File:043 2人で
ジュウシロウがやってきたのは、カオリの家だった。
二年ほど共に過ごした場所。
けれど、今はもう他人の家のように感じられた。
記憶にある空気の温度も匂いも、すべてがわずかにずれている。
インターホンを押すと、しばらくしてカオリが現れた。
正直、玄関先に手紙でも置いて帰るつもりだった。
顔を合わせるのは、きっとつらいと思っていた。
けれど――目の前に立つ彼女の姿を見た瞬間、その選択が間違いだったとわかった。
カオリは何も言わず、ジュウシロウを強く抱きしめた。
「……ごめん。気づいてあげられなくて」
「俺が隠したんだ。あの時、施設の子どもたちがもっと酷い目に遭うかもしれなかったから……」
その言葉に、カオリの腕がさらに強くなる。
「生きてて、よかった……」
そのひと言が胸に刺さった。
気が緩んだわけじゃないのに、涙がこぼれ落ちていた。
だが――感傷に飲まれてはいけない。
俺は、もう決めたんだ。
「……俺、カオリたちとは別の場所で生きることにした」
カオリが腕を離し、顔を見上げる。
「……どういうこと?」
「俺たちの現状をぶっ壊した奴に――ついていく」
アレイスターのことを話した。
奇妙なやつだったこと。
どこか常軌を逸していたこと。
けれど、その中に揺るがぬ“芯”があったこと。
未知の技術を操り、本気で世界を変えようとしている人間だったこと。
話し終えたあと、カオリはため息混じりに呟いた。
「まるで詐欺師か、テロリストみたい」
「……かもな。でも、俺にとっては、初めて“本気の大人”だった」
「……今からでも遅くないでしょ?戻ってきなよ?」
その声は、懇願に近かった。
だが、ジュウシロウの心は揺れなかった。
「……もう、この国を、俺は信じられないんだ」
そう言って、彼女に背を向けようとした、その時――
「だったら、私もついていく」
「……お前、何を言ってるんだ!?」
「何言ってるのはこっちのセリフでしょ。
しかも――あんた、もう“殺人者”よ?」
カオリはそう言って、手に持った電子端末の画面をジュウシロウに向ける。
そこには、彼の顔にモザイクがかかった写真と、「殺人事件に関与か?」という見出し。
出典は、あの週刊焚春。
広島での放火事件でにジュウシロウを断罪しようとしたのも彼らだったはずだ。
すぐにはジュウシロウと断定されないが、見る人が見れば一発でわかる。
「カオリ……これ、いつから……?」
「昨日の夜。ネットに出回り始めたわ。
それと――私の父、医師会の会長……もう辞めたの」
「カオリの……お父さんが!?」
まったく知らなかった。
その事実に、ジュウシロウの頭が真っ白になる。
「ジュウシロウの故郷を焼き払ったことを止められなかった自責、
善意で進めた養護施設が裏では半グレに繋がっていたこと。
もう、耐えられないって……。
“正義”の皮を被った偽善者だった自分に、我慢ができなくなったのよ」
「……でも、それで辞めるなんて、そんな責任の取り方は……」
「無駄よ」
カオリは言い切る。
「……どういう意味だ?」
「5日前から、行方不明なの」
「5日間も……?」
「警察は自殺未遂を疑ってる。捜索願は出したけど、まだ何も進展はない」
カオリは目を伏せた。
小さく肩が震えているように見えた。
「兄は医者として安定した収入があるし、姉も大学を卒業して自立してる。
でも、私は……高校も危うくて、大学進学ももう難しいわ。
母親は父に全部任せてたから、“私にはもう無理”って、私のことを疫病神扱いしてきたの」
「……そんな……俺のせいだ」
心が締めつけられる。
自分が動いた結果、カオリの人生を壊してしまったのかもしれない――そんな罪悪感が全身を覆う。
「だから、責任取って」
カオリは笑顔でジュウシロウに問いかけた。
そう言われた瞬間、ジュウシロウの心の中の何かが崩れた。
「……わかった。一緒に行こう」
「よろしくね、ジュウシロウ」
カオリは微笑み、ジュウシロウの首にそっと手を回した。
そして、彼の唇に静かに口づける。
あたたかな光が、二人の体を包み始める。
何もかもを変える旅が、今、始まろうとしていた。
ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
「……というわけだ。アレイスター」
「いいとも。まったく問題ないよ」
アレイスターはいつものように湯気の立つお茶を口に運びながら、気楽そうに答えた。
内心では反対されるかと少しだけ構えていたジュウシロウだったが、拍子抜けするほどすんなり受け入れられた。
しかしカオリの視線は冷たかった。
「……この、コスプレ野郎がアレイスター?」
「ちょ、ちょっとカオリ!」
ジュウシロウが慌てて制止するも、カオリの口調は完全にケンカ腰だった。
「コスプレ野郎で結構。だがね、見た目で人を判断するのは知性の敗北だよ」
「見た目が明らかにヤバいから言ってるのよッ!」
カオリの怒りは収まらず、容赦なく足を振り上げる。
ドゴッ!!
