File:006 宣戦布告
『報告。敵影30。うち15名は光学迷彩を使用し、外周に潜伏中』
一ノ瀬の〈テレパシーカフス(念話)〉からの通信が静かに流れ込む。
──脳波を直接音声信号へと変換する軍用インターフェース。
声帯を使わず、どんな環境でも意思疎通を可能にする通信装備だ。
光学迷彩を看破したのはサングラス型のサーモグラフィによるものだった。
『東側玄関に2名。ずっと同じ位置にいるため、見張りだと思われます』
東雲の声が重なる。
緊張を抑えきれない息遣いが、微かに伝わってきた。
『……少年兵が使ってるのは、ゼロディア・インダストリーズ製の「アークネイル S-4020」です。
電撃で神経を麻痺させ、毒針で動きを封じる非殺傷仕様のはずですが──出力リミッターが解除されており、
電撃は完全に致死域。撃ち方次第では制圧じゃなくて即死を狙えるレベルです』
山本がモニターを切り替えながら報告を続けた。
『ただし、防具は全員分が正体不明。
材質・構造ともにデータベースに未登録で、企業製とも一致していません。
現時点での出所は不明です』
息を整えながら、次の情報に入る。
『中央の2人については、武器すら特定できていません。
ただ、構えと銃身の挙動から見て、高出力の散弾系──中距離対応のショットガンと見られます。
単体標的というより、面制圧型。出力次第では壁ごと吹き飛ばすレベルの威力があります。
さらに、小太刀のような近接武器も携帯しているため、接近戦への対応もあり得ます。注意を』
山本の手は冷静だったが、口調の端に微かな揺れがあった。
その直後、黒岩が山本のスキャンデータに基づいて補足する。
『中央の1体と、周囲5体は高精度ホログラム。
熱、影、質量まですべて再現されていますが──実体はありません。
ARタグで識別中。識別フィルターを全員に送信』
視界の中で、灰色に色分けされた偽装兵のシルエットが浮かび上がる。
『高宮、異常はあるか?』
『国会議事堂屋上、異常ありません。
スナイパー部隊がまもなく到着。引き継ぎ次第、自分も支援に回ります』
報告が出揃った。
情報は統合され、突入に向けた最終判断の段階に入る。
前崎は目を閉じ、呼吸を一つ整える。
『最後に──奴らは“子ども”ではない。国家に敵対したテロリストだ。
……躊躇するな。確実に仕留めろ。20秒後に本任務を開始する』
応答はなかった。
誰もが、その言葉を胸に沈める。
──沈黙が、戦場を満たしていく。
濃く引き伸ばされた20秒間の中で脳裏に浮かぶのは、かつて担当したアネア人による事件。
──あれが本当に最善だったのか?
思えば思うほどもっといい手はあったのではないかと思う。
誰もが救える最善の手段が。
こういう時に考えるのは決まって不安な時だ。
後悔に意味はない。
これらはノイズだ。
今、必要なのは“作戦の遂行”だけだ。
前崎は、静かに“スイッチ”を押した。
アスリートが「ゾーン」や「フロウ」と呼ぶ極限集中の状態──
それは意図的に入ることができる。
訓練された者にとっては、ルーティンと呼吸ひとつで再現可能な“心の技術”だ。
だが、スポーツと戦場には決定的な違いがある。
──ここには、“死”がある。
瞬時に思考の速度を下げる。
瞳孔が開き、視界が広がると同時に、全周囲の動きがスローモーションのように流れ始める。
呼吸と心拍を一致させる訓練は、公安やSPでは初期段階で叩き込まれる。
「危機下でも呼吸で心拍を制御しろ。心拍は照準、照準は生存率だ」
かつて教官がそう言った。
怒りも焦りも排除し、反応系の神経伝達だけを残す。
思考も感情も削ぎ落とし、命令系統だけを残した最高の“Killing Machine””へと変わっていく。
──それはゾーンやフロウの“上位互換”。
意識を保ったまま、人格だけを凍結する。
前崎の目から光が抜けた。
脳波がα帯からθ帯へと沈み、時間感覚が歪む。
一秒が、十秒に感じられる領域。
唇がわずかに開き、喉奥の筋肉が緩む。
舌の力が抜け、唾液が無意識に頬を伝って垂れる。
これは、訓練によって獲得された“生体的沈静”のサイン。
身体が極限まで脱力し、感情の回路が遮断される。
呼吸と心拍がリズムを合わせ、視野が一点に集中していく。
──Complete.
