File:004 前崎班
現在前崎がやっているのは、辻本の遺品整理だった。
彼とは霞が関で何度も顔を合わせてきた。
個人的な親交は深くなかったが──無能でもなかった。
ただ、あいつは「人畜無害すぎた」。
まるで教科書通りの人間といってもいいかもしれない。
他の組織とは違って官僚社会には、“殺せない人間”よりも、“殺しても怒られない人間”が必要とされる。
辻本は後者だった。そして、スケープゴートにされた。
日本では、処世術がキャリアを決める。
「出る杭は打たれる」「声のデカいアヒルは撃たれる」──後者は確か韓国の諺だったか。
要するに、目立たず、都合のいい人間を演じ、
そのうえで──舐められないこと。
それが、この国の出世術だ。
俺は違った。
帝京大学法学部にトップ合格し、国家総合職を首席で通過。
警察庁に採用された時点で、俺の将来は“霞が関の幹部候補”として既定路線だった。
初任地は警備局──予定通りの机上業務。
だが、その後、“現場経験”という建前で警視庁公安部に一時出向となった。
誰にでもある研修扱いの数年──そのはずだった。
だが、違った。
任される任務は次第に増え、やがて外事、危機管理、対テロ部門まで経験することになった。
最年少で小隊を任される立場となり、ある事件で下手に活躍してしまったことが決定打となった。
そのまま官僚の権限を維持したまま、公安現場の統括という異例の任務を任されることになった。
皮肉な話だ。
俺自身、机上で調整するより、現場の方が肌に合っていた。
無駄を削ぎ、目的だけを遂行する公安の仕事は──“合理”の塊だった。
そのまま本庁に戻ることなく、11年が経った。
特例措置で自衛隊の特殊部隊訓練にも参加した。
「本庁所属の実働官僚」──そんな立場が、自然と形作られていった。
とはいえ、経歴上は“あくまでキャリア官僚”。
公安に片足を突っ込んだまま警察庁に籍を置き続けるという、
日本の行政組織では極めて異質な存在だった。
──まさか、それが今回のような場面で役に立つとはな。
〈シンフォニア〉案件は本来、俺の担当ではなかった。
だが、辻本が会見を開き、そして姿を消したことで、空気が変わった。
誰も事件に触れたがらず、報告書の末尾に名前が載っていた──ただそれだけで、俺に責任が押し付けられた。
まるで、“何もしない者”こそが最も安全だと言わんばかりに。
──この国の官僚制度は、時として“最悪の選択肢”を採る。
だが、俺は折れなかった。
むしろ、それを“制度の隙”と見て、逆に利用した。
提出した条件は4つ。
・全データベースの閲覧権限開放(公安・警察庁・防衛省含む)
・一時的な職位引き上げと現場指揮権限の明文化
・直属補佐として公安より4名の実働要員を選抜
・装備・予算面での制約解除(SAT基準含む)
これらは、すべて内閣情報官経由で正式に承認された。
表向きには「有能な部下に丸投げしただけ」という体裁。
だが、裏では──「前崎を潰すわけにはいかない」という本音が働いていた。
段ボールに遺品を詰め終え、最後の引き出しに手をかけた。
その奥に、セロハンテープで貼り付けられた一枚の封筒があった。
「……これは──」
開こうとしたそのとき、背後から声がかかった。
「前崎さん、ちょっとよろしいですか?」
反射的に封筒を隠す。癖だ。
一ノ瀬は気づいていないようだった。
「人選、決まりました。面通しさせます」
入ってきたのは、3人の男と1人の女。
資料で目を通していたが、まさか本当にこのメンツが集まるとは思わなかった。
「左から──警視庁公安部・第六課(対特殊事案)より出向、黒岩隆盛 警部補」
「黒岩です」
195cmの巨体。筋肉の密度が異常だ。
