File:001 公安-前崎英二
前崎英二は無言でモニターを見つめていた。
彼は霞が関でも名の通った中堅官僚。
社内政治に長け、慎重に派閥の流れを読み、数十年を“無傷”で渡ってきた男だ。
しかし類まれなる才能から公安として現場で活躍することになった。
今もその背筋は曲がらず、表情ひとつ変えぬままに、衛星映像を繰り返し確認していた。
ただ、今の前崎はいつもの彼ではなかった。
背筋はわずかに丸まり、目の下には濃い隈が浮かんでいる。
机と床には空になった栄養ドリンクの瓶と、そのキャップが無造作に散らばっていた。
「いつも通り」であることすら、既に限界を超えていた。
映っているのは〈シンフォニア〉の湾岸ヴィラ区域──事件の次の日から3日後まで、天候は雨。
屋外に残された血痕や爆発物の痕跡のほとんどは、濁流に洗われて消えた。
この“雨”のせいで、物的証拠の多くが失われたのは確実だった。
人工島のため、雨が一定の傾斜をもって流れやすく、それが証拠消失を加速させた。
「……」
画面に映るのは、画質の粗いワイングラスを片手に笑い合うカップル。その頭部が唐突に弾ける。
狙撃、もしくは至近距離での精密射撃。
だが──“撃った者”はどこにも映っていない。
旧型のGEO-7型衛星は、赤外線と可視光の切り替え式だが──夜間、特に雨天下ではノイズが多く、“動き”すら拾えない。
それでも、ここまで“何も映らない”のは異常だった。
三週間経過した今も、〈シンフォニア〉内の全容はつかめていない。
生き残ったのは約900名。ホテル職員と一般観光客が大半だった。
ホテル地下にあった備蓄物資での延命が奇跡的に機能した。
また、ヘリでの生活物資投下が早期に実現したのも功を奏した。
しかし──彼らは一様に「何も見ていない」「急に爆発した」などと証言した。
背後から若い声がかかる。部下の一ノ瀬だった。
「報告をまとめました。現場調査の結果ですが……奇妙な点がいくつか」
「話せ」
「まず、リゾートエリアの一部──未成年の立ち入りが制限された高級区画に、子どもの足跡が大量に残されていました」
「……数は?」
「正確にはわかりませんが足跡から約63人と推察しています。サイズは12〜16歳に集中。中には9歳相当の足跡も」
「明らかに“子どもが入れないはずの場所”だな」
「はい。しかも、設置された地雷の周辺にも同様の足跡が見られました」
前崎は黙ったまま、指先で机をコツコツと叩いた。
「監視カメラは?」
一ノ瀬は図面を開いたまま、口を開いた。
「……監視網は、完全に沈黙していました」
前崎はモニターから目を離さずに返す。
「物理的破壊か?」
「それだけじゃありません。光ファイバーは湾外基礎の継ぎ目で切断。高圧配電線は島中央のメイン変電ユニットで焼き潰されてました。UPSもディーゼルも制御盤ごとアウト。予備燃料経路も全部破壊されてます」
「……要するに、電源も監視も“中枢一点潰し”で機能停止ってわけだ」
「ええ。しかもそれを可能にしてしまった理由が、これです」
一ノ瀬が図面の赤いマーキングを指した。
「制御系統、入退管理、監視、照明、警報システム、全部がここ──中枢管理室に集約されてました。都市型施設ではまずありえません」
前崎の眉がわずかに動く。
「冗長化どころか、一箇所依存……?」
「はい。現場の設計士によると、理由は“コスト削減”だったそうです。冗長配線や系統分離は全部見送られたそうです。最終報告にも、“機能重複の無駄排除”という名目で整理されています」
「ふざけてるな……」
「しかも──建築費は複数段階で“中抜き”されていた痕跡も出ています。資材費の名目が架空法人に流れていた記録が複数発見されました」
前崎は黙ったまま、机をコツコツと叩いた。
やがて、小さく言う。
「……つまり、安全を犠牲にして“金を吸い上げた”結果がこれか」
「はい。“一撃で全島を沈黙させられる設計”です。こういう構造は、“構造的ワンポイント・フェイラー”と呼ばれています」
一ノ瀬はタブレットを見せながら言った。
「つまり、一箇所を潰されると、全体が麻痺する設計です。
テロリストから見れば、ここを狙えばいいって“親切に示してる”ようなものです」
前崎は腕を組みながら目を細める。
「……まるで自爆スイッチだな」
「はい。普通なら、こんな設計にはしません。テレビ局や国防関連の施設では、まず採用されない構造です」
一ノ瀬は図面をめくった。
