File:051 連携×戦術
一ノ瀬は完全に押し込まれていた。
ケンが間合いを詰めてくる。
斬撃の軌道を見切って距離を取ろうとすれば、今度は背後からジュウシロウのミニガンが容赦なく火を噴く。
ジュウシロウへ向かおうとすれば、ケンが進路に割って入り、刀を閃かせる。
絶妙な連携――だが、それはあくまで二人の阿吽の呼吸ではなく、徹底した分業と計算による“戦術”だった。
完全なヒット&アウェイ。
敵に思考の隙を与えず、攻めも退きも最短経路で遂行する、戦場を効率で捉えた動き。
ケンにとっても、ジュウシロウにとっても、それは感情のない“作業”に過ぎなかった。
(前崎様は優秀だと言っていましたが……正直前崎様には遠く及びませんね。)
ケンの脳裏に、かつて本気で刃を交えた“本物”の記憶が蘇る。
前崎英二。
あの男であれば、迷わず己の身を盾にしてでも相手を仕留めに来た。
差し違える覚悟、捨て身の判断、迷いのない刃――。
この男・一ノ瀬には、そのいずれも欠けていた。
ジュウシロウも同じことを感じていた。
(やっぱり……前崎さんの劣化版だ。
あくまで誇大広告だ。
なら、このまま押し切れる!!)
だが、その油断が命取りとなる。
突如として、ジュウシロウのミニガンの回転機構から「異音」が響いた。
一瞬にして銃弾の流れが狂い、火花が走る――
「なっ……!?」
ありえない。
ミニガンの回転軸に、スナイパーライフルからの一弾が吸い込まれていた。
ただの狙撃ではない。回転速度と角度を読み切り、“運”すら射抜くような一撃だった。
次の瞬間、駆動系を巻き込んで、ミニガンは破裂。
ジュウシロウが思わずバランスを崩す。
その隙に、ケンの意識も一瞬逸れた――
「ぐっ……!」
視界の端から、雷のような一撃が突き抜ける。
ケンの身体が、数メートル先まで吹き飛ばされた。
「一ノ瀬!無事か!」
「黒岩……さん……」
現れたのは黒岩。巨躯の公安エージェント。
その一撃は、先ほどまで一ノ瀬を翻弄していたジュウシロウとケンの“戦術”とは桁違いの“力”の暴力だった。
一ノ瀬の神経外骨格はもう限界寸前。
あと数十秒遅ければ、戦闘継続どころか、内部システムが焼き切れていたかもしれない。
「……なるほど。そちらの狙いは“時間稼ぎ”でしたか」
「動かないで!」
ケンが冷静に情勢を俯瞰する。
背後の声に目をやると、距離を取り銃を構えた東雲の姿が見えた。
迂闊に近づけば迎撃を喰らう、ぎりぎりの間合い。
「なるべく……そのまま抵抗してくれないと助かるんだがな。
どうする? ガキども」
黒岩が肩を鳴らしながら前進してくる。
その威圧だけで空気が重くなる。
ケンは素早く判断を下した。
そして、テレパシーカフス越しにジュウシロウへと語りかける。
『ジュウシロウ殿。撤退してください。できれば前崎様のサポートに』
『……いいのか?』
『ええ。ただし、スナイパーだけは警戒を怠らずに』
『……足、引っ張っちまったな』
『足を引っ張る? とんでもない』
ケンの唇が、仮面の奥でわずかに吊り上がる。
『――ただ、私は心の底から暴れたいだけですので』
その言葉と同時に、ケンは黒岩へと一歩、踏み出した。
仮面の奥の双眸が、燃えさかる焔のように揺れている。
真正面から――ケンが激突する。
黒岩の巨体に、まるで恐れも逡巡も見せず突っ込む様は、理性よりも欲求に従う“猛獣”そのものだった。
背後から放たれた東雲の狙撃も、彼に届くことはなかった。
まるで背中に目でもあるかのように、身体を捻り、頭部をスレスレでかわす。予測ではなく、“感覚”で撃ち抜きを見切っていた。
同時に、ジュウシロウが一瞬のバックステップから振り返り、全力疾走でその場を離脱する。
高宮のスコープが揺れる。
一瞬、ケンを追うべきかジュウシロウを追うべきか迷った。
その迷いが――命取りだった。
『……悪い! 一人、逃がした!』
『構わない。この“猿面”を潰す』
高宮が舌打ちした。
だがこの距離では援護射撃はできない。
黒岩に流れ弾が当たる可能性が高すぎた。
近距離の連携は練度がいる。
自衛隊ではあるまいし、公安には不得手だ。
必然、戦場は一対一の決闘へと移行する。
ケンが仮面越しに語りかける。
「あなたもそうですが、前崎様の周囲には優れた方が多い。
――レインボーブリッジの際、一撃食らわされたこと、今も覚えていますよ」
黒岩が唸るように笑う。
「アァ!? あのときのケンとかいうガキだな!
こっちは命がけで脱出ルート練ってる最中に、上からぶちかましやがってよ。
おかげで背骨がズレたわ!」
そんな状態でも自分に一撃食らわせた黒岩は称賛に値すると思う。
だからこそ容赦しない。
次の瞬間、両者がぶつかり合った。
回避と打撃を紙一重で繰り返す――それも、密着状態のまま。
だが、それはクリンチや組み技ではない。
絶えず動きながら、互いに急所を外しつつ攻撃を狙う、異常なまでの精度の格闘だった。
一般的な格闘理論では、黒岩のように体格差のある者が圧倒的に有利になるはずだった。
だが――
(動きが速すぎる……! しかも、完全に力を抜いてやがる。
攻撃の衝撃すら、最小限の脱力で流してる……!)
