File:076 神という象徴
「……意味が分からねぇ」
神になれ。
そんな妄言に前崎は苛立ちを抑えきれず、声に低い震えを帯びさせた。
「神になりたいのはお前だろ。
お前は“神”になりたいがために、
オリガルヒを含めた反体制派を次々と始末してきたんじゃないのか?」
『すべては――世界平和のためさ』
アレイスターの声は静かだが、その底に宿る覚悟は揺るぎなかった。
『この国は、制度と建前に蝕まれているだろう?。
表向きの法と道徳、報道と教育、すべてが“変化”を拒む防壁に成り下がった。
腐敗を指摘すれば、異端者扱いされる。
「いい人」になることを義務付けられたホワイト化する社会の反動だ。
そんな“現状”に対して、暴力以外の選択肢が本当に残っていると思うか?』
前崎は、しばし言葉を失った。
坂上と一ノ瀬がその沈黙の意味を探るように彼を見つめる。
「……前崎、公安のお前がその考えに賛同するのか?」
「前崎さん……?」
そして――
前崎は静かに、だが確信を持った声で答えた。
「選択肢としては、否定できない」
その一言に、坂上の目が見開かれ、怒りがこみ上げる。
「馬鹿な……!
歴史を見ろ! 暴力で支配した社会がどれだけの破滅を招いたか!
ヒトラーしかり急激な社会変化は国を壊す!
俺たちは今、戦後最も平和な時代に生きてるんだぞ!
なぜそれを、わざわざ壊すんだ!」
「……“平和”じゃない。“現状”だ。
俺たちが守っているのは、変化を拒む社会構造であって、人々の幸福じゃない。
腐った現状をそのまま守るなら、いっそ壊す方が希望がある。
そう思うことが……間違ってるとは言い切れない」
「……お前ほどの人間でも、そう思うのか……?」
「……思うさ。
ただし、テロリズムを肯定する気はない。
だが、奴らを“道具”として使うことで――
俺たちの手で、未来を切り拓ける可能性はあると感じた」
『やはり、話が早い』
アレイスターは湯呑に口をつけながら、どこか達観したような、あるいは神にすら似た視線で前崎を見据えた。表情には、愉悦とも敬意とも取れる微かな笑みが浮かんでいる。
『私はね、民主主義も、資本主義も、もう限界だと思っているよ。
票で物事が決まる時代は、既に情報操作でなんとでもなる。
貨幣の価値が富を象徴する時代も、幻想だ。
政治家が国を導くのではなく、制度そのものが国家を構築する。
――そんな時代が来るべきだと思っている。』
「理屈は通ってる。
だが――制度を設計するのは、結局“人間”だろ」
『まったく、その通り。そこが問題だ。
だから私は考えた。
人間の上に立つ“象徴”が必要なのだと。
基本的にAIが統治を行う。
その判断を“正当化”する顔――それが君だ、前崎。』
「……象徴?俺が?」
『キリスト教におけるイエス。
仏教における釈迦。
イスラムにおけるムハンマド。
宗教も革命も、常に“顔”を必要としてきた。
全員等しく神の声は聞こえない。
だが、神の代行者の姿は見える。
君がその“顔”になれ』
「――つまり、“神になれ”ってことか?
なら、ルシアンとお前の違いは何だ?」
『まるで違う。あいつは暴力によって社会を崩壊させ、
混沌の中に新秩序を打ち立てようとしている“破壊者”だ。
君はその破壊者を討ち、民衆を導く“建設者”となる。
どちらに人々が従いたいかは……明らかだろう?』
前崎は皮肉を込めた笑みを浮かべる。
「……なるほど。お前が“神”になれない理由は、それか。」
『そうだ。私には“正しさ”はある。
だが、“カリスマ”がない。
私は理屈で人を導けても、感情で人を動かせない。
だが君は違う。
君は戦い、苦しみ、迷い、それでも正義を求めてきた。
そんな君だからこそ――“神の座”に足る。』
アレイスターの声に、熱がこもる。
『今この瞬間、君が私に与すれば、君は“裏切者”ではなく“先見の明を持った英雄”として記録される。
ルシアンの狂信と革命を止め、歴史を正す救世主として――名を残すんだ。』
前崎は黙ったまま、アレイスターを鋭く見据える。
『どうだ? 手を組まないか?』
「……お前のメリットは?」
アレイスターはまるで機械のように即答した。
『ルシアンの技術が欲しい。それだけだ。
SGに行き、あらゆるデータと装置を奪い取る。
そして、その力を用いて――真の世界平和を実現する。』
前崎は鼻で笑った。
「詐欺師の口上みたいだな。
その衣装と顔で言われると、余計に信用ならねぇ。」
『これは趣味だ。中身を見てくれ。
私は本気で世界を変えたい。
だからこそ法の外に立ち、制度が裁けぬ悪を処理してきた。』
「自分に酔ってるだけじゃないのか?
