File:066 最悪の平和 まだマシなテロリズム①
この回は次回と一緒にしたかったのですが長すぎたため、分けることにしました。
ちょっと読みずらいかもですがお楽しみ頂けると幸いです。
一ノ瀬に連絡が入ったのは、東雲が技術班に案内され、不動の神経外骨格〈ファストトラック〉の試験運用を行っていた最中のことだった。
不動の個人ロッカーに、かつての実戦用モデルの予備が保管されていたのだという。
しかし、その報せはすぐに優先度を失った。
「……ケンが誰かと話している?!」
一ノ瀬の思考が凍る。
独房だぞ。あの“特別隔離区画”で――それは、ありえない。
そこはあらゆる電波が遮断され、音声や映像も多重でフィルター処理されている。
加えてA.I.G.I.S(自律型侵入遮断統合システム)が24時間リアルタイムで監視を行っているはずだ。
それなのに?
『……音声波形と照合した結果、確かに会話が確認されました』
公安の管制室の山本が、解析結果を即時に報告する。
『ケンの喉部に装着されている発声支援デバイスから抽出したマイクロ信号を解析した結果、
アレイスターという名の人物と対話していたことが明らかです』
「……っ!」
一ノ瀬は言葉にならない焦燥を押し殺し、黒の公用車に飛び乗る。
走行中の車内にインカムを直結する。通信回線は即時で繋がれた。
『……これは……!』
「どうした、山本?」
『今、ケンから一ノ瀬さんと直接話がしたいとの申し出が入りました』
「……何がどうなっている……?」
一ノ瀬の額に汗が滲む。
敵か味方か、それすらもわからない“意思”が今、動いている。
車を降りた一ノ瀬は、山本から手渡された機密資料を抱えて施設内へと急ぐ。
今回の接触は、通常の面会室では不十分と判断された。
選ばれたのは、東京拘置所地下――
ごく限られた上層部のみが存在を知る、非公開の尋問空間「無間」。
正式には登録されていない。
過去に幾度か、非合法スレスレの情報奪取が行われた、いわば「最後の場」だ。
その空間は、野球のフルコートを一面使えるほどの広さがあり、音の反響が極端に少ない特殊設計が施されている。
電子的な侵入・脱出手段はもちろん、空間的にも出入口は一つ。
すべてが遮断された無音の迷宮――それが無間である。
そこに、ケンは拘束された状態で座っていた。
顔には汗が滲み、目元は遮蔽布で完全に覆われていた。
「……クーラーはここにはない。すまないが、我慢してくれ」
一ノ瀬はスーツの上着を脱ぎ、静かに歩み寄る。
ただし、今回の接触は面会ではない。
あらゆる権限を越えて行われる特別尋問。
時間制限も、手順も存在しない。
この部屋でのやり取りは、すべてが記録されるが、記録そのものが無効とされる可能性すらある。
当然の処置だ。
記録だけでみればここのセキュリティをケンの話相手のアレイスターとやらはすべて突破したといっても過言ではないからだ。
一ノ瀬は改めてケンの正面に立ち、深く息を吸った。
「――始めようか。これは、最後の会話になるかもしれないからな」
尋問――。
それはすなわち、一ノ瀬ひとりでは対応できないという判断であり、
同時に想定外の存在が現れる可能性を前提とする措置だった。
武器の持ち込みは、あえて必要最低限にとどめられた。
理由は単純だ。
アレイスターと名乗る人物が、もしここに現れるとすれば、
武装の有無で事態が左右されるような相手ではないからだ。
すべての備えは、素手での制圧に特化された。
訓練を受けた格闘特化の公安職員や武道に長けた警察官、現役の警視監ら――
本物の対人制圧が可能な36名が招集された。
一ノ瀬の突然の要請に、最初は戸惑いや反発もあったが、
「容疑者が独房でコンタクトを取っている」との説明が入るや否や、
空気は一変。
現場には精鋭たちが続々と集まり、秋山警視総監までもが姿を現した。
「……本当は一ノ瀬様。あなた一人とだけ、話をしたかったのですが」
ケンが静かに告げる。
目元は布で覆われ、両手両足は拘束具に固定されている。
しかし、その声には明確な意図が込められていた。
「気にするな。ここにいるのは、ほんの数人だ」
――そう言ったが、実際には36人。
全員が、状況次第で即時殺処分も可能な権限を持っており、
最悪の事態にはこの36人ごと地下に閉じ込め、生き埋めにするという極秘命令も出されていた。
「……2人きりで、話せませんか?」
一ノ瀬は、喉元までこみ上げていた「何を言っている」という怒りを、
なんとか押し込めた。
尋問とはいえ、相手は交渉を持ちかけてきている。
「……わかった。全員、退室を」
その場の全職員が、一糸乱れぬ動きで無言のまま退室していく。
彼らの足取りは「ナンバ走り」――身体の摩擦音を限界まで抑える歩法で統一されていた。
片腕と同じ側の足を同時に出し、布が擦れる音すら立てない。
退室後、36人は隣室の地下監視ルームへと配置された。
厚い防弾ガラス越しに視認は可能だが、外部からの存在を一切感じさせない特別設計。
音声はワイヤレスでモニタリングされるが、気配までは届かない。
「……これでいいか? 悪いが、これ以上の譲歩はできない」
「はい。ありがとうございます」
ケンは首だけわずかに動かし、礼を述べた。
その表情は読めない。いや、読ませないと決めているようだった。
数秒の沈黙が流れる。
「……君が、僕に話したいことがあると聞いたんだけど?」
「そうですね……正直、何から話せばいいのか……迷っています」
「じゃあ、僕から質問して、それに答える形でもいいかい?
