File:024 前崎帰還
本日もう一話投稿です。
東雲は入院からわずか1日で退院した。
黒岩や高宮と違い外傷が特になかったからだ。
「…はぁ」
溜息が多い。
職場の雰囲気を下げないために別職場で仕事をさせてもらっている。
考えるのはレインボーブリッジ崩落時の対応だ。
前崎さんは私を助けるために全力を尽くしてくれた。
いくら公安だからといって訓練は受けているが訓練通りに行くわけがなかった。
落下中に慌てふためき、挙句の果てに意識を失った。
倒れた後に最後見たのは前崎さんがあの連中に連れていかれる所だけだった。
私は24歳でそれなりに可愛くてそれなりに優秀でそれなりにスタイルはいい。
本当だったら公安なんて入らなかった。
でも私が望む世界は他にはなかった。
金持ちに股を開く同級生たち。
消耗品のように扱われる後輩。
不正を働く犯罪組織にスケープゴートにされた先輩たち。
私はそれらすべてを摘発するために公安になった。
過去シンフォニアは当初未成年売春による摘発が行われたが上に却下されたことがあった。
正直、私は裏があると思っていた。
前崎さんのおかげでそのデータなどを見る権限を得れたが、シンフォニアは壊滅した後だ。
正直罪を償わせたかったが、レジスタンスが倫理を超えた制裁を下した。
それには感謝しているが法があってこその倫理なのだ。
しかも奴らは前崎さんを拉致した。
もう一か月になる。
そろそろ黒岩も高宮も本格的に復活する頃だろう。
今は一ノ瀬さんが前崎さんの代わりに働いている。
激務で倒れそうになっていた。
前崎さんは優秀過ぎると嘆いていたのを目撃した。
私はそのサポートで来たが「無理しないで」と一ノ瀬さんに言われた。
また山本さんにも「自分たちはレインボーブリッジで何もできませんでしたからここは私が」と譲らなかった。
黒岩さんと高宮さんは当初状態が悪かったらしい。
落下中に奴らに襲われたらしい。
相手はテロリストだ。子どもだからといって容赦はしてはいけない。
爆発物から銃器、未知の技術まで使うのだ。
それはもう犯罪国家を相手にしているようなものだ。
無意識にタイピングが荒々しくなる。
そこで思い出すのは命をかけて助けてくれた前崎。
「…カッコよかったな」
まさに前崎は理想の男を詰め合わせたような男だった。
最年少で出世、元官僚で公安というめちゃくちゃな経歴でさらに人間としても強い。
危機的な状況で私をお姫様のように助けてくれた。
完璧だった。
むしろ彼に靡かない人間なんていないのではないだろうか。
「…どうか無事でいて欲しい」
前崎はこうしている間にも拷問という拷問を受け続けていることだろう。
それなのに決定権がなく、しがらみだらけの組織では動けない。
私にできることは何もない。
徐に窓を見るとそこに影が出来ていた。
それはボロボロの服を着た笑顔の前崎だった。
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前崎の帰還は、すぐさま警視庁内を騒然とさせた。
東雲は信じられないという顔をした後、衝動的に殴りかかってしまった。
それが目の前にいる人物が「本物の前崎」だと理解したのは、拳が服に触れた瞬間だった。
綺麗に拳を受け流されたからだ。
だって一般人がそんな超人じみた動きができるわけないのだから。
「……っ、すみません……っ!」
動揺と安堵が入り混じったまま、東雲は前崎の胸に飛び込んだ。
制服の胸元を握りしめ、声を震わせる。
「心配させないでください……あと、助けてくださって……ありがとうございます……」
ぽろぽろと涙がこぼれ落ちた。
後からやってきたその様子を見ていた一ノ瀬は、呆れたように肩をすくめる。
「……何人の女を泣かせたら気が済むんですか、あなたは」
その言葉に前崎は何か言い返したくなったが──時代錯誤なことは言えない。
泣いたほうが悪い、なんて。
誰もが思っていても、口にはしない。
警察内部では、前崎が“拷問のようなもの”を受け、
すでに殺され、解体され、豚の餌になった──と、半ば信じられていたらしい。
拉致から1か月が経過していた。
転送技術の影響か、前崎の感覚ではそこまでの時間が経っている実感はない。
だが、どうやらあちらの世界とこちらの時間軸では、流れに“ズレ”があるようだ。
危険な技術であることは確かだが、同時に、そこに“付け入る隙”も見えてきた。
その後、東雲と一ノ瀬が、前崎の着替えを用意してくれた。
そして一言──「講堂でお偉いさんが待っている」と告げられた。
「……体調、大丈夫なんですか?」
東雲が不安げに尋ねる。
特に、包帯の巻かれた左腕を見つめていた。
「まあ大丈夫だ。行ってくる」
短くそう答え、前崎は一人、講堂へと向かった。
「……やっぱり、心配です。私、傍にいましょうか?」
その申し出を、一ノ瀬が静かに断つ。
「やめておこう」
その声音には、普段の柔らかさがなかった。
東雲はギョッとした顔をする。
「……前崎さんのこと、心配じゃないんですか?」
「心配だよ、もちろん。でも──」
一ノ瀬は、前崎から受け取った上着の内ポケットに手を入れた。