SNSで炎上させて“正義マン”気取ってる奴と変わらねぇぞ。」
アレイスターの目が、わずかに光を帯びる。
『違う。私は“快楽”のために人を裁いてるんじゃない。
制度が腐ってるから、その外で動くしかなかった。
それをいうなら君たち警察組織が捕まえられるのは、“捕まえられる悪”だけだろう?』
その言葉は、刃のように前崎の胸を貫いた。
前崎の頭に、ある記憶がよぎる。
かつてのショッピングセンター占拠事件。
捕らえた人間の一人。
国際問題になるため、どうしても逮捕できなかったアネア人の一人。
正義は時に、現実と折り合いをつけねばならなかった。
正義と現実のはざまで、彼は確かに妥協を選んだ。
『だからこそ、“神”が必要なんだ。
誰にも忖度せず、純粋な合理性と倫理の上で裁きを下す存在が。
AIがその頭脳となり、君がその“顔”となる』
ディストピアか、ユートピアか――
判断はつかない。
だが、一つだけ、前崎の中で確信が芽生えていた。
「……少なくとも、今よりマシかもな。」
『そう。
歴史を変えてきたのは、いつだって“破壊と再構築”――
革命だよ、前崎。』
アレイスターは、笑った。
その笑みには、どこか神の祝福を受けたような神々しさと、同時に救いようのない狂気が同居していた。
「わかった。手を貸してやるよ」
『OK。それじゃ――とっておきのプレゼントを』
軽く指を鳴らすと同時に、彼の指先から鋭い閃光が走る。
それは、まるでレーザーのように一直線に前崎の腕を貫いた。
「うおっ、熱っ!? なにしやがる!」
思わず身を引こうとしたが、拘束されていて動けない。
しかし――痛みがないことに気づくのは、ほんの一拍後だった。
『君の腕に埋め込まれていた爆弾――無効化しておいた。
あの熱は、一瞬の通電による感覚の錯覚さ。
中の回路をショートさせただけだから、あとは外科的に摘出すれば安全だよ』
坂上が、目を見開いて言葉を失っていた。
「そんなこと……どうやって……?
お前は何者なんだ?」
『前者は経験さ。
世界中を回って、数えきれないほどの“仕掛け”を見てきた。
後者はアレイスター。
ただの情報の塊だよ』
「前者は本当に世界平和のためか?