誰よりも静かに、誰よりも速く、誰よりも冷たく殺せる状態。
それが前崎の“作戦開始前の起動式”だった。
これが最高の脱力。
──Kill them all
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投げ込まれたのは、特殊調合の閃光音爆弾。
しかも、4か所同時。
人間の適応閾値をはるかに超えた轟音と閃光が、四方から共鳴するように炸裂し、議場全体を裂いた。
光が爆ぜ、音が割れ、空気が揺らぎ、床がひっくり返るような感覚。
一瞬にして、光、音、重力──あらゆる感覚が“裏返った”。
悲鳴が飛び交う。誰のものかもわからない。
議員たちは耳を押さえ、目をつぶり、無様に椅子を倒して転がる。
「何が起きた!」「誰か、助け──ッ!」
怒号、悲鳴、絶叫、嘔吐音──ありとあらゆる音が混ざり合い、空間が“叫び”で満たされる。
議員のひとりが足をもつれさせて転倒し、別の男がパニックで机に頭を打ちつける。
スーツの女が錯乱して前の席にしがみつき、ドミノ倒しのように他の議員を巻き込んで倒れこむ。
聴覚と視覚が機能しない世界で周囲から怒号が飛ぶ。
眼球を焼く閃光と、脳を揺さぶる爆音の余韻がまだ残る中、大人たちは“地獄絵図”の一員と化していた。
同時に、子供も反射的に身を縮め、叫ぶ者、怯える者、気絶する者、銃を乱射するものさえいた。
──その中で、ただ一つの影だけが真っすぐに“殺気”を放ちながら降下してくる。
空中。
前崎だった。
(…Two irregularities. Prioritize termination)
爆発のタイミングに合わせて、空間の死角から飛び出し、ホバージャンプのように宙を滑る。
そしてそのまま、爆風の余韻が残る床に“うつ伏せの姿勢”で着地。
だがそれはただの着地ではなかった。
──クラウチングスタート。
そのまま地を這うような低姿勢で加速し、爆発のショックで伏せたままの少年・シュウへ肉薄する。
「Start with the weaker one」
迷いはなかった。
Layered Nodeの神経拡張出力を最大に解放。
身体の重さと重心移動を利用し、爆発的な推進力を乗せて放たれる──
鋭角の蹴撃。
もはや“蹴り”というには過剰すぎた。
“加速装置”から放たれたフルスイングの一撃は、質量×速度=運動エネルギーを最高効率で体現した物理の暴力だった。
閃光と衝撃に混乱しながらも、シュウはわずかに顔を上げる。
その瞬間、視界の端に何かが映った──
足?
