File:026 新装備
「──以上が注文だ。対応できるか?」
前崎は抑揚のない声で言った。
内容は決して明かせないが、“仕掛ける側”の覚悟が滲んでいた。
オスカーは工具箱の脇に肘をつき、しばらく無言のまま前崎を見た。
「……明後日までにメンテ済ませりゃ、実用レベルにはなる。
だがな、公安。お前、それ……戦争でも始めるつもりか?」
「……あながち間違いでもないな」
その一言で、オスカーの顔つきが変わった。
油に汚れた指を拭いながら、少しだけ声を低くする。
「で、支払いは? 無職の公安崩れが現金持ってるようには見えん。
電子マネーは足がつくし、ウチも税務署とは折り合いが悪い。
“現金以外お断り”って札、まだ貼ってたよな?」
前崎は無言で内ポケットから一枚のカードを取り出す。
オスカーが思わず体を起こす。それは――
「……スイスか。プライベートバンクの黒カード。あんた、マジかよ」
「この口座から引き出せ。
パスワードと端末ID、それとログ消去済みのアクセスキーはここにある」
手渡されたメモには、細かいコードが几帳面に手書きされていた。
オスカーが思わず口笛を吹く。
「お前、スイスの引き出しまで段取り済みってか……ずいぶん用意がいいじゃねえか。
ここまでやって……本気で死ぬ気なんじゃないのか?」
「死ぬ気じゃない。やりきる気だ。
ただ、持ってても腐る金なら、使って腐らせた方がマシってだけだ」
前崎はそう言いながら、分厚い通帳を一冊放った。
オスカーはそれを片手でキャッチし、何気なく開く――が、眉が跳ね上がる。
ページをめくるたび、額面の桁が変わる。
「……いいのかよ、これ。注文の倍どころじゃない。
お前、この金があれば兵器工場一個買えるぞ?」
「それが狙いだ。
“使わない金”ってのは、墓に入る前の飾りにすぎない。
それより、金を動かして、お前に“動機”を与えた方が確実だ」
「……ほう?」
「俺は信用しない。
信用するのは“相手が得をする構造”が成立してる時だけだ」
前崎の目は微塵も揺れない。
それは使命感ではなく、既に覚悟を終えた者の眼差しだった。
オスカーは通帳を閉じ、ゆっくりと立ち上がる。
天井の蛍光灯がうなる工房に、わずかなため息が響いた。
「……合理的すぎて気持ち悪いな。
ま、仕事は受けるよ。ダミーだがホテル機能はある。地下の201、空いてる。
そこに3日分の備品と電源を通しておく。……過労死寸前の元公安は、まず寝ろ」
「感謝する」
短く礼を述べ、前崎は奥の暗い通路へと歩き出す。
背筋は伸びていた。迷いも、疲労も、後悔も見えない。
それは、ただ“準備を終えた者”の背中だった。
そして、前崎はは“最後の休憩”として、地下の仮設ホテルで3日間の潜伏生活を始めることになる。
――オスカーは律儀だった。
翌日の昼には、スイス口座からの全額出金が確認されたという。
報告はない。ただ、昼食に出されたのがやたら豪勢なラム肉ステーキでやら天然マグロの刺身だった。
しかもラム肉の香辛料が手に入りにくい中東系だったことで、前崎は察した。
「価値が等価じゃないと、気持ちが悪い」
オスカーはそう呟いて、調理用の手袋を外した。
その目は、物の価値と命の重さを天秤にかける商人の目だった。
そして、三日後。
地下201号室の扉が開く。
前崎は無言で立ち上がり、装備ラックの前に向かった。
──装備品一覧
《S&W M.T-R05》五連装リボルバー(サイレンサー内蔵)
公安特殊部隊仕様と元は同じもの。
型落ちだが、静音性と携帯性に優れる愛用品。
撃発圧を低下させる“指圧センサー式トリガー”を搭載。
《AKM-ZK Custom》強化型アサルトライフル(冷却ユニット搭載)
ロシア製AKベースに、アメリカの民間軍事工房が独自改修。
命中率と反動制御を極限まで高めた“暴発しない狂犬”。
弾倉はカーボン製マガジン×3本を携行。
《RAZOR-K02》高周波ナイフ ×2本(腰部スリット装着)
刃圧変化機構付き、神経系装甲にも通用する出力を持つ。
片方は切断特化、もう一方は刺突特化にチューニング済。
《NEX-FEET/4G-CORE》統合型神経外骨格ユニット(上半身)
NEX社第四世代の主幹神経制御エクソユニット。
脊椎と肩甲骨を軸に装着され、上肢の反応速度・筋出力・照準安定を強化。
独立アクチュエーターにより、重量武装の取り回しや射撃姿勢制御を補助。
《STEALTH》および《LOWER》ユニットと完全連携し、“瞬発強襲構成”への移行が可能。
《NEX-FEET/4G-LOWER》神経外骨格型下半身ユニット
臀部~大腿部にかけて装着する下半身補助骨格。
走行時の体幹安定、急停止、滑走回避などに対応。
入力ラグは0.02秒以下で、戦闘中でも違和感なく神経伝達を補正。
歩法・跳躍・制動の「動作記録」機能を備え、反復操作の最適化も可能。
《NEX-FEET/4G-STEALTH》神経外骨格型ブーツユニット(脚部)
第四世代の隠密型エクソブーツ。静音駆動+脚力強化を実現。
5メートル級の跳躍、無音ダッシュ、着地時の衝撃分散機能を持つ。
ソールは環境適応式で、使用者の歩幅・重心に応じて変形し、痕跡を残しにくい。
《CORE》《LOWER》との統合により、全身神経外骨格化が完了する。
小物類(収納ポーチ内)
・EMPマイクロカプセル ×3(通信遮断用)
・自己血液応急パック ×2(簡易輸血+凝固剤)
・音響撹乱ブザー《Cicada-1》 ×1(遠隔陽動用)
・変声フィルター内蔵型マスク(声帯の識別回避用)
・閃光音爆弾<小>×4
この装備を装着するのに10分もかからなかった。
このためだけに設計された人間の動作。それが今の前崎だった。
神経外骨格が接続されるたびに、微かな神経信号が脊髄を這う。
まるで別の生き物が身体に組み込まれたかのような、あの独特の感覚――
だが、今の前崎は、それすらも“感情”の外に置いていた。
出入り口には、オスカーが立っていた。
照明が薄暗いせいで、肩のムカデのタトゥーだけが奇妙に浮かび上がって見える。
「……また来いよ」
その声は、まるで旅立つ兵士にかける祝詞のようだった。
前崎は装備の隙間から淡く笑い、短く返す。
「次は、摘発に来るかもしれないけどな」
オスカーが口元を歪めた。
冗談とも脅しともとれないその言葉に、彼はあえて答えず、黙って見送った。
前崎はゆっくりと地上へ上がっていった。
秋葉原の夜は、まだ人工光に満ちていた。
だが、その空気には確かに「戦場の匂い」が混じっていた。
彼は夜に溶け、標的へと向かう。
誰もそれを止められない。
なぜなら、この日から彼はもう、“公安の人間”ではないのだから。
説明書的なものに需要があると嬉しい…。