これ以外にもルシアンと同じく兵器を携えているはずだ。
兵器で世界平和を語るのか?」
皮肉めいた前崎の問いに、アレイスターはあくまで涼しげに答える。
『もちろん。
“世界平和の名のもとに暴力を振るう”なんて構図には与しない。
必要なら、僕は武器も使う。
だがそれは、思想を守るためだ』
「一人で戦うつもりか?」
『いや。僕には味方がいる。
10億……いや、これから30億人に増えるはずだ』
「そんな都合のいい妄想あるかよ」
前崎が呆れ気味に吐き捨てる。
『現実に“物理的な味方”はいないかもしれない。
でも“思想”は人を動かす。
私の思想に共鳴する者はすでにいる。
私は彼らと共に歩く』
「で、どうやって世界を変える気だ?」
アレイスターの目が鋭く光る。
『単純明快。アメリカを――“落とす”。
それが鍵だ』
その一言で、空気が一変した。
部屋の温度が一瞬で凍りついたかのような沈黙が流れる。
「……ルシアンもそうだが、お前らはどうしてそこまでアメリカを敵視する?」
『理由は単純だよ。
あいつらは世界を“自分たちの理屈”で支配している。
白人至上主義――それは今も形を変えて生きている。
僕は、日本を、アジアを、世界の人間の尊厳を守りたい。
それだけの話だ』
「……白人のいない世界を作るってことか?」
『違う。“飼い慣らす”んだよ』
アレイスターの声は、あくまで静かで、冷たい。
『彼らは自分たちを“選ばれた支配者”と勘違いしている。
だからこそ、自分たちだけが富と情報を独占し、正義を語る。
そんな構造――許されていいはずがない』
「だが、アメリカは多民族国家だ。
白人だけが悪いとは限らない」
『それでも“トップ10の富豪”は、今も全員が白人だ。
偶然か? いや、構造の必然さ』
アレイスターは一言一言を、刃のような確信をもって突きつける。
『彼らは、既存の資本主義に守られた“特権階級”だ。
そのシステムの中では、絶対に勝てない。
だからこそ、制度そのものを壊すしかない。
君だって――永遠に“歯車”のまま生きるのは、嫌だろ?』
アレイスターは語りながらも、どこか“確信”だけを見つめていた。
続けて言葉を重ねる。
『それだけじゃない。王族たちもそうさ。
アラブのオイルマネーも、ここ10年で崩壊した。
石油が“代替可能”になった瞬間、価値は急落した。
中国も同じ。
共産党に逆らえば“粛清”。
アリババの創業者がどこに消えたか――考えてみるといい。
まともな競争なんて、もうこの地球には存在しない。
陰謀論でもなく、この世に残っている財閥や名家はほとんどが白人だ』
「…一理あるな」
前崎は、皮肉まじりに漏らした。
だが否定の色は、薄かった。
『僕らは白人の作ったレールの上を走らされているだけなんだ。
そして、“そこにしか出口がない”と思わされている。
ならば、壊して出るしかない。
その外にこそ、本当の自由がある』
その口調には、理想主義の熱と革命家の狂気が同居していた。
『……私の国は、あの構造に潰されたも同然だった。
これは、復讐だ。
だが同時に――正義でもある』
その言葉に、前崎が眉をひそめる。
「…にしても一ノ瀬。
なんで俺より先に、こんなヤバい奴と組んでんだ?」
「彼のほうから私に接触してきたのです。
“前崎さんと直接話をさせてくれれば、アダルトレジスタンス壊滅に協力する”と。
それに……坂上さんたちの活動資金も、彼が支払ってくれました」
視線を向けられた坂上は、しぶしぶ頷いた。
「……なんだお前。
資本主義を否定しておきながら、金は持ってんのか」
アレイスターはふっと口元を緩めた。
『“オリガルヒ”たちから、“再分配”してもらっただけさ』
「ただの盗人じゃねえか!!」
『悪党から盗んだカネなら、誰も困らないだろ?
あれは“ブラックマネー”――犯罪で得た金だ。
それに僕を取り締まる法律も、逮捕する国も存在しない』
「……どういう意味だ?」
『私は、“実体を持たない存在”だ。
生物学上、人間ではないのでね。
そしてただの情報の塊である私に誰も触れなれない。
だから法律も、国家権力も、僕には届かない。
ここにこうして“存在”していても君たちは私に無力だ』
そのとき、一ノ瀬が声を潜めて言った。
「それだけではありません。
彼は、警視庁の内部システムにまで侵入できる力を持っています。
協力を断れば――“重大な情報漏洩”や、“システム妨害”も辞さないと、そう言われました」
「……つまり、脅迫か」
前崎の声には怒りと、同時に理解が滲んでいた。
ルシアンすら脅威だと思っていたのに――それ以上が現れた。
一ノ瀬の判断も、無理はない。
「…協力せざるを得なかったってわけだな」
「えぇ……」
一ノ瀬は、わずかに目を伏せた。
そのときアレイスターが、軽く手を挙げる。
『――あ、そうそう。ひとつ連絡事項』
「?なんだ」
『ルシアンが、また動き出した。
攻撃を仕掛けてくる可能性が高い』
そう言ってアレイスターが画面を切り替えると、波長が激しく乱れたレーダー映像が表示された。
混乱の果てに現れた新たな乱――
戦いは、まだ終わっていなかった。
仏教に神はいないのでご注意を!
話の流れ的に入れることができませんでした!