File:035 ジュウシロウとカオリ
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カオリの案内で、ジュウシロウはバイクを走らせた。
住宅街の景色がどんどん洗練されていく。
やがて、整った街路樹と塀に囲まれた高級住宅地へと入った。
明らかに、場違いだった。
ジュウシロウのバイク音だけが、不協和音のように響く。
「……城かよ」
思わず口に出た。
それほどまでに、カオリの家は、彼の世界から遠かった。
何がこの少女にとって不満なのだろう?
ジュウシロウは本当に不思議に思った。
カオリは正面玄関には向かわなかった。
代わりに、裏庭の奥へと誘導する。
「こっち。
家族しか知らない地下の入り口があるの。
監視カメラも通らない」
地面の一角を開けると、そこには金属製の隠し床があった。
静かに開いた扉の中には、縦に続く梯子がのびている。
「降りて。私の後ろに続いて」
ジュウシロウは無言で従った。
梯子は思ったよりも短かった。
下りた先は、避難用の備蓄庫だった。
缶詰、非常用水、医療資材……一通りのサバイバル装備が整っている。
「こっち」
備蓄棚を抜け、狭い通路を進む。
その先にあったのは、無骨な自動ドア。
センサーが作動し、ドアが音もなく開く。
「……手術室?」
ジュウシロウの声が、わずかに驚きを帯びる。
「そこ、座って」
カオリは既にゴム手袋を装着していた。
迷いのない手つきで医療トレイを準備する。
「……なんだよこれ」
「腕、見せて。捲るよ」
袖をめくられると、そこには血の滲んだ傷痕があった。
さっきの乱闘で受けた裂傷だ。
「放っておいても治る」
「ダメ。今の時代、環境汚染で小さな傷から壊死することだってあるの。
下手すれば義手になっちゃうわよ」
そう言って、消毒液を染み込ませた綿を手に取る。
「なんというか……丁寧だな」
「家が医者の家系だからね。
私も、少しくらいは役に立ちたいのよ」
そう言って、傷口に絆創膏を貼る。
それには小さなハートのマークが描かれていた。
「……この絆創膏、ちょっと恥ずかしいな」
「じゃあ……」
カオリは一瞬迷ったあと、その絆創膏にそっとキスをした。
「……っ!」
ジュウシロウは言葉を失った。
何が起きているのか、うまく理解できなかった。
カオリは顔を赤らめながら、ジュウシロウの膝にそっと座る。
「私……自殺しようとしたんだ」
「……」
唐突な言葉。
だがジュウシロウは黙って耳を傾けた。
「勉強、うまくできなかったの。
医者の家系で……兄も姉も全員、超一流の大学に進んでて……私だけが落ちこぼれで」
声が震え始める。
「もう全部嫌になって、逃げ出したくて……夜の街に出たの。
でも、怖くて。こんなに簡単に、命って奪われそうになるんだって……知らなかった」
ポタリと、涙がこぼれた。
「ごめんね。会ったばかりなのに、こんな話」
しばらくの沈黙のあと、ジュウシロウが口を開く。
「……なんで、勉強ができないと自殺しようと思ったんだ?」
「え……だって、大学に行けなかったら……馬鹿にされるし」
「馬鹿にされたら、なんで死ぬんだ?」
その問いに、カオリは言葉を失う。
自分の“絶望”が、いかに脆弱な価値観に縛られていたかを、思い知らされた。
「……あんた、学校は?」
「行けなかった。母さんは強制送還されて、家は……燃やされた」
「え……」
カオリは返す言葉を見つけられなかった。
ジュウシロウは続ける。
「だから、お前が何にそんなに悩んでたのか……正直、俺には分からない。
でも、分からなくて悪かったと思う」
カオリは自分の世界の狭さを恥じた。
それと同時に──この少年に興味が湧いていた。
「ジュウシロウ。……あんたのこと、もっと教えてよ」
「……語るほど立派な過去じゃない」
「それでもいい。……ついてきて」
カオリはジュウシロウの手を引き、2階の自室へと連れていく。
そこは可愛らしく、穏やかな空間だった。
「ここ、私の部屋」
彼女はベッドの脇で立ち止まり、ふと振り返る。
そして、ジュウシロウを抱きしめた。
「さっきまでは……死んでもいいかなって思ってた。
でも、あんたの話聞いて、ちょっとだけ、生きてみたくなった」
「……そうか」
ジュウシロウは、されるがままに受け入れた。
「……ねえ、お願い」
カオリは、ベッドにそっとジュウシロウを押し倒す。
「……抱いて」
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朝が来た。
カーテン越しに差し込む淡い光が、部屋の静寂をゆっくりと染めていく。
隣では、カオリが気持ち良さそうに眠っていた。
整った呼吸、揺れるまつげ。まるでこの瞬間だけ世界が止まったようだった。
ジュウシロウが見つめていると、カオリがゆっくりと目を開けた。
昨夜、語り合ったことが頭をよぎる。
──自分の人種、焼き払われた故郷、カンフーを教えてくれた師匠。
そして、メディアに利用され、SNSで指名手配のように晒されたこと。
最後に、小さく呟いた。
「女性と関わったことなんて、一度もなかった」と。
カオリは笑っていた。「ああ、やっぱり。なんとなくそんな気がしてた」
彼女もまた、初めてだと恥ずかしそうに告げた。
ジュウシロウがプレイボーイだと思っていたのは、体格が大きいから。
「理由になるのか、それ……」とジュウシロウは苦笑した。