まともに腹部を蹴られたアレイスターは、腕を出す暇もなく壁際まで吹き飛ばされる。
「ぐへぇ……!」
と、蛙のような声を上げて崩れ落ちた。
「本当にこの人が革命家? SNSでしか活動しない小学生の“意識高い系”を思い出したわ」
「……言ってやるなよ。たぶん、頭はいいんだ……たぶん……」
ジュウシロウが苦笑しながら言うと、アレイスターは床に転がったまま恨みがましい目でカオリを睨んだ。
「じゃじゃ馬女め……俺は戦闘要員じゃないんだ! ちょっと待ってろ!」
叫びながら、まるでゲームセンターの控え室のような部屋にコミカルな動きで走り去っていく。
──完全に雑魚キャラの立ち回りである。
五分後、再登場。
「来い! じゃじゃ馬女!」
威勢良く現れたものの、外見も装備も何も変わっていない。むしろ顔の決意だけが先走っている。
カオリは問答無用で、股間を目がけて蹴り上げた。
……が、アレイスターは今度は素早く防御してみせた。軽く身をひねって避けた上で、カオリの足を掴んで逆さに持ち上げる。
「ハハハハ!!これが大人の力だぁ!!」
「ちょっと!離しなさいよ変態!!」
カオリはスカートを必死に押さえるが、攻撃はできない。
アレイスターは勝ち誇ったように高笑いを上げていた。
──が、それも長くは続かなかった。
「……なにやってんだい?」
低く、冷たい声。
次の瞬間、ドアを蹴破って小さな影が飛来し、一直線にアレイスターを蹴り飛ばす。
綺麗なドロップキックだった。
「ぐへえっ!」
再び蛙のような断末魔と共に吹き飛ぶアレイスター。
現れたのは、金髪に青い瞳を持つ、白人の少年だった。
精巧な義肢のような光沢を持つ脚部。どう見ても普通の子どもではない。
「ダメだよレスター。セクハラは」
「おい、ルシアン!神経外骨格でドロップキックはやりすぎだろ!」
「神経外骨格を使って女の子を逆さづりにする奴が何を言うか、レスター」
ルシアンと呼ばれた少年は、ジュウシロウとカオリの方に目を向けた。
「ん? 二人? 保護対象の少年たちの話は聞いたけど、その女の子は?」
「彼女だよ、ジュウシロウの。……おまけだ」
「おまけ言うな!!」
カオリが反射的にツッコむ。
ルシアンは微笑んだ。
「歓迎するよ。女性メンバーは貴重だからね。じゃあ、自己紹介をしようか」
ルシアンは右手を胸に当て、指をそろえて礼をするような仕草を見せた。
「僕がこの組織――《アダルトレジスタス》の指導者。ボス・ルシアン。よろしく」
ジュウシロウとカオリは、言葉を失った。
この子どもが、ボス?
「……あんた、こんなガキにこき使われてんの?」
カオリがアレイスターを睨む。
「見た目に騙されんな。そいつ、数百年は生きてるバケモンだぞ」
「嘘でしょ……?」
「子供に年齢を聞くのは、世界共通で無粋ってもんだよ?」
ルシアンがひらひらと手を振って微笑む。
それは女性ではないかと思ったが突っ込む気力はなかった。
「……質問していい? あんたの“目的”って何?」
カオリがためらいなく訊いた。
「単純明快。国家転覆だよ」
ルシアンはためらいもなく言い放った。