黒岩は確かに重い一撃を振るっている。
だが、ケンに当たらない。
当たったとしても、ほとんどダメージを通せない。
一方のケンも、決定打を打ち込めずにいた。
(……なぜ、組みに来ない?)
ケンは内心、首を傾げる。
これほどの巨躯であれば、組み技に持ち込んで関節を決めるか、押し潰すかすればよい。
だが黒岩は、あくまで距離を保ち、“打撃のみ”に徹していた。
――明らかに、ケンによる頭部への攻撃を警戒している。
(私の“武器”が、読まれている?)
ケンの武器は振動式メリケンサック。
脳を揺らすことに特化した武器。
初見で見抜けるわけがない。
それに先ほどいった黒岩がなぜか自分の名前を知っていたこと。
もちろん連絡がいった可能性もあるが思い出したような言い方ではなかった。
むしろ確認のようだった。
その瞬間、ケンの脳裏に浮かんだのは、ただ一人の名。
(……前崎様。あなた、私の戦闘パターンを、あちらに渡したのですね)
結論は明白だった。
自分の動きをここまで正確に警戒するということは――内部情報が漏れているということ。
それも、自分たちに対策可能な形で。
(……つまり、前崎様は完全に裏切った。
この私の戦闘スタイルを、マニュアル化された敵の教本にされたと)
それは失望ではなかった。
むしろ、事実を一つ知っただけの業務整理のような反応だった。
(帰還後、前崎様は処理対象です。
感情的な意味ではなく、メタトロンで彼の持つ戦闘データをすべて“奪う”という形で)
だがその前に――今、目の前の敵を越えなければならない。
時間はまだ十五分しか経っていない。
残り四十五分、テレポートが使用可能になるまで耐えきらねばならなかった。
ケンは一歩、さらに踏み出す。
「……前崎様に、あなた方の首を持ち帰れば、ショックで情報も引き出しやすくなるでしょうか」
そう呟くと同時に、神経外骨格の出力を上げる。
これまでは負荷を最小限に抑え、流れるような攻撃を繰り出すためのモードだった。
だが今、ケンはそれを切り替える。
肉体の限界を一歩超える領域――“制限解除”。
仮面の奥の眼光が、一層鋭く、禍々しく光った。
黒岩も拳を構え、即座に応戦に転じた。
この至近距離では、もはやナイフの間合いではないと判断したからだ。
だが、出力を上げたケンの動きは、さらにその一歩先を行く。
多重のフェイント。
身体の一部が動くたび、次に何が来るか読めない。
攻撃というより、視線と筋肉の流れを撹乱する情報撹乱の舞踏だった。
(……速い! いや、読めねぇ!)
黒岩が咄嗟に牽制のパンチを繰り出すが、それも空を斬る。
迂闊だった。
その拳をすり抜け、ケンが右腕を跳ね上げた。
(獲った――!)
ケンの打撃が、黒岩の顔面を正確に捉える。
この武器の貫通力なら、頭蓋を破壊し、脳を粉砕できる。
……はずだった。
だが、捉えられたのは逆だった。
次の瞬間、ケンの仮面に黒岩の拳がめり込んでいた。
「っ――!?」
強烈な打撃。仮面が砕け、破片が宙を舞う。
ケンの身体は吹き飛び、背後の木に全身を打ちつけられる。
衝撃で意識が白く霞む。景色がゆがみ、視界が点滅する。
(……なぜ、読まれた!?相手は反応すらできていなかったのに…!?)
思考が追いつく前に、訓練された体が自動で動き始める。
避ける。反応する。逃げる――無意識のレベルで命を繋ぐ。
直後、狙撃の銃弾がかすめたが、身体が勝手に避けていた。
それほどに、この状況は“想定外”の連続だった。
揺れる意識のまま、ケンは顔面を触れる。
――仮面が、ない。
その姿を、一ノ瀬が真っ直ぐ見据えていた。
「……そんな顔してたんだな。お前」
言葉はただの観察に聞こえた。
だが、ケンの内面には、踏みにじられた怒りが一気に燃え上がる。
鼻の皮膚は爛れ、骨の輪郭が露出している。
かつて炎に焼かれたその顔は、人間としての形をすでに捨てていた。
不動でさえ、ここまで酷くはない。
(下に見やがったな……?)
その瞬間、ケンの内なる理性が断線する。
「ッ……!」
表情の消えた能面のような顔で、ケンが一ノ瀬に突撃する。
それは、これまでとは次元の異なる速度だった。
肉体の損傷も、神経の限界も、すべて無視した――感情による暴走。
予想外の標的変更に黒岩も反応できなかった。
一ノ瀬に向けて、破壊の衝動をそのまま叩き込む。
だが、その動きすらも――読み切られていた。
バシュッ――。
「なっ……!?」
足元に仕掛けられた極細ワイヤーが、ケンの足首に絡みつく。
その一瞬の引きで、バランスを崩し、前方に思い切り転倒する。
前もって一ノ瀬が設置していた。
ワイヤーは何かと工作には便利なのである程度携帯していたのが功を奏した。
普段の礼儀正しい口調も吹き飛ぶ。
「何っ……!?」
顔面から地面に激突。
その背中に、すぐさま一ノ瀬が跳びかかる。
ケンの動きを完全に封じ込め、その首元に意識を刈る打撃を叩き込んだ。
視界が暗転していく中で、最後に聞こえた声が、頭蓋に響いた。
「――感情的になった方が、負けなんですよ」
仮面の奥で、微かに燃えていた焔が、闇に沈んだ。