File:061 メタトロン
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祭壇の部屋に足を踏み入れると、すでに前崎とルシアンが到着していた。
そしてその中央には、拘束された4人の男が並んでいる。
手足を縛られ、口には猿轡。
目も目隠しで隠されていた。
「ボス、いつでもいけます」
そう言いながら、シュウは肩に力を込め、わずかに拳を握りしめていた。
「──オーケー。気合十分だね。
ただ、僕たちも今来たばかりだから、少しだけ待ってくれる?」
柔らかくも冷ややかな声でルシアンが応じる。
そして奥からエルマーが黒光りする金属と、無骨な配線が剥き出しになった装置が載った台車を持ってきた。
それが二台。
そのフォルムは、誰の目にも死刑用の電気椅子を思わせた。
「……もっとマシなデザインにできただろ」
前崎が思わず顔をしかめる。
「下手にスタイリッシュだと、やりたがる奴が出てくる。
これは遊びじゃないんだ。
簡易的でもそういう抑止力が必要なのさ」
ルシアンは肩をすくめながら、2台の装置を慎重にセッティングしていく。
妙に手際がいい。
エルマーが躊躇なく電源を入れる。
並行してルシアンが手からX線のような光で内部構造を走査し、最終チェックに入った。
エルマーも使ったことがあるのだろうか?
「さて──これで全員そろったようだね」
ルシアンが視線をこちらに向ける。
「正直、これは当事者だけに見せたい内容だけど
……まあ過去の失敗事例から見て気にせざるを得ないよね」
ルシアンがホログラムを展開する。
空間に浮かぶ映像には、複雑な構造を持つ機械の設計図と、古びた文書のスキャン画像が映し出されていた。
「こいつの名前は《メタトロン》。元々は旧ソ連が残した遺産だ」
──メタトロン。
正式名称は「Non-Linear System(NLS)診断装置」。
その起源は1970年代の旧ソビエト連邦に遡る。
宇宙飛行士の健康状態を、地上から遠隔でリアルタイムに監視する──その目的のために開発が始まった。
臓器や細胞が発する極めて微細な電磁波、周波数情報をキャッチする技術が模索されたのだ。
この技術は後に、波動医学やバイオレゾナンスといった代替医療分野へと転用され、
1990年代には民間向けに改良された機器が「メタトロン」の名で流通しはじめる。
その開発には、ロシア科学アカデミーや複数の生体医工学研究者たちが関与したとされている。
メタトロンの原理はこうだ。
ヘッドセット型の装置から微弱なスキャン波を照射し、身体の各部位が持つ固有の振動パターンを読み取る。
得られたデータは、健康な理想値と比較され、異常や疾患の兆候が視覚化される。
さらに、診断だけでなく「理想的な周波数」を送り返すことで、体内の調律を図る試みもなされている──あくまで試みの域を出ないが。
現代医療とは一線を画す存在であり、科学的根拠は乏しい。
それでも一部の領域では、奇跡的とも言える事例報告が後を絶たず、支持と懐疑が拮抗する境界の技術であり続けた。
──だが、70年の歳月が過ぎた今。
ソ連は消え、世界は激変し、そしてメタトロンは進化していた。
今では、生体波動だけでなく、人間の脳が持つ記憶、意識、感情の波長さえも読み取ることが可能になった。
「僕たちはね……この装置を独自に再設計した。
記憶を取り出し、他人へと移すことができるように」
ルシアンの声に、部屋の温度が一瞬下がったような気がした。
それはもう診断でも治療でもない。
記憶の転送ではなく、もはや人格の複製
──魂の所有権すら揺らぐ、倫理の深淵に触れる技術だった。
それが、今まさに目の前にあるメタトロンだ。
これを使って、人間の超人化を国家レベルで推進したのがロシアだった。
ウクライナ侵攻を契機に、ロシアは国際社会からの制裁により急速に弱体化していった。
張り合えるものはもはや核だけという状況にまで追い込まれていた。
極寒のツンドラ地帯には未開発の資源が大量に眠っていたが、それを掘り出すための機械も、製造するための技術力も、すでに枯渇していた。
