の姿が、ふっと消える。
代わりに――
祭壇の中の“本物のルシアン”が、ゆっくりとその瞼を持ち上げた。
呼吸が、浅く震える。
声は、出ない。
長い沈黙の眠りが、発声機能を奪っていた。
それでも、彼は喉を震わせ、懸命に言葉を紡ぐ。
「……き……ど、う……」
起動。
その一言を、機械は確実に“命令”として認識した。
即座に、地下セクションへと暗号化された信号が流れる。
そこには、外界から完全に遮断された培養室――
鋼鉄と冷却ガスに包まれた、禁断の兵站施設が存在していた。
その冷たい薄闇の中に、同じ顔をした少年の肉体が並ぶ。
それも一体や二体ではない。
――三千体。
それぞれの肩に数字が刻まれていた。まるで管理された製品のように。
ルシアンが有する人的資産の、最終形態。
「Perfect Cascade」
そう名付けられた少年兵たち。
彼らは全員、ルシアンの遺伝情報と神経写像をベースに作られた高精度クローンであり、
それに肉体はアスリートから軍隊、偉人といった人間に至るまで様々な遺伝子が組み込まれている。
かつ、生体OSとして脳内には縮約型コネクトームAIが埋め込まれていた。
それにより身体構造は個体ごとに微妙に異なる――
筋肉の付き方、骨密度、神経反射速度に至るまで、極限まで多様性を持たせた“戦闘特化個体群”。
これは単なる複製ではない。
「進化したクローン兵」
それが、彼が自らの手で"作り上げた子どもたち”だった。
動き出す子供たちを見て笑ってしまう。
「やはり子どもはいい。
何にでもなれるし、何より素直だ」
やがて、培養器から次々に出てくる少年たち。
冷却蒸気が立ちこめる中、彼らは無言で装備を装着し始めた。
強化外骨格、神経同調アーム、無反動ライフル。
しかし、その武装は必要最低限。
戦場に行くにはちょっと物足りない。
さらに言えば見た目はあどけない。
だが、身体は成人と比べても変わらず筋肉質だ。
そして、全員がルシアンに似ていた。
中央で、ホログラムのルシアンが静かに言葉を紡ぐ。
「――行こう。僕の最高傑作たち、Perfect Cascadeよ」
その声には、焦燥も怒りもなかった。
あったのは、冷ややかな覚悟と殺意だけだ。
「恐らく、アレイスターがSGの構造を国に漏らした。
ならば、ここに籠もる意味はない。
いずれ場所は割れる」
だったら、簡単だ。
――こちらから叩く。
「地獄を造れ、子どもたち。
この国の破滅の未来を僕らが白く塗りつぶす」
「こんな場所があったなんて……」
カオリがルシアンを追って地下施設の目の前まできた。
扉が開け放たれ、冷気がカオリの肌を襲う。
扉の中を見た瞬間、視界を貫く光景に目を奪われた。
自分をすり抜けていく無数の少年たち。
その全員が、驚くほど同じ顔をしていた。
顔立ちは幼い。
だが、筋肉の付き方や目の光は兵士そのものだった。
「これは……クローン兵?」
カオリが呟くと、後方から声がした。
『その通りだよ、カオリ』
怒りが静まりつつあるルシアンの声だった。
その声には、どこか安心感すら混ざっていた。
いつもとは違う。
ホログラムではなく、完全な肉体である。
『――どうせ、ジュウシロウのことを案じてるんだろう?
安心して。取り戻すさ。必ずね』
それは、今までのルシアンにない“感情のにじみ”だった。
この数ヶ月、アダルトレジスタンスは敗北続きだった。
国会議事堂の襲撃:前崎の予想外の活躍により妨害。
サクラテレビ襲撃:サテライトキャノンによりエアとマルドゥークの存在が
漏洩し、ケンが捕縛。
東京拘置所強襲:アレイスター乱入により、シュウ、ジュウシロウ、
前崎が捕縛される。
成功と言えるのは、シンフォニア制圧とレインボーブリッジでの前崎捕獲のみ。
そして今、SG本拠地すら暴かれようとしている。
『もう、これ以上の敗北は許されない』
だからこそ、ルシアンが持てる最終人型兵器を動かす。
アレイスター対策も、すでに終えている。
兵数は少ない?問題ない。
1人で1000人を屠る、そのために最適化されている。
装備が貧弱?問題ない。
敵から奪えば済むだけのこと。
最初に襲撃するのは――武器供給の拠点。
そのターゲットには、かつて前崎が装備を調達した闇マーケット「Mr.オスカー」のショップも含まれていた。
この先、都市に何が起きるのか。
子供の神となったルシアンが神兵を連れて日本に降り立った。
解説
1PB = 1000TB = 1,000,000GB
GB
「日常生活レベル」のデータ容量
1GB=映画(HD画質)1本分程度
2〜8GB=一般的なスマホゲーム・アプリ
64〜256GB=スマホやUSBメモリ、SDカード
500GB〜=一部のノートPCやゲーム機本体容量(旧モデル)
TB
「本格的な保存・バックアップ」に使われる大容量
1TB=NetflixやYouTube用に大量の動画編集する人の外付けHDD
2〜4TB=ゲーム機(PS5、Xbox)やPCのストレージ
8TB〜=写真家・動画編集者のバックアップ用HDD
10〜100TB=中小企業のデータ保管サーバー
PB
「企業・国家レベル」の超巨大データ。
1PB=約200万本のHD映画(約500GB)
数PB=YouTubeに1日にアップされる動画の合計容量
10PB〜=気象庁やNASAの観測データ、遺伝子解析、AIトレーニングデータなど
数百PB=Google、Amazon、Metaなどのデータセンター
人間の頭ってすげぇ!




