Fail003 記者会見
事件発生から三週間。
沈黙の闇を裂いたのは、一本の動画だった。
匿名アカウントによって無料動画サイトに投稿されたその映像は──
カジノリゾート〈シンフォニア〉襲撃の記録だった。
そこに映っていたのは──
有名起業家が未成年に手を伸ばす姿、
カジノ幹部が資金洗浄を指示する音声、
外資系重役がリゾートを傘下のごとく語る映像だった。
顔、音声、位置情報、日付──すべてが明瞭だった。
だが当初、それらは“AIによる捏造”として一笑に付された。
理由は明快だった。
AI生成技術の進化により、真実と偽装の境界は既に消えかかっていたからだ。
特に“フェイクポルノ”──赤の他人の顔写真一枚から自動生成されるアダルト映像は深刻な社会問題となっていた。
SNSや卒業アルバムの画像から数十秒の映像が合成され、
人生を壊された若い女性たちが後を絶たなかった。
日本政府はこれを受けて法規制を強化。
「AI生成による実写映像は基本的に禁止」「合法なのはアニメーションのみ」という制限が施行された。
以降、人々の判断は単純だった。
「どうせフェイクだろ」
──しかし、次第に状況は変わり始める。
カジノでの“殺人ポーカー”。
音楽ホールでの無差別爆破。
子どもの冷凍遺体。
映像の異常なリアリティ、そして“その後”の報道の空白。
それは、ただのフェイクではない“何か”を示していた。
事態を決定づけたのは、貧困層からの熱狂的な支持だった。
「金持ちが裁かれている」
「声なき者が、声を手にした」
SNSでは転載と再編集が連鎖し、
AI検閲では止められない“群衆のアルゴリズム”が暴走した。
削除申請は数万件単位で送り出されたが、
それより速くコピーと転載が増殖していった。
発信元はタックスヘイブン経由。
法の手も、倫理も届かない。
まるで──かつての“漫画違法アップロード時代”の再来。
いや、それ以上だった。
情報統制に失敗した日本政府は、ついに国防総省の報道官──辻本昌司を会見の場に送り出した。
場所は官邸地下の記者会見室。国内外から数十の報道関係者が詰めかけていた。
セットのような壇上。予定調和のカメラワーク。
あらかじめ設計された“儀式”のように会見は始まった。
辻本は淡々と登壇し、用意された原稿に目を落とす。
手元はかすかに震えていた。
「それでは、質疑応答に移ります」
最前列の記者が手を挙げる。
「Q. カジノリゾート〈シンフォニア〉で、虐殺が行われたのは事実ですか?」
「A. 現在、関係各機関により調査中であり、詳細は未確定です」
「未確定? 900名以上の死者が出ているとの情報が流れていますが、これも“未確定”ですか?」
辻本は一瞬、視線を泳がせるも、すぐに表情を戻す。
「報告されている死者数についても、公式には確認中です」
「Q. では、未成年が売春に供されていたという報道は? 映像も出回っていますが」
「A. 同様に、現在調査中です。映像の真正性についてはAIによるフェイクの可能性も排除できません」
ざわめき。フラッシュ。空気が変わる。
「Q. 犯人の特定は? 既に声明を出している組織がありますが」
「A. 犯行声明の真偽についても確認中です。現段階で断定的な発言は控えさせていただきます」
「Q. ではいつ、真実が明らかになるのか?」
「A. 現段階では、申し上げられません」
次の記者がマイクを握った。
「──この期に及んで、“未確認”の一点張りで国民を納得させるおつもりですか?」
辻本の肩がぴくりと動く。
「子どもが死んでるんですよ? 責任者は“辞任”すれば済むとでも?」
「……煽らないでいただきたい」
「煽ってるんじゃない、“あなた方の沈黙”を代弁してるんです」
若い女性記者が立ち上がる。
「何か一つでも“確定した事実”を教えてください。でなければ、あなたはただの再生ボタンですよ」
辻本は原稿を見つめたまま、ふっと笑った。
「……そうですか」
「私は、ただ命令で報告しに来ただけです」
その声には怒りも、悲しみもなかった。
ただ乾いていた。疲れ果てた者の声だった。
「……あなたたちがそれを“知ってどうする”というのですか」
記者たちの顔に緊張が走る。
「アテネには、悪い報せを伝えた者は殺してよいという風習がありました。
報告には“生贄”が必要だった。……今のこの国も、そうですね」
彼は原稿を胸元で握りしめた。
「この国には、責任を取る人間はいても、責任を受け止める土壌がない。
誰かが壊れて初めて、それが“重さ”だと理解される」
ゆっくりと原稿を破り捨てる。
紙片が壇上に舞った。
「──報告した私が悪いというのなら、もう……どうとでもなれ」
そのまま彼は無言で壇を降りた。
数百万の国民が、その映像をリアルタイムで目撃した。
──政府は、何かを隠している。
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アダルトレジスタンス内部にて。
現時点で集まれる各部隊のリーダーがブリーフィングルームに集まっていた。
「“調査中、調査中”って、まるで答えになっていないな」
ジュウシロウが、吐き捨てるように言った。
「安全神話を誇ってた国が、“テロリストに屈しました”なんて言えるわけないでしょ」
カオリが冷静に補足する。
「プライドだけは一丁前にデカイからね」
ソウが鼻で笑った。
「……充電器だれか持ってない?」
最年少の少年、エルマーがノートPCを抱えてうろうろしていた。
「はい。これ。後で返してね」
アリアが笑いながら渡すと、彼は礼儀正しく頭を下げた。
そのとき。
『やあ、待たせた』
壁面モニターに、ボスのシルエットが映し出される。
全員が姿勢を正し、敬礼。
『まずは、各自よくやった。状況を説明する』
モニターにはSNS、配信サイト、炎上系まとめ──
〈シンフォニア〉関連の映像が急上昇入りしているのが見える。
『現在、都市部の貧困層を中心に我々への支持が拡大している。
だが、投票権を持たない者をいくら取り込んでも、意味は薄い』
『──だが、“世論”は明らかにこちらに傾いている』
『これから新たな作戦を実施する。
ジュウシロウ、君の黒の隊には、損耗が予想される』
「構いません、ボス。覚悟の上です」
『……よろしい。我々アダルトレジスタンスの次なる標的は──“国会議事堂”だ』
【その3日後】
辻本昌司は、自宅で遺体となって発見された。
傍には大量の睡眠薬と書きかけの遺書。死後72時間が経過していた。
──これは、“隠し通せなかった男”が背負った、最後の責任だった。