そこでロシアが目をつけたのは、物ではなく人材だった。
死にゆく老人たちの頭に眠る経験と知識を、若者にそのまま転送できればどうか。
個人の寿命ではなく、知識の寿命を延ばす──そうすれば国家の再建に無駄はなくなる。
ロシアはそう考えた。
膨大な資金と犠牲を投じた末、メタトロンはついに完成した。
だが、大人では使えなかった。
転送された記憶の情報量があまりに膨大で、受け取った者の脳が処理しきれずに焼き切れてしまったのだ。
廃人と化す例が続出し、計画は暗礁に乗り上げた。
次にロシアが試したのは、子どもだった。
未発達で柔軟な神経回路を持つ子どもであれば、情報を吸収し、順応できるのではないか。
ロシアはその可能性に賭けた。
実験は部分的に成功する。知識の転送は確かに可能だった。
科学、軍事、スパイ技術、語学、心理戦──あらゆる知識が小さな身体に詰め込まれていった。
だが、問題は別にあった。
知識を得た子どもたちは、自分たちをただの器として扱う国家に反抗するようになった。
監視され、管理され、命令されるだけの存在に成り下がることを拒んだのだ。
彼らは自らの力を使い、ロシア国家に対して反乱を起こした。
爆破、暗殺、奪取、扇動。彼らの行動はテロの域を超え、国家そのものを脅かすレベルにまで達した。
こうして超人化計画、ある作品の名前を借りるのであれば『恐るべき子どもたち計画』は頓挫した。
すべての記録は機密として封印され、関係者の多くは失踪、あるいは口封じされた。
歴史からは完全に消し去られたはずだった。
だが、それが今ここにある。
ルシアンが指を立てて言う。
「ロシアが失敗した理由は三つある」
ホログラムで資料を見せる。
ルシアンはそれぞれ懇切丁寧に説明する。
まず一つ目。知識の選別ができなかったこと。
吸い上げる情報に制御がなく、戦闘技術や戦術に混じって、老人のどうでもいい思い出話まで転送された。
そんなものはノイズでしかない。
もしも戦闘知識だけを抜き取れるなら、情報量は格段に減らせたはずだった。
たしかに、できればの話だが。
二つ目。能力が高すぎる子どもたちを、どう扱うかの想定が一切なかったこと。
自分より能力の劣る人間の命令を、彼らが聞くはずがない。
むしろ支配すべき対象だと判断し、開発者を含む周囲の大人たちを容赦なく排除した。
その指摘は的を射ている。
そして三つ目。
ロシアは広大な国土に騙され続けてきたが、現実には裕福な国家ではなかった。
資金が尽きたことが、計画の崩壊を決定づけた。
もしあと一歩でも踏み出せていれば、ロシアは世界を掌握していたかもしれない。
それはあり得た“もしも”の話ではなかった。
たった一つの判断、たった一つの改良で、世界の覇者は変わっていた可能性がある。
そして今、その計画が、日本の手で再び試されようとしている。
ルシアンが命じる。
「シュウには不動と呼ばれた男の継承。ソウには、彼の継承だ」
シュウは無言で頷き、前へ進み出る。
ソウも、それに続いた。
薄暗い部屋の中、メタトロンの本体が静かに光を放ち始める。
その光は、ただの機械が発するものではなかった。
それは、人の記憶、人生、思想、痛み、そして暴力を──まるごと移し替える光だった。
見ると、そこには拘束された男たちがいた。
不動、そして見知らぬ三人。
いずれも手足を縛られ、耳にはノイズキャンセラーのような器具、口には猿轡がはめられ、完全に沈黙させられている。
「不動はわかるが……他の三人は?」
前崎が眉をひそめると、ルシアンはあっけらかんと答えた。
「ああ、そっか。前崎君はまだ知らなかったか。
この人たちはね、アダルトレジスタンスに入りたいって、自分から来た大人たちだよ」
「……あの混乱の最中にか」
「うん。最初は、正直人質としても価値がなかったから、
もう放っておこうかと思ってたんだけどね……
調べてみたら、びっくりしたんだよ。すごく面白いことがわかってさ」
「面白いこと……?」
ルシアンがそのうちの一人の肩をポンと叩く。
男の身体がわずかに震える。
「――この男、諜報員だったよ。アメリカのね」
静かな一言が、場の空気を一変させた。