そして次の瞬間、前崎のブーツがその顔面を襲う。
正確に──そして容赦なく突き刺さった。
骨が軋む音とともに、シュウの身体は空中を弧を描き、反対側の壁にまで吹き飛ばされ、
背中からコンクリートに叩きつけられた。
その衝撃で壁にヒビが走り、床に崩れ落ちたシュウは意識を保てず、完全に沈黙する。
骨が軋む。
神経拡張出力を瞬間的に最大まで引き上げた副作用で、光学迷彩が焼き切れるように弾け飛ぶ。
──背後。
気配を捉えた瞬間、視線が反転。
ジュウシロウが迫ってくる。怒りに染まった顔。抜かれた小太刀が、銀の軌跡を描く。
「Too Slow」
世界がスローモーションになる。
刀が振り下ろされる途中、時間が粘性を持ったかのように遅くなる。
その中で、前崎はほぼ無意識に動いた。
肘と膝──二点を同時に打ち出す。
横から斜めに刃の軌道を挟み込むように合わせ、タイミングは寸分も狂わず。
まるで“横方向の白刃取り”のような姿勢で、刀身を構造ごと締め潰す。
バキィッ。
金属がきしみ、裂ける音が静寂を切り裂いた。
それは折れたというよりも粉砕されたに近かった。
そのまま攻めに転じる。
腰のタクティカルナイフを抜き、流れるように懐へ。
抜刀して動きが止まったジュウシロウの目へ、迷いなく刃を突き出す。
だが、わずかにズレた。
鼻梁を一文字に裂くだけ──鮮血が散る。
その瞬間、ジュウシロウの目に“遅れた死の恐怖”がにじむ。
痛みが脳へ届くより早く、目の前の悪魔は次の動作に移っていた。
「……Die」
ただ最適化されたプログラムのように──前崎は踏み込む。
ジュウシロウは、認識より後にくる痛みに顔を歪めながら後ずさった。
手元が狂い、足元がおぼつかない。
前崎は、迷いなく追い詰める。
顎を跳ね上げる。
その勢いのまま、左肩にナイフを突き立て──地面に押し倒す。
刃が肉を割き、骨に当たって鈍く止まる。
ジュウシロウの身体が仰け反り、崩れ落ちかけたその瞬間。
握りしめたままの銃口を残った力でこちらに向ける。まだ、離していなかった。
それを見た前崎は、一切の感情なく、銃ごと手を踏み潰した。
ゴキュ。
皮膚が破れ、指が逆方向に折れ、銃の破片が皮膚を突き破って飛び出す。
湿って粘つく生暖かさが、靴底を伝って足裏に這い上がってくる。。
恐怖で声が出ない。
最後にジュウシロウが見たのは──顔を潰すために重心を移した前崎の、慈悲なき靴の裏だった。
『状況』
『クリア』『制圧完了』『外周、制圧済み』
──この間、わずか12秒。
公安史上、前代未聞の突入だった。
外周にいた子供たちはすでに全員──腕を折られるか、切断され、武器は粉砕されていた。
残っていたのは、ホログラムとして棒立ちする少年兵と、“ボス”と呼ばれた少年。
前崎は静かにそのボスと向き合う。
少年は──拍手した。
パチパチパチ……
『…いや、すばらしい。まだここを占拠して30分も経っていないのに』
前崎は無言。
心拍も瞳孔も変わらない。
少年は皮肉混じりに顎に手をやる。
『見たところ、公安だろうね。国会が警視庁から徒歩圏なのは知ってたけど、まさか即突入とは。完全に見張られてたってことか』
『てっきり時間をかけて長期戦になると思ってたよ。……まったく、計画が全部崩れちゃった』
自嘲気味な声。
だが次の瞬間、語調が変わる。
『というか……君たちそれでも国家公務員かい? 子どもの腕を折り、切り飛ばし、ナイフまで突き立てるなんて。君には心がないのか?』
前崎は無反応。
『ああ、そうそう。これ──世界中に中継されてるんだけどね?
こんなことをして世間の世論はどうなるかな?
君はスケープゴートになるよ。きっと上司に責任を押し付けられて、あの辻本みたいに自殺して終わりさ』
その言葉に、前崎の瞳がわずかに動く。
「……お前たちが子ども? 笑わせるな。ただの人殺しが」
その一言で、少年のホログラムが強く揺れた。
『──ああ、そうですか。じゃあ何も守れずに死ねばいいよ、国家の犬が』
ボスと呼ばれた少年がナイフのようなものを構える。
『警戒!!』
前崎の声と同時に、ホログラムとして灰色だった少年兵たちが、一斉に“色”を取り戻す──
光の皮膜が剥がれ、質量を帯びた肉体へと変わる。
まるで、ホログラムの逆再生。
それは“実体化”だった。
反射的に、前崎は目の前の少年──“ボス”の頭部へハイキックを叩き込む。
だが、
(……こいつホログラムに戻りやがった!?)
すり抜けた脚が空を切る。
ボスと呼ばれた少年が背後でもわかるぐらいに口を三日月にする。
完全に体が流れた。
そして──
他の実体化した少年兵たちの銃口が、政治家たちに向けられる。
(くそ……間に合わない!)