「例えば大手の放送局だと、制御系や送信系が全部分かれていて、それぞれが独立して止められる。占拠しても、片方を落としただけじゃ機能は止まらないようになってるんです」
「分散設計が当たり前ってことか」
「ええ。階層ごとに遮断できる設計で、外部からの制圧を非常に困難にしている。最低限、そういう設計にしないと国家資格すら下りません」
「……だが、この島は?」
「まるで最終的にすべて“沈めてしまえ”と言わんばかりに、最初から“壊されることを前提に”作られたとしか思えません」
「監視ドローンは?」
「上空監視用のドローン群もEMP攻撃の影響を受け、すべて機能を停止していました。記録装置は磁気破壊され、回収データはゼロです」
「……例外はあったか?」
一ノ瀬は別のタブレットを開いて、図面を指さした。
「──ひとつだけ、病院棟です」
「やはりか」
「はい。病院棟だけは完全に独立したインフラ構造でした。
電源、監視、通信、非常遮断層すべてが他施設と分離。さらに、非常用電源は3系統──UPS、ディーゼル、手回し発電機まで備えていたことが確認されています」
「設計ポリシーそのものが違うというわけか」
「ええ。ただこれは“法的な義務”によるものです。
災害時の医療機能保持を前提に、現行法で予備電源の常備が義務付けられていました。
さすがに医療施設だけは“抜けなかった”んでしょうね。中抜きの対象からも外されていたようです」
前崎は鼻で笑った。
「倫理じゃない。法律があったから生き残っただけか」
「はい。裏を返せば、それ以外の全施設は“義務がなかったから削られた”んです。
建設費の見積もりには正規額が記載されていましたが、複数の段階で中間業者が挟まれ、最終的に監視系や配線工事費は“予算未執行”扱いになっています」
前崎の指が机をコツコツと叩く音が止まった。
「つまり、法の網が届かなかった領域では“安全より利権”を優先した結果……このザマか」
「ええ。中枢一点集中、系統分離なし、非常用電源なし──
通常ではあり得ない設計です。いっそ“破壊される前提で設計された”とすら思えるレベルでした」
「地雷は?」
「アヌセルタス社製。爆発物の火薬成分も一致しています」
「関係者に死者は?」
「はい。執行役員ニコラス=スミス。遺体はプライベートカジノの中であり一斉掃射を受けており明らかに殺されたことが確認できました。身元もかなり損傷していて特定に遅れました」
「つまり、武器は“持ち込まれていた”。確定だな」
「はい。加えて、地雷と爆弾を設置した際の足跡が数か所ありましたがほとんどが子どもサイズでした」
「……子どもが地雷を? 本気で言っているのか」
「“直接地雷設置に関与した”とは断定できませんが、少なくとも“いた”ことは確実です」
「利用された、あるいは……主犯だと?」
「どちらも否定できませんが前者の方が可能性が高いと思われます」
一ノ瀬が間を置いたあと、声を落とした。
「別件で重大な報告がございます」
「言え」
「ホテル地下にて、行方不明になった未成年の個人情報書類と思わしきものがありました。加えて冷凍保管された未成年の遺体があり、複数体──生殖器や臓器を摘出されていました」
「それは…つまり」
「未成年の人身売買、あるいは“管理された売春施設”として〈シンフォニア〉が機能していた可能性が極めて高いです。
しかも──単なる性搾取ではありません。
摘出部位の処理のされ方から見て、何らかの“医療的・実験的な用途”に回されていた痕跡もあります。
明確に“商品”として扱われていたと考えるべきでしょう」
前崎の手が止まった。
しかし──表情は崩れなかった。
「国家の施設にそんなものが存在したら政権が吹き飛ぶ。だからそんな欠陥設計で作られていたわけか…」
「現状、公安の見解も“事故または組織抗争”として処理しようとしています」
「記録は取っておけ。公にできなくても、裏では動ける」
「……承知しました」
「マイナンバーでの照合はどうなっている」
「摘発した資料によれば、捜索願いが出ているもので4人。数十名は“登録自体が存在しない”か、“出生も死亡も記録されていない”未成年と一致しました」
「最初から“いないことにされていた”人間か」
「その可能性が高いです」
前崎はゆっくりと立ち上がり、窓の外を見た。
「一ノ瀬。ストックの栄養ドリンク、2ケース追加しておけ」
「……はい」
「調べ終わるまで、眠れん」
前崎はパソコンに向き直った。