どう見ても日系人…。
少なくともステレオタイプのアメリカ人には見えない。
すでにアメリカはスパイを送り込んでいた――
その事実が、前崎の背筋に冷たいものを這わせた。
(ルシアンのことがまだ完璧にわかっていないということだ…。
アメリカにとっても十分脅威であるということに違いない)
だがーー
「証拠はあるのか?」
「ああ。君がくれた通信機と、ほぼ同じ仕様のものをこの男が持っていた。
小型だけどね。
送信先も、まったく同じだったよ」
「……完全に黒だな。残りの二人は?」
「ただのろくでなしたちだよ。
今回の実験の“非検体”として協力してもらう。
つまり、比較対象。
知識も訓練もある“大人”が、メタトロンを制限なく使ったらどうなるか
――いい見本になるでしょ?」
そう言って、ルシアンは傍らの棚からハンマーのようなものを取り出した。
「それは……?」
「これで、不動とアメリカの諜報員を気絶させてほしいんだ」
「……そこまでする必要があるのか?」
「あるさ。
大事なのは無抵抗で、精神的に安定した”状態で処置すること。
死んでちゃ意味がないし、逆に狂っていてもデータにならない。
人間であって、壊れていないことが重要なんだよ。
精神の“鮮度”ってやつさ」
「……鮮度?」
あまりにも非人道的な単語に、前崎は目を細める。
ルシアンは肩をすくめるように、話を続けた。
「前崎君、熊を銃で狩ったことはあるかい?」
「……ないな」
「実はね、銃で仕留めた熊の肉は硬くてまずいらしいんだ。
筋肉が全身硬直するから、旨味が逃げちゃう。
でも、罠で捕まえてから気絶させて捌いた熊は柔らかくて美味なんだってさ」
「……そんな話、初めて聞いたな」
「こいつらも同じ。
味覚も、聴覚も、視覚も、もう1日以上拘束されてる。
限界ギリギリ。
普通ならとっくに発狂しててもおかしくない」
「……だから、崩れる前に処置するってわけか」
「そういうこと」
前崎が周囲を見渡すと、少し離れた場所にエルマーの姿があった。
小さな体を椅子に沈め、目の下にはくっきりとした隈が浮かんでいる。
『エルマーはずっとメタトロンの整備をお願いしていたからね。
しばらく寝てていいよ』
エルマーは気のせいか、うとうとしている。
「大変だったな。お前、小さいんだから少しは休めよ」
「……別に。宴会とかバカ騒ぎとか、あんまり得意じゃないからさ。
こっちの方が、落ち着く」
そう言いながら、エルマーはふわりとまぶたを閉じる。
そして、いつの間にか近くにいた家政婦型のロボットにそっと抱き上げられた。
「……風邪、引くぞ?」
「緊急時に備えて、しばらくこの部屋にいてもらうよ。
僕以外だと止めれるのはエルマーだけさ」
ルシアンが小さく笑う。
エルマーは、そのままスヤスヤと無防備な寝息を立てていた。
前崎は、黙ってハンマーを受け取る。
そして、不動とスパイの後頭部に、正確に、冷徹に振り下ろした。
“ゴン”という鈍い音。
一瞬、不動の過去の姿が脳裏をよぎる。
孤独を貫き通した男。
その最後はあっけないものだった。
彼は無言で崩れ落ちた。
(……さらば、不動)
前崎の胸にわずかな痛みが残るが、顔にそれは出さなかった。
それが、不動との最後の別れだった。
『――さて。まずは、失敗例から見てみようか』
ルシアンが言うと、部下たちが動き出す。
素材とされた不動と公安の男を、一体のメタトロン装置の椅子に、残りの男たちを別の装置に固定していく。
重厚な拘束ベルトが肉に食い込み、頭部には脳神経接続用の奇妙なヘッドギアが装着された。
まだ意識のある男たちは、機械の意味を悟ったのか、顔面を蒼白にしながら激しく身をよじった。
『……スイッチ、オン』
淡々と放たれたその一言と同時に、装置が唸りを上げ、彼らの身体に高圧の電流が走る。
「ギャアアアアアアア!!」
「ぎぃぃいぃぃぃぃぃ!」
男たちは全身を痙攣させ、目を見開き、やがて力尽きたように静かに項垂れた。
口元からは泡が零れ落ち、焦げたような匂いがわずかに立ち込める。
それを見て、ソウもシュウもわずかに顔を顰める。
アリア、ユーリ、カノンの三人は耐え切れず、目を伏せ、口元を抑えていた。