──その時。
──ドッパァァァン。
空気が裂けた、そのたった一度の爆音の下──
五人の少年兵が、同時に崩れ落ちた。
実際には、五発。
オート照準による時間差ゼロの連射だった。
だが、聞こえた音は“ひとつ”。
まるで狙撃手が、一つの意志で、まとめて命を刈り取ったかのように。
『ちっ……もう一人いたのか』
射手は、高宮だった。
天井に張り付き、命令もなく。正確に。静かに。
ボスが肩越しに前崎に振り返る。
その目には、敗北の色はなかった。
むしろ──余裕すら滲んでいた。
『……今回は負けを認めるよ』
視線の先、すでに残された少年兵たちの身体が、淡い青色に染まっていく。
「……さっきまで実体だったのに、ホログラム化しただと……?」
前崎がつぶやく。
だが、事実だった。
そこに“あった”はずの肉体が、粒子となって崩れていく。
ありえない。
その場で“反転”するように、肉体が光へと変わる。
転送か。逃走か。偽装か。
答えのない現象が、現実を突き刺す。
『あ──そうだ、忘れてた』
ボスが言う。
静かに、言葉を選びながら。
ノイズに滲む身体を支えるようにして、姿勢を正す。
少年の体は、ノイズ混じりに揺れていた。
視線は前崎から逸れる。
そのまま、議場に設置された放送カメラの一点を見据え、ゆっくりと指を掲げた。
右手の二本の指を水平に揃え、心臓のあたりに添える。
それは、アダルトレジスタンスの「宣誓の構え」だった。
少年の姿は半透明になりつつあったが──その声は、はっきりと全世界に響いた。
『宣誓
我々アダルトレジスタンスの目的は、ただ一つ。
この国の主権を、我々自身の手に取り戻すことだ。
この国は、もはや“国家”ではない。
外交を装った売国。
法の名を借りた搾取。
従順を植えつけるだけの教育。
断言しよう。
それらはすべて、国民を“服従させる訓練”にすぎない。
我々国民は、ただの家畜として飼いならされてきた。
女は商品にされ、男は労働の鎖につながれた。
そして、我々の未来は──札束で競り落とされる“娯楽”に成り果てた。
外資に魂を売った官僚たち。
賄賂で立法をねじ曲げる政治家たち。
利益のためにこの国を切り売りする経済界の豚ども。
この国に巣食う、拝金主義の寄生虫ども──
我々は、お前たち全員を断罪する。
そして、黙って耐えている日本国民の諸君へ。
気づいているはずだ。
君たちには“自由”など与えられていない。
選挙も、報道も、教育も──そのすべてが、管理された幻想だ。
お前たちが信じてきた社会の正体は、よくできた“檻”にすぎない。
だから我々は、大人に頼らず自立し、行動した。
それが正義かどうかは問題じゃない。
平和を望んでいたかどうかも関係ない。
──それしか、生き残る道がなかったからだ。
このまま沈黙すれば、
君たちの子どもも、孫も、
搾取されるために“番号”を刻まれ、使い潰されるだけの存在になる。
我々の敵は、ただの大人ではない。
この国に巣食う、構造そのもの。
制度の腐臭と、それにしがみつく者たちの業だ。
ならば、答えは一つしかない。
お前たちの死体の血の一滴までを、大地の肥やしにする。
どれだけ時間がかかろうと、どれだけ“正しさ”を失おうと──
我々は、止まらない。
一匹残らず、全員潰す。
その上に、我々が“本当の日本”を必ず築き直す。』
宣言が終わると同時に、少年の体はふっと光の粒子へと崩れていく。
その輪郭が完全に消えきるまで、誰も声を発しなかった。
最後に少年と前崎は目があった。
前崎は──最後まで黙っていた。
一言も返さず、感情も揺らさず、ただその演説を“情報”として受け取った。
心拍、呼吸、瞳孔。すべて平静。
ただ、彼の視線だけが、僅かに鋭さを増していた。