そこには、前崎班内で秘密裏に共有されていた、極秘の“隠しポケット”があった。
手順通りに探ると、手触りのある固形物──
それは旧式のUSBメモリーだった。
「……前崎さんは、ただ帰ってきただけじゃない。
僕たちに話せない理由があって、話せないことを抱えてる。
僕らが遠慮していたのもあるけど前崎さんは話さなかった。
なら、まず僕らがすべきことは──これを読み解くことだ」
「……はい」
そう答えながら、東雲はふと自分のポケットにも手を入れる。
無意識の行動だった。
そして──あった。
小さな紙片が、ジャケットの内側から指先に触れた。
「……これ……」
紙には、短い手書きの文字があった。
てんきがいい
意味不明の言葉だった。
けれど、東雲が一ノ瀬に見せたその瞬間──
彼の表情が、凍った。
「……東雲。急ごう。これは……想像以上に、前崎さんの状況が悪い」
一ノ瀬の声は、低く、そして迷いなく冷たい。
「……わかりました」
東雲は山本のもとへ駆け出し、
一ノ瀬は講堂へと、急ぎ足で向かった。
前崎の前に現れたのは、警視総監、総理大臣、副総理──
国家の中枢が、即座に集まれる限界ともいえる布陣だった。
「……いやぁ、ずいぶん偉くなったもんですね。そんな俺のことが、そんなに好きですか?」
前崎の軽口に、場が微かにざわめく。
だが、総理は沈んだ顔で応じる。
「君の活躍には期待していた。だからこそ、君が無断で姿を消した理由を──聞かせてもらいたい」
その言葉には、苛立ちと警戒が滲んでいた。
「いやあ、もうちょっと給料上げてくれたら考えますけどね。総理?」
冗談とも本音ともつかない口調。
総理の頬はやつれ、眼光は鋭いまま反応しなかった。
「……真澄はいたか?」
「いましたよ」
「……それで?」
「元気そうでした」
「……それだけか」
「ええ。それだけです」
その瞬間、総理の怒気がはじける。
「貴様、馬鹿にしているのか!? なぜ助けなかった!」
「助ける価値がない人間に手を伸ばす理由が、僕にはありません。
皆さんも、そう思いませんか?」
前崎が目を細め、見覚えのある顔に目を送った。
一瞬の沈黙の後──秋山警視総監が口を開いた。
「総理。彼は……“向こう”で何かあったようです。
しばしの猶予を、いただけないでしょうか」
「……この態度と何の関係がある?」
「であれば、彼をクビにでもしましょうか。
他にこの事件を扱える人間はいないと思いますがね」
「……くっ……!」
総理は歯を食いしばった。
「……ということで、もう帰っていいですか?」
前崎はひらりと肩をすくめ、秋山に視線を送った。
その目に、わずかに疲れと何かを訴えるような色が浮かぶ。
「……そうだな。本日の会議はこれで終了──」
「少し、よろしいでしょうか?」
静かに、扉が開く。
現れたのは、一ノ瀬だった。
「公安部・前崎の部下──一ノ瀬です」
深く一礼し、写真を取り出す。
「この件について、確認させてください」
差し出されたのは、前崎が東雲を抱きしめている一枚。
一瞬、場がざわついた。
「この女性は東雲ありさ。前崎の部下です。そして、私の直属でもある」
写真を前に、一ノ瀬は言葉を重ねた。
「……彼は失踪中、部下に対しセクハラを行いました」
前崎は目を閉じ、何も言わない。
「事実ですか?」
「……事実だ」
前崎の言葉に、総理が声を荒らげた。
「ほら見ろ!公安にあんな不埒者を任命したのが間違いだったんだ! 今すぐ摘み──」
その時、総理の言葉が止まる。
一ノ瀬が拳銃を抜き、机越しに向けていたからだ。
警視総監も即座に反応し、構えていた。
非常時を除き、武器の所持は禁じられている。
だが──一ノ瀬がその意味を理解していないはずがない。
「前崎さん。あんたは、部下を閉じ込めてでも、自由にしたかったんでしょうね」
「監禁どころか、24時間好きにしたよ。権力を好きに振り回してな」
「海外に高飛びして、逃げ切るつもりだったんでしょう」
「そこまでは考えてない」
「公安の女を口説き落とす秘訣でも教えてほしいもんですね。……女たらし」
「生まれつきさ。赤いドレスでも着せて、バラを1本添えてやれば完璧だ」
「35歳を過ぎてロリコンは犯罪者扱いされますよ」
「まあな。自覚している。
気に入っている女は他にもいる。
同級生が2人ほどいて困っている」
──すべてが、挑発であり、茶番だった。
一ノ瀬は視線を切り、警視総監に告げる。
「……彼には公安リーダーとしての資格がありません。
私に、彼と同等の権限を与えてください」
「……わかった。前崎」
秋山は、静かに言い渡す。
「君を懲戒処分とし、職務停止を命じる」
その瞬間、会議室の空気がわずかに変わった。
総理はゆっくりと息を吐き、視線を泳がせる。
不自然だったのは、前崎と一ノ瀬の間に一切の会話も、視線の交差もなかったことだ。
彼らはまるで“最初から無関係だった”かのように──
何も言わず、何も伝えず、会議室から別々の扉を使って去っていった。
もう100話ぐらい書いたわーと思ったらまだ24話でした。
…これからも頑張ります。




