File:028 優秀な後輩
ちょっと短めなのでもう今日一本投稿です。
前崎と一ノ瀬が初めて出会ったのは、もう八年以上も前のことだ。
現在、一ノ瀬は二十八歳。前崎は三十五歳。
時を遡れば、一ノ瀬は二十歳、前崎は二十七歳。
当時、前崎は公安への異動からまだ二年目。
一ノ瀬は帝京大学に在籍する、いわゆる“秀才の卵”だった。
だがその年齢差は、二人の関係において何の意味も持たなかった。
帝京大学は今も国内屈指の頭脳が集う場所だ。
一ノ瀬は現役合格を果たし、成績は常に上位。
自分は優秀だ――その自覚に疑いを持ったことはない。
だが、時代が変わっていた。
高騰した学費が“大学”のハードルを金で測るようになり、
学歴はもはや努力の証ではなく、“金で買える凡庸さ”の象徴となっていた。
社会が評価するのは、唯一性と成果。
「AIと共作した映像で1000万再生を記録した」
「個人開発したゲームが五億で買収された」
「独学で魚類の神経構造を解明して学術賞を受賞した」
「U-20の総合格闘技世界王者になった」
もはや“どこで学んだか”より、“何を生んだか”がすべてだった。
そんな時代において、一ノ瀬は“旧型の勝者”だった。
裕福な家庭で育ち、教育にも人間関係にも困らなかった。
格闘技の経験もあり、友人も恋人もいた。
疑問すら持たず、真っ直ぐエリート街道を歩いていた。
──あの日までは。
大学四年の夏。
全国で活発化していた学生運動の波が、帝京大学にも押し寄せた。
スローガンは「大人たちが俺たちを搾取している」。
一ノ瀬は冷めた目で見ていた。
勝てないなら負けるだけ。
乗り越えられない者が悪い。
社会はそういう構造だ。
最初は、そう割り切っていた。
だが、運動はやがて暴力へと変貌する。
上級生たちは二年生以下の学生を、真夏の体育館に“監禁”した。
空調は切られ、飲食は禁じられ、排泄も制限された。
従わなければ暴力。倒れた女子学生が集団で襲われる事件も起きた。
見て見ぬふりをする者も多かった。
だが一ノ瀬は、その選択肢を捨てた。
行動を起こした。
だが監禁されてからとうに1日が経ち、すでに極限まで衰弱した体では敵うはずもなかった。
殴られ、蹴られ、打ちのめされる。
意識が朦朧とする中、一ノ瀬の行動が転機となった。
その瞬間、何者かが上級生に襲い掛かる。
それこそが前崎だった。
大学生に偽装して潜入していた彼は、
わずか二十秒で数十人の暴徒を沈黙させた。
一ノ瀬の意識が向けられた瞬間、
前崎はすでに、すべてを制圧していた。
その直後、公安連携部隊が突入。
首謀者たちは確保され、惨状は終わりを告げた。
腫れ上がった顔で、担架に乗せられる一ノ瀬の前に、前崎は現れた。
「……よくやったな」
その一言で、すべてが決まった。
一人の男が数十人の悪い奴をぶったおす。
少年漫画のような出来事だった。
現実離れしていた。
だが確かに、目の前に存在した。
──俺も、こうなりたい。
そう強く思った。
数日後、一ノ瀬はスーツを着て公安庁舎の前に立っていた。
「お礼に来ました。あと……職場体験させてください」
公安にそんな制度はもちろん存在しない。
だが彼は公安のセキュリティホールを独自(違法行為スレスレ)に洗い出し、
「これを直せます」と資料を持参していた。
帝京大という肩書きも手伝って、異例の“体験”が特例で許可された。
それに前崎が面白がって断らなかったことも後押しした原因だ。
その中で前崎が元国家官僚だったと知ると、一ノ瀬は迷わず目標を切り替えた。
国家総合職に合格。
そして初出勤の日、彼は言った。
「前崎さんの下で働かせてください。
……それが無理なら、この国の機密を片っ端から暴露します。
ついでに言えば、そのセキュリティですが僕が手直しした部分も多いので
──止めるのは難しいですよ?」
声音に冗談の色はなかった。
仮に冗談でも、公安にとっては“無視できない内容”だった。
だが誰もが直感した。こいつは本気だと。
結果、一ノ瀬尚弥は、前例にも制度にも収まらない形で、公安の特例ルートに配属された。
余談になるが、当時の採用担当は後日、関係部署から厳しく叱責を受けたという。
「なんでよりにもよって、あんな爆弾を通したんだ!」と。
だが蓋を開けてみれば、それは一ノ瀬の“想定内”だった。
彼は事前に、前崎に評価されやすい傾向と対策を徹底的に洗い出し、履歴書から筆記・面接の受け答え、すべてを“最適化”していた。
それを後になって聞かされた警視総監は、報告書を読みながら頭を抱えていた。
「前崎のルートを目指せ」──
そう言われるのは、ほとんどが皮肉であり、冗談だった。
だが、それを現実にした唯一の存在がいた。
前崎の足跡を辿り、踏み越えて見せた男。
やがて、組織の中でこう語られるようになる。
──前崎英二の唯一の例外。
──“例外中の例外”。
──忠誠と執着が表裏一体となった、組織最深部の危険因子。
ルールをねじ曲げ、常識を踏み破り、ただ一人で居場所をもぎ取ったこの男は、
組織にとって最大の誇りであり、同時に最も制御しがたいリスクとなった。
そして今。
かつて憧れた恩人に不本意とはいえ
刃を向けるその姿を八年前に誰が想像できただろうか。
ブックマークしてくださった方ありがとうございます!
今の今まで見方がわかりませんでした!
知らない機能がまだあるんですね…!