File:005 国会議事堂襲撃
新人が素早く俺たちに連絡したのは結果としては正解だった。
『シンフォニア』を占拠した集団と同一とだったと判断された組織的犯行だった。
その根拠は、犯行声明を出したのが「子ども」と思われる人物たちだったからだ。
そして、警視庁と国会議事堂の距離は徒歩圏内。
──ならば、誰よりも早く現場に到達できるのは俺たちだけだった。
現場にはすでに野次馬が集まりはじめていた。
山本を除く全員が、突入準備を完了していた。
最新鋭のスーツ型戦闘補助装備-神経外骨格『Layered Node』を着込む。
外見では判別しづらく、衣服の下に装着可能。元は軍事用途だったが、今や公安の標準装備であり、防犯意識の高い一般女性の間にも静かに広がっている。
「山本は後方支援、高宮は議事堂の屋上待機。残りは正面から突入。
行動開始は14:12」
「「「「「了解」」」」」
光学迷彩と身体強化を起動。俺たちは遮蔽された影の中を駆ける。
本来、国会議事堂には常時展開型対質量障壁『A.E.G.I.S』(Advanced Electromagnetic Geo-Integrated Shield)が貼られている。
普段は微弱に設定されており、侵入者や異物を検知・通報する。
だが有事の際には0.5秒以内に、あらゆる質量攻撃──ミサイル、レーザー、ドローン爆撃──を偏向・吸収する全方位バリアへと強化される。
ただし悪用すれば中にいる人間を閉じ込める檻としてもできるため、即座に解除できる裏技のようなものが求められた。
それがとある鉱石と化学薬品を混ぜ合わせたものであり、紫の怪しい光を放つことと電磁波に干渉することからクトゥルフ神話がモデルの小説の中に出てくる鉱石から名付けられた『インクアノライト』(Inquanolite)と呼ばれるものになる。
それをぶつけることで、アラートを発生させずに中和・突破できるという仕様上の抜け道があった。
俺は、その石を手にしていた。
(……辻本に感謝しなきゃな)
封筒に入っていたのは、旧式のアナログメモリとそれの調査データだった。
辻本は、事件後に火事場で盗聴を行っていた記者を摘発。その記者は有名人のスキャンダルを求めるために事件前から盗聴機材を仕込んでいたことがわかった。
その記者の機材があらゆるものがインターネットと接続したこのIOT時代とは逆行するアナログ式だったことを見抜き、記録を保管していた。
ただ国の関係者が関わっていたこともあり、公表もなにもできなかったというオチだった。
そこに映っていたのは、犯行に及ぶ「子ども」たちと、明確な国家への敵意。
その矛先がいずれ国会に向けられることを予期した辻本は、内密にインクアノライトを持ち出し個人ロッカーの金庫に入れていた。
もしくは内通者がいることを予期していたのかもしれない。
その石をバリアに向けて投げつける。静かな起動音と共に、障壁が消える。
5人は突入を開始。
山本は通信支援にまわり、高宮は屋上からのスナイパー支援。
前崎たちは秘密裏の出入口から、静かに国会内部へと侵入した。
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【衆議院本会議場】
「ちっ!ダメだ。インターネットは遮断されてる。ジュウシロウさん、やっぱ無理だぜ?」
SPと思われる男が足元で泡を吹いている。その体には手錠がかけられていた。
「電波妨害? それとも《A.E.G.I.S》の影響か…」
ジュウシロウは腰に大型銃と刀を帯び、無言で状況を見回す。
「にしても、案外多いな。政治家って」
シュウがフロアを見渡しながら、肩をすくめる。
「アメリカの2倍以上らしいぞ。国土は1/25しかないのにな」
ジュウシロウが淡々と返す。
「で、その半分以上が2世か3世──つまり“親のコネ”で議席をもらったようなもんだ。地盤・看板・鞄ってやつだな」
「…血筋と名前だけで票が入る国って、民主主義は笑えるな」
シュウは嘲笑うように銃口を政治家に向ける。
「ここで無駄に税金が垂れ流されてるわけだ。いい服着てんな」
「落ち着け。リストに載っている人間以外には手を出すな」
「了解っと」
そこに、声をかけてきたのは副総理・相川茂だった。
「君たちの親は? こんなことをして、将来がどうなるかわかってるのか?」
冷めた目でシュウは相川を見る
「……ジュウシロウさん、こいつリストに入ってましたよね?」
「あぁ。優先順位3位だったか」
電子端末を操作するシュウ。すぐに読み上げる。
シュウは電子端末を指でなぞると、無表情のまま口を開いた。
まるで宣告のように、静かに、正確に。
「2047年10月──岡山県の土砂災害で集められた募金を、選挙資金に転用」
「2038年3月──キャバクラでのセクハラ行為と強姦。さらに税金の中抜きで示談」
「2043年4月──酒気帯び運転を起こし、身内の警察官に揉み消させた」
「2045年11月──国費で購入したのは……高級車一台と、軽井沢の別荘」
一つひとつ、年と月を明言しながら、シュウは感情を挟まずに続ける。
まるで、読み上げる“それ”が彼にとって既に価値のない数字であるかのように。
「な、何の証拠が…」
「これがその一つな」
ホログラムには、副総理がSMプレイに興じる映像。
顔が蒼白になる。
「通信回復しました!」
「よし、ボスとも繋がる」
ホログラムに姿を現したのは、小学校高学年の子ども。
『ご苦労、黒の隊。──森田首相。』
