プロローグ
※本作は、筆者にとっての初投稿作品です。
物語・構成ともに全力で取り組んでおりますが、至らぬ点もあるかもしれません。
あたたかく見守っていただけると幸いです。
※注意※
本作は現代社会の諸問題から着想を得たフィクションです。
教育、国家、企業、子どもたちの“現実と希望”を問い直すことを目的としており、特定の思想や暴力・犯罪行為を賛美・正当化・煽動するものではありません。
一部に暴力や社会的搾取を想起させる表現がありますが、問題提起を目的としており、閲覧には十分ご注意ください。
苦手な方は無理をなさらず、読了をお控えください。
『We will drag the adults down from their godlike thrones.』
僕たちは、大人を“神の座”から引きずり下ろす
──夜の大阪湾。その中央に、人工島〈シンフォニア〉は浮かんでいる。
潮風を切って光が跳ねる。
宝石を散りばめたような光景。地図上では存在していながら、現実感を拒む都市。
2035年、国家主導で建設されたこの島は、次世代の“経済特区”として位置付けられた。
だが完成から二十年。
その実態は、“選ばれた者のためだけに許された現実”と化していた。
政財界の支援を受けたカジノ企業、観光業、投資機構。
世界中の富裕層がここに集い、遊び、支配し、忘れる。
それがこの島、〈シンフォニア〉の本質だった。
橋を渡る車両は、すべてAIによって管理されている。
個人認証、犯罪履歴、資産情報──すべてが事前に精査され、
「島にふさわしい」とされた者のみが通行を許される。
“自由”ではない。“選別された自由”だ。
表面上は、煌びやかな都市だった。
中央にはメインカジノホール。周囲を取り囲むようにして高級ホテル群、人工海浜、美術館、医療棟、研究施設。
政府が開発を支援するため、「教育棟」や「文化交流センター」といった“公共性の高い施設”も形だけ整備された。
だがそれらは、誰のためでもなかった。
島内に存在する子どもたちは、客の“慰みもの”として輸入された私設孤児たち。
戸籍のない子ども、奪われた子ども、そして──忘れられた子どもたち。
名前も、記録も、外部には一切存在しない。
だが誰も、それを問題視しなかった。
なぜなら、この島に入れるのは“問題視する側”ではなく、“問題視されない側”だけだったからだ。
この島では、常識が沈黙し、欲望が法律になる。
“人間として扱われないこと”が、最初に課される試験だった。
それに合格した者だけが、この都市に存在を許される。
ここは楽園ではない。
合法的に悪夢を楽しめる場所──国家の夢が、最も濁ったかたちで結晶化した島。
その名は〈シンフォニア〉。
明かりの下で、人が消え、
チップで命が取引され、笑顔の下で涙が黙殺される世界。
そして今夜もまた、“神様”がやって来る──
──湾岸から島へと架かる一本の橋。
その上を、一台の黒い車が音もなく滑るように進んでいた。
車体はゼネクラヴァ社製の最新モデル「エクスノヴァ」。
防弾仕様、全自動制御、電磁ノイズ遮断加工──
一台数百億円を超えるその車は、〈シンフォニア〉の規格にさえ“オーバースペック”だった。
ナンバープレートはゴールドのフレームに収められ、こう刻まれている。
『 ZHANG WIN』
勝利を宿命とする者の名。
ゲートの前で車は自然と減速し、AIセンサーが即座に反応した。
〈VIP-ZHANG:確認。通行認証、オールグリーン〉
青い光が走り、バリアが無音で解錠される。
この島において、彼の存在は“誰にも拒めない”という前提で動いていた。
車がホテルの正面に滑り込むと、すぐにドアが開いた。
現れたのは、白いスーツを纏った長身の男──張。
その立ち姿には、武力でも権力でもない“確信”があった。
自分が世界のルールを上書きできるという自負。
相手が誰であれ、反論は“ノイズ”として処理できるという傲慢。
それが、彼の一歩一歩に滲んでいる。
「Welcome, Mr. Zhang.」
ホテルマンが素早く頭を下げた。年齢は若いが、動きに一切の迷いがない。
張は軽く口角を上げる。
「日本語でいい。もう覚えたからな」
中国なまりのない、流れるような発音。だが、言葉には温度がなかった。
「長く住んでるからな。今じゃ中国語の方が怪しいくらいだ」
「それは光栄です」
ホテルマンは礼儀正しく笑う。だが、その笑みの裏には沈黙があった。
この男に言葉を重ねてはいけない。そう、全員が理解していた。
「“特別室”、ご希望通りに用意しております。未登録の少女を一名。さらに──」
「今日は二人、だろ?」
張が言葉を重ねるより早く、ホテルマンが頷く。
「……はい。予定通り、二名。既登録のカノン、初登録のユーリ、共に手配済みです」
「いいね」
張は顎を小さく動かしただけで応じた。
それで十分だった。言葉も、命令も、この男にとっては“冗長”なのだ。
「日本の接客は凄いよ。こんなおもてなし文化はないからね」
ホテルマンは沈黙を返す。それが“正しい接客”だった。
張が歩き出すたび、床材がわずかに軋んだ。
世界の重心が、彼の足元にだけあるかのようだった。
彼は知っていた。
この島では、自分たちに逆らえる者などいない。
逆らった者は消され、従った者は褒められ、沈黙した者が生き残る。
──“現実”を最も知っているのは、自分だ。
それを確認しに来るのが、〈シンフォニア〉というわけだ。
そしてその夜、彼はいつも通り“神の部屋”へと向かっていた。
そこには、二人の少女が待っている──
しかしそのうちのひとりは、“奉仕”ではなく“粛清”のために、そこにいた。
彼の知らぬまま、物語は動き出していた。
──控室。冷房の効きすぎた白い部屋。
無音の空間に、時計の針が規則正しく響いていた。
カノンは、自分の両手をぎゅっと組んでいた。
爪が手のひらに食い込むほど力を込めて。
けれど、その痛みだけが今の現実を引き止めてくれていた。
壁際のラックには、何着ものドレスが吊るされている