File:047 不動明
「――不動のやり方だな、これは」
前崎はそう呟いた。
妙に皮肉の効いたこの状況は、あの男にしか描けないシナリオだ。
公安内部でも異質とされていた男、不動 明。
暴力団への潜入捜査中に全身を火で焼かれ、それ以来、彼は極端な国家管理主義者へと傾倒していった。
いわば「生き残った左翼」――だがその思想は、国家という看板を得てからはむしろ“合法的狂気”に近かった。
国会議事堂占拠事件の後、前崎が推し進めた少年法の改正案も、不動が政治家たちを裏から扇動して成立させたと聞いている。
今が“その時”だと判断したんだろう。
総理が不在。国家中枢の統制が崩壊している今こそ、思い通りに動けると。
銃か、脅迫か、それとももっと直接的な何かで――
政治家を無力化しなければ、あんな衛星兵器(焦陽)をレンタル名義で日本が使えるわけがない。
「いや……前もって仕込んでいた可能性もあるか」
前崎の額に汗が滲んだ。
「冷静に考えれば、不動は撃たない。
“交渉のカード”として使うはずだ――」
理屈ではそう理解していた。
だが、それでもなお、ルシアンに感情的に詰め寄ってしまったのは――
「……今が“撃たれてもまったくおかしくない状況”だからだ。」
前崎は深く息を吐いた。
選択肢が急速に消えていく中、思考だけが加速していた。
(……まだ、その時じゃないんだ。まだ、動くべきタイミングじゃない)
そんな中、ルシアンが姿を現した。
『君の読み通りさ。調べたら“焦陽”とやらはすでに発射準備完了状態にある。
防ぐ手段は――一応、あるにはあるけどね』
「防ぐ?……退却だろ?」
前崎はホログラム転送装置の存在を念頭に置いていた。
仮に焦陽が撃たれても、転送で肉体を一時的に飛ばせるなら、被害は最小限に抑えられるはず――。
『……油断したよ。特殊な電波障害が発生している。
それも、かなり強力で広範囲なタイプだ』
ルシアンが悔しげに唇を噛む。
「……国会議事堂の時に、お前が最初に入れなかった理由か」
『そうだね。
あの時は“電波妨害があるかどうか”を事前に調べて突入していた。
内側から解除する予定だったけどね。
だが今回は、逆にそれを檻として利用された。
転送で逃げることができないのは痛いね……』
前崎の背筋に冷たいものが走る。
(……俺が焦陽の存在を確認した直後に、妨害が発動した。タイミングが完璧すぎる)
『しかも、ここは見ての通り埋立地だ』
ルシアンが窓の外をちらりと見た。
『撃たれて守れたとしても、構造が耐えられる保証はない。沈むぞ、このまま』
「……完全に、あっちのペースか」
前崎は静かに認めた。
だが、こちらにもまだ“カード”は残っている。
『例の人質3人だね。
あの場に自ら“仲間に入れてほしい”と頭を下げてきた連中――
吊しておいたのが、思ったより役に立ったよ』
「皮肉なもんだな」
『もっと“使える駒”を確保しておくべきだったかもね』
ルシアンが天井を見上げるようにため息を吐く。
その場にジュウシロウがやってきた。
「広範囲型の電磁バリアの設置、完了しました。
お話を聞いたのですが、転送が使えないなら、散開して逃げるというのはどうでしょう?
転送が無理でも、建物を分散して使えば直撃は避けられるかもと思ったんです」
『愚策だよ』
「同感だ」
「えっ? なぜですか?」
ジュウシロウは自身の提案にある程度の勝算を感じていたが、
すぐに前崎が代わって説明した。
「サテライトキャノンが地上に届くまで――0.1〜0.2秒。
逃げるために動きを見せた瞬間に撃たれる可能性が高い。
しかも、3kmを0.1秒で駆け抜けられる人間なんていない」
「……なるほど」
「加えて、3km圏外にはおそらく銃を持ったスナイパーが待機している。
今は“人質がいる”か、“どう動くか予想できない”かで動けないだけだろう。
ただ、相手が相手だ……」
『相手って?』
「不動だよ。
公安史上、最も過激で最も理屈を超えた男だ。
あいつなら、ためらいなく撃ってもおかしくない。
だが何かしらコンタクトは取ってくるはずだ」
ちらりと、テレビ局の窓の外を見やる。
その向こう。
前崎が何の気なしに見つめた先で双眼鏡を覗く不動と視線がぶつかった。
「……見つけたぞ、前崎ィィ」
ただれた皮膚の隙間から唾が飛び、狂気がその目に宿っている。
すぐに不動はインカムへ報告を入れた。
「裏切り者が一匹と、餓鬼どもが数名。
あとは、全員“物言わぬ存在”だ。
だったら、選択肢は一つしかないだろ?」
『人質の3人は…?』
「誤差だ。テレビ局の職員として処理しとけ。損失報告に1行加えとけ」
「待ってください!!」
割り込んだのは一ノ瀬だった。
声が震えている。
「前崎さんは…どうするつもりですか!?」
不動はその言葉に微塵の揺らぎも見せない。
「まとめて殺す。覚悟を決めろ」
そのセリフには悪意すらなかった。
あまりにも淡々とした言い回しに、逆に一ノ瀬は怯んだ。
「公安なら、常に死ぬ覚悟くらいしておけ。
官僚でいたら良かったものの、こっち側の世界にわざわざ入ってきたんだ。
ガタガタ今さら抜かすんじゃねぇよ」
不動は一歩も引かず、アタッシュケースの中のスイッチに指を伸ばす。
「こういうのはな。躊躇った瞬間に、全てが崩れるんだよ」