ホログラムの少年が、淡々とした声で告げた。
『我々は、戦争をしたいわけじゃない。ただ、一つだけ──条件がある』
森田が顔をしかめる。
「……条件?」
『──大政奉還だ』
その言葉が落ちた瞬間、議場がざわめいた。
「……なに……?」
『主権を、我々アダルトレジスタンスに引き渡してもらいたい』
「冗談じゃ……!」
『わからないなら説明しよう』
ポップな音楽とともに、筆書きのような文字が浮かぶ。
ホログラムには、江戸城のイラストと、眉の太い将軍・徳川慶喜のキャラが登場する。
──時は幕末。
外国からの圧力と国内の不満が高まり、江戸幕府の力は陰りを見せていた。
戦って滅ぶより、権力を返して“生き残る”ことを選んだ将軍・徳川慶喜は──
「はい、天皇にお返しします」
と、政権そのものを朝廷に返上。
260年以上続いた武家の時代は、こうして幕を閉じた。
だが──それは単なる“終わり”ではなかった。
将軍は戦わずに、自らの立場を守り、政治の主導権を形だけ渡しながら、水面下の力を残したのであった。
『──つまり争わずに勝つための、最も洗練された戦術』
画面が切り替わり、少年のホログラムが再び映し出される。
『我々が求めるのも、それと同じです。唯一違うのは天皇ではない。我々に、という点だけです』
「…馬鹿げている」
『冷静に考えればわかるはずです。むしろ我々は、これ以上ないほど譲歩しているつもりですよ──犠牲者を出さないためにね』
森田は、何も言わなかった。
唇を噛み、拳を握りしめる。
――とにかく今は、時間を稼ぐしかない。誰かが、何かが、この状況を覆してくれる。
そう信じたかった。いや、そう信じる“しかなかった”。
その沈黙を、少年の声が鋭く割った。
『……なるほど。やはり言葉では動かないか』
一拍。
『では──“真澄さん”に登場してもらいましょう』
映像が切り替わった。
暗い部屋、金属製の椅子に縛りつけられた少女。
制服の襟元には、血のような汚れが滲んでいる。
目元には黒い布。口には布が詰められ、呻き声ひとつ漏れない。
銃口が、4つ。
――すべて、彼女の頭に向いていた。
一瞬、誰も息を呑む音さえ発せなかった。
森田の顔が、静かに蒼白になる。
「……やめろ」
声は、かすれていた。
『先ほどから条件は明示しています。やめてほしければ――』
少年の声が淡々と続く。
『高らかに、宣言を』
「……わかった。わかったから……真澄を……娘を放してくれ……!」
そう言うと、議場にざわめきが走った。
呆れと怒りが混じった声が、四方から次々と飛ぶ。
「……は? 今、なんて言った?」
「娘の命と引き換えに、国家の主権を譲るだと……?」
「ふざけんな! お前、首相だろうが!」
「この国を代表する立場の人間が……たかが“脅し”一つで」
「国を売る気か、てめぇ!」
その瞬間、一人が声を張り上げた。
「国と娘、どっちが大事なんだよ!」
誰かが机を叩きつけ、別の議員がヤジの主に詰め寄ろうと椅子を蹴った。
一気に立ち上がる者、顔を覆う者、黙り込む者──空気が激しく乱れる。
その混沌を、
「──黙れ」
バンッ。
言葉と同時に撃ち込まれた一発が、議場の空気を切り裂いた。
ジュウシロウの銃声は天井に吸い込まれ、場内は沈黙に包まれる。
『ありがとうジュウシロウ。では宣言をお願いします』
ホログラムの少年がモニターとは別に森田首相の前に立った。
『“我々アダルトレジスタンスに主権を明け渡す”と──はっきり、正式に』
森田の喉が、ごくりと鳴った。
手が震えている。唇がかすかに動く。
「私、森田はあなた方に…」
『やり直しです、森田首相。そんな誤解を招くような言い方と複数の解釈ができる言い方はやめてください』
バレた。この手も通じないか。
『20秒以内です。言えなければ、真澄さんの目を潰します』
「…下衆めが」
『あなた方がそれを言いますか?こちらは日本を本気で獲り
「…たとえ主権を奪ったとして、お前たちに従う国民はいるわけがないだろう!」
『あなたと愚論を交わす気はありませんが圧倒的なメリットでついて来させますよ。
あなた方とは違いもっと先進的なやり方でね。あと10秒です』
沈黙。
誰も声をかけない。
誰も、首相の顔を見ようとしなかった。
ただ、全員が「終わった」と理解していた。
否──理解した“フリ”をしていた。
見て見ぬふりをして、自分の責任から目を逸らしていた。
森田の喉が、ひとつ鳴る。
搾り出すように、言葉を吐く。
「……わたくし、内閣総理大臣・森田信一は……」
声が、空気に飲まれる。
周囲は静まり返り、時計の針の音すら届かない。
議場全体が、“呼吸を止めた”。
森田の瞳が宙をさまよう。
言葉を吐き出すたびに、喉が焼けるようだった。
「……あなた方、アダルトレジスタンスに……」
まるで、口にしてはならない呪文を唱えるようだった。
喉が焼け、舌がこわばり、声はかすれた息のように漏れる。
「……この国の……主権を──」
張り詰めた議場が、沈黙の地雷を踏み抜いたように静まり返る。
「……わ、た……渡ッ──」
その瞬間だった。
──カチン。
乾いた金属音。
天井の隙間から、4つの何かが落ちてくる。
缶のような筒が、床を弾き、跳ねる。
「伏せ──!」
叫ぶ声が重なる前に、爆ぜた。
閃光。
轟音。
衝撃。
視界が白に焼き潰され、鼓膜が強制的に沈黙させられる。
音と光が議場全体を引き裂いたとき──
影が、4つ。
音もなく、虚無の中へと突入していった。