『――失敗すると、こうなる。
それでもやるのかい? 引き返すなら今が最後だよ』
「やる」
「……もちろん」
少年たちは一切の躊躇を見せなかった。
死の結果を目にしてなお、一歩も退かない
――その姿に、場の空気が静まり返る。
シュウは倒れた死体を無造作に足でどけ、そのまま椅子に腰掛けた。
その姿は、まるで玉座に座る王のように堂々としていた。
ソウは死体にもリスペクトはあるようで死体の手を合わせて寝かせた。
「……前崎」
『……なんだ?』
呼び捨て――その響きに、前崎の表情がわずかに曇る。
ジュウシロウは自分に対して敬称をつけるのにその部下であるお前は違うのか。
もう一回、国会議事堂での膝蹴りを喰らわせてやりたくなった。
「これが終わったら、スパーリングしろ。
国会議事堂での借り、きっちり返す」
「……まともな状態で戻れたらな。
失敗したら、その場で処分してやる。安心しろよ」
その皮肉に、ユーリとカノンの瞳が鋭く光る。
だが前崎は一瞥もせず、涼しい顔で受け流した。
喧嘩を売ってきたのは自分じゃない――そう言わんばかりに。
それに乗るように、ソウも口を開いた。
「僕は……そうですね。
新曲でも披露させていただきましょうか、前崎さん?」
「……それでいいのか?」
「僕は、そこまであなたに恨みはありませんから。
この国を制圧したら東京ドームでも貸し切って、お届けしますよ。
アリアと一緒にね」
「……わかった」
片隅ではアリアが膝をついて祈っていた。
二人は、それぞれ装置の中に収まっていく。
頭部に神経接続用の機器が被せられ、計測器が脳波を読み取り始める。
その様子を、アリアだけでなくユーリとカノンも手を合わせて見つめていた。
神に祈るように。運命を握るスイッチの向こうで、全てが変わることを恐れながら。
『――いくよ』
スイッチが押された。
その瞬間、ソウとシュウの身体が大きく跳ね上がる。
「ぐぅ……っ」
「ギ……ィッ……!」
全身を駆け巡る電撃に、二人の口から苦痛の声が漏れる。
それでも彼らは、先ほどの失敗例のように命を落とすことはなかった。
耐えていた。歯を食いしばり、意識を手放さず、もがいていた。
――そして、10分後。
装置が沈黙し、拘束が外れる。
二人は膝をつき、肩を大きく揺らしながら、必死に呼吸を繰り返した。
苦痛と戦い抜いた少年たちの姿に、場の空気が張り詰める。
『成功だ。おめでとう。
これで君たちも、立派なソルジャーさ。
といってもまだヒヨッコだがね』
ルシアンが満足げに言う。
ソウとシュウの右目に異変が現れていた。
虹彩の色が、左目とは明らかに異なる。
オッドアイ――それは、脳に直接干渉された者だけに現れる、代償の印だった。
「「ぐぎゅるるるるる……」」
次の瞬間、二人の腹が同時に鳴る。
その音は、静まり返った空間に滑稽なほど大きく響いた。
気のせいか2人ともフラフラしている。
『あら!まだあれだけ食べてもまだ栄養が足りてないみたい!
すぐに食堂へ連れて行くよ!』
ルシアンがどこからともなくストレッチャーを引っ張り出し、手際よく準備を進める。
まるで予定されていた儀式のように、流れるような動作だった。
カノンたちが協力して、力尽きた二人の少年を食堂へと運んでいく。
嫌々ながらも前崎も運ぶ。
また子どもの枠組みを超えた少年たちが二人生まれた。
本作に登場した「メタトロン」は、実は現実にも存在する機器です。
量子エントロピー理論を応用し、「感情や心理状態の情報を高い再現性で検出・表示できる」とされており、現代では新しい形の精神分析やセルフヒーリングツールとして注目されています。
小説内ではこのメタトロンを、記憶の読み出しや植え付けといったSF的機能を持つ装置として描いていますが、実際のメタトロンは人間の健康や意識の調整に寄与する、もっと人類に優しい機械です。
作中の描写はあくまでフィクションとして楽しんでいただけたら幸いです。
ご興味がある方は、以下の書籍で詳しく知ることができます。
『セルフチェック&セルフヒーリング 量子波動器【メタトロン】のすべて──未来医療はすでにここまで来た!』