君に話したいことなら、山ほどある」
「……答えられる範囲であれば」
「――君は、僕と面会した後、誰かと話していたよね。
相手は誰だ?」
ケンが表情を止める。
ほんのわずかだが、空気が変わった。
「……どうして、それを?」
「理由は言えない。だが、答えは求める。はっきり言おう。
これは命令だ」
一ノ瀬の語気が強まる。
公安の尋問は、礼儀ではなく命令から始まる。
「……アレイスターと、我々が呼んでいる人物です」
山本の報告通り。資料に記された通りの名前だ。
「アダルトレジスタンスの関係者か?」
「はい。正確にはだった人間というべきでしょうか。
彼は組織内でも最大の異端者にして、敵対者と見なされています」
あの組織にも派閥があるのか?
ルシアンという人間の独裁に見えたが……。
だとしても当然の疑問が浮かぶ。
「なるほど……だとすれば、なぜそんな相手が君の独房に現れた?
いや――そもそもどうやって接触した?」
それは最大の疑問だった。
ケンの収容情報は、極秘中の極秘。
警察内でも一部の幹部しか知らず、電子データ化すら避け、基本は紙媒体で手渡しされた。
そして何より、ここには一切の電波が届かない。
防音、遮断、A.I.G.I.Sによる監視、すべてが完備された侵入不可能な空間――
それをどうやって突破したのか?
この謎は、テロリストの“思想”よりも、一ノ瀬にとって恐ろしい問いだった
「……似たような存在をご存知でしょう?
我々のボス――ルシアンです」
ケンは静かにそう言った。
一ノ瀬の脳裏に、国会議事堂襲撃事件で目撃されたあの存在が浮かぶ。
あのとき、あらゆる通信を遮断する電磁ジャミングが発生していたにもかかわらず、ルシアンは現れた。
ホログラムに見えたかと思えば、次の瞬間には質量を伴って物理干渉を行っていた。
「はっきり言えば――アレイスターは、その上位互換です」
ケンは言い切るように続けた。
「彼は壁をすり抜け、認知されず、必要とあらば空を飛ぶことも可能です。
……さきほども、ここに直接やって来ました。
おそらく、一ノ瀬様。あなたとすれ違っていたはずですよ?」
一ノ瀬の顔がわずかに強張った。
心当たりがあった。
「……確かに廊下で……ゾクッとした感覚があった。
あれが……通り過ぎた瞬間だったのか……?」
「それを感知できるとは、あなたの感覚は相当鋭いですね。
やはり、武道を極めると、知覚が研ぎ澄まされるのでしょうか?」
ケンは無邪気にも見える仕草で首を傾げる。
だがその内容は冗談ではなかった。
「……そいつの正体は何だ? ――人間じゃないのか?」
一ノ瀬の問いに、ケンはしばらく黙り込んだ後、声のトーンを落とした。
「……これ以上は、お話しできません」
「……どういうことだ?」
「我々――アダルトレジスタンスの幹部クラスは、全員、
発話型トリガー装置を体内に埋め込まれています」
「発話型……?」
「簡単に言えば、特定のキーワードや文脈を口に出した時点で、
脳内に仕込まれた爆薬が作動し、自壊する構造です。
マイクロチップ状の起爆装置で、非公開の暗号パターンで制御されています」
一ノ瀬の背筋が凍った。
「我々幹部は、組織の深部に触れる情報にアクセスできる存在です。
それゆえ、機密漏洩のリスクを発話前に遮断する措置が施されているのです」
「……非情だな。そんな組織に、忠誠を誓ってるってのか?」
ケンはうっすらと笑みを浮かべ、目隠しされた火傷痕の残る顔をわずかに傾けた。
「この顔を、見てください。
これをやったのは、あなた方“大人”ですよ?」
言葉の端々に、怒りではない――諦念に近いものが滲んでいた。
「それに比べれば、情報を漏らしたら死ぬというルールのほうが、
よほど明快です。
感情に任せて切り捨てられるより、よっぽどマシですよ」
その言葉に、一ノ瀬は無意識に奥歯を噛みしめていた。
拳を握りそうになるのを、理性で抑える。
(……5日後に強制的に自白させる機械が届くが……無駄になりそうだな)
それを使用した瞬間、ケンの脳は自力で爆破される可能性が高い。
だったら気を失わせるか?
「ちなみに、意識を失って逃れるという選択肢もありません」
ケンは先回りするように言った。
「意識を絶とうと“思考した”瞬間に、自動トリガーが作動します。
さらに、外部から脳に機械的負荷がかかった瞬間も、
死に至るようプログラムされています」
一ノ瀬は目を細めた。
この少年の死は、誰よりも慎重に仕組まれている。
「……それに、あなたの上司
――前崎様にも、同様のデバイスが仕込まれていますよ。
頭に直接ではありませんが」
「だろうな」
一ノ瀬は静かに頷いた。
前崎さんなら、そんな危険を背負わされていても不思議ではない。
むしろ――
あの人が、あんな回りくどいやり方で情報を渡そうとしたのは、この制限があったからか。
合点がいった。
すべてが、つながっていく。
そして、一ノ瀬の胸には強い確信が芽生えた。
この戦いは、ただの武装集団との対立ではない。
思想、国益、技術、正義――すべてが異なる世界との衝突だ。
A.I.G.I.Sは『常時展開型対質量障壁:Advanced Electromagnetic Geo-Integrated Shield』としての認識もありますが、A.I.G.I.S『自律型侵入遮断統合システム:Autonomous Infiltration Gate Interception System』の意味合いもあります。
2つ重ね合わせられて使われることが多いので言葉が統合されることとなります。
識別する場合はアラートの方とかシールドの方とか言ったりします。