彼はそっとキスをする。
互いに、心が満たされていくのを感じた。
──こんな時間が、ずっと続けばいい。
それは、10代の甘くて儚い希望だった。
だが──その静寂は、突然破られる。
ガチャ──。
玄関の開く音。
「……ただいま」
男の声。
低く、抑えたトーン。
だが明らかに家の主のもの。
「敵か?」とジュウシロウが警戒する。
「違う……パパよ」とカオリ。
階段を登る足音が響いてくる。
「どうする?」
「……布団の中に隠れて!」
カオリはジュウシロウの体を布団へと押し込む。
狭い空間に、二人の体が密着する。
ありえない体勢だった。
コン、コン。
「カオリ、入るぞ」
「な、なに……?」
扉が開く。
姿を現したのは、スーツ姿の初老の男だった。
鋭い眼光、落ち着いた物腰。それが、カオリの父だった。
彼は娘の姿を見て、すぐに眉をひそめる。
「お前……こんな時間まで寝ていたのか」
「まだ9時よ。別にいいじゃない」
「学校はどうする。将来どうするつもりだ」
「……もうどうでもいい。戻るつもりはない」
「……ふざけるな。後悔しても知らんぞ。勝手にしろ」
バタン、と荒く扉が閉まる。
「……仲、悪いのか?」
ジュウシロウが布団の中で問う。
「いつも通りよ」
「……父親って、あんな感じなんだな」
「何それ」
「俺、知らないんだ。父ってものを」
「……で、感想は?」
「もっと優しいもんかと思ってた」
「夢見過ぎよ」
カオリは布団から出て服を着始める。
床には二人の衣服が無造作に散らばっていた。
そのとき、カオリの手が止まる。
──違和感。
ジュウシロウの服。
この部屋の中で、明らかに異質なそれが、父親の目に留まらないはずがない。
気づいた瞬間、それは現実となる。
ドン!!
勢いよく扉が開かれる。
そこには、ショットガンを構えた父親が立っていた。
治安維持のため警察が信用できない市民は届け出と高額な税金を払うこと、さらに武器に国家主導のGPSをつけることで合法的に持つことができた。
もちろん出力や威力に制限はあるが。
「カオリ、どきなさい」
「パパ!? なにして──!」
「こいつが……私の娘を誑かしたのか!」
銃口が、ジュウシロウに向けられる。
ショットガン──非殺傷だとしても、至近距離なら十分に致命傷になり得る。
ジュウシロウは、ズボンだけを履いた状態で、その銃を見つめていた。
「やめて、パパ! 彼は私を助けてくれたの!」
「黙れ!お前にどれだけ金をかけてきたと思ってる!」
怒声とともに、カオリを強く押しのける。
「余計な抵抗はするな。でないと──」
その瞬間、ジュウシロウが動いた。
ショットガンの銃身を蹴り飛ばす。
反動で父の体勢が崩れた瞬間、逆脚で鋭い前蹴り。
銃が、逆方向に弾かれ、床を滑った。
「……ジュウシロウ……!」
カオリが息を呑む。
父親は壁に背を打ちつけ、怒りに満ちた目で睨みつけていた。
ジュウシロウは跳ね飛ばしたショットガンをカオリの父親に向けていた。
「カオリ。俺はこの人を殺した方がいいのか?」
「え……?」
あまりに突飛な問いに、カオリが凍りつく。
「仲悪いんだろ? だったら、消したほうがいいんじゃないか?」
「……それは違う」
カオリはポロポロと涙を流しはじめた。
「ごめんなさい……パパ。私が出来損ないで……」
父は黙ったまま、聞いている。
カオリは俯いたまま、ぽつりと口を開いた。
「……彼、悪い人じゃないの。本当に」
父親は何も言わない。カオリは震える声で続けた。
「私、自殺しようとしたの。お兄ちゃんたちみたいになれなくて。
学校でも、家でも、居場所がなくて……」
父の手がわずかに動く。それでも彼女は話を止めなかった。
「でも……助けてくれたの。彼が」
その目がジュウシロウを見た。
「一緒に逃げたの。何もかも捨てて。それから……知ったの。彼のこと」
カオリの声が、少しだけ低くなる。
「家が町ごと焼かれたって。お母さんは……帰ってこなかったって。
ひとりぼっちだったって」
その言葉に、父親の表情が僅かに揺れる。
数秒の沈黙の後、彼はジュウシロウの顔を見据えた。
「……お前、広島の出身か?」
その問いに、ジュウシロウはゆっくり頷く。
「そうです」
「……中国人街の中にあった、インド系の小集落。まさか……あの火災で焼けた場所か?」
ジュウシロウは眉一つ動かさなかった。
ただ、静かに答える。
「ええ。全部、灰になりました」
その瞬間、父親の表情が微かに変わる。
「……あのとき、私は国会で『更地にする』と叫んだ議員たちを見ていることしかできなかった。」
口にした瞬間、自分の言葉に顔を歪めた。
「治安の名のもとに、あの街は消された。
だが、あそこには──お前みたいな子供も、生きていたんだな……」
父親は言葉を失ったように、その場に立ち尽くす。
ジュウシロウの目は、どこまでも静かだった。
怒りでも憎しみでもない。ただ、すべてを見透かすような、沈黙。
父親は、ほんの一度だけ、目を閉じた。
そして──
「……因果応報というべきか。廻り回ってこうなるか」
かすかに苦笑しながら、ジュウシロウの前に立つ。
「……早とちりしたのは認める。だが、娘をやる気にはならん。
部屋は……しばらく使っていい。
だが、“しばらく”だ。いずれは働け」
「……いいんですか?」
「……せめてもの、罪滅ぼしだ」
そう言って、父は静かに寝室へと去っていった。
今回で一旦ジュウシロウ回終わりです。
 