元SAT制圧班。都市型掃討戦のエキスパート。
「同じく公安六課、狙撃班チーフ・高宮省吾 警部」
「高宮です。よろしく」
身長180台前半。右肩に偏った筋量。
愛銃はM700カスタム。SAT在籍時、射撃全弾精密命中の記録保持者。
「警視庁公安部・第五課(対情報工作)より、東雲ありさ 巡査部長」
「東雲です。よろしくお願いします」
160cmほどの細身。だが無駄がなく、機敏な目をしている。
諜報・爆破・浸透工作のプロ。
「公安部情報一課・監視技術担当、山本司 技術官」
「山本と申します」
色白で細身。メガネの奥に沈着な視線。
公安初の情報専門職。通信傍受、サーバ追跡、映像解析に特化。
一通りの紹介を終え、一ノ瀬が一歩前へ出た。
「──改めて、一ノ瀬尚弥です。公安部対特殊事案課所属。今回の特任班では、現場指揮と実務全般を担当します」
そして、わずかに身を引き、俺へと視線を送った。
「全体の統括は──こちらの前崎さんです」
部屋の空気が一変した。
形式ではない、本気の評価が注がれる。
“この男に命を預ける価値があるか”──それを全員が探っていた。
俺は一歩前に出て、静かに名乗った。
「前崎英二。三十五歳。警察庁警備局公安課所属。
職務上は官僚──だが、今この場でその肩書きは意味を持たない」
言葉に迷いはなかった。
「率直に言おう。この任務は、国家の失敗の後始末だ。
成功しても名は残らず、失敗すれば俺たちが責任を取る。
ハイリスクで、リターンは期待できない。──降りたい者がいれば、今のうちに言え」
沈黙。誰も動かなかった。
「ここに立っている時点で、その覚悟があると認識する。
これより先、任務を途中で降りることは許されない。
以上だ。──君たちを使わせてもらう。よろしく頼む」
「……御免」
黒岩の拳が、空気を切った。
──予想通りだ。
肘で流し、手首を返し、一瞬で黒岩の体を制圧。
背後から関節を極め、床へ叩きつける。
「ぐっ……!」
そのまま、膝を顔面寸前まで落とし──止めた。寸止めだ。
「……格付けは済んだか?」
「……申し訳ありません」
黒岩が立ち上がる。背後で、高宮が苦笑した。
「すみません、前崎さん。『官僚に命は預けられない』って、頑なでしてね」
「合理的な疑問だ。だが、言ってわからんなら──身体で教えるしかない」
俺は黒岩を一瞥し、続けた。
「……それが、現場だ」
「──通称、“暴力官僚”ですからね」
一ノ瀬が肩をすくめて笑う。
「アネア人のショッピングモール占拠事件。あれも、前崎さんでしたよね?」
山本が口を挟んだ。
前崎は薄く笑い、静かに返した。
「責任を取りたがらない上司のケツを蹴飛ばして、俺が指揮を執っただけだ。
それに従った部下が優秀だった──それに尽きる。
手段には文句も出たが、始末書で済んだ。結果は称賛されたし、法制度もひとつ変わった」
淡々とした声に、妙な説得力があった。
「ただ、それが“前例”になっちまった。
今じゃ官僚の看板を背負ったまま、公安で現場を動かしてる。
最近じゃ後輩にも、“お前も前崎を目指せ”なんて無責任なこと言われて、潰れそうだって相談されたよ」
わずかに間を置いて、目を伏せる。
「……だけど今は、それが唯一のメリットだ。お前たちも、存分に俺の権限を使え」
そのとき──
「ま……前崎さん! 大変です!!」
勢いよく扉を開けて飛び込んできたのは、数日前に採用されたばかりの新人だった。
「……おい、お前このフロアのアクセス権限持ってないだろ」
「それどころじゃありません! 国会議事堂で──犯行声明が出ました!」
空気が、凍りつく。
これが、“前崎班”結成の──たった一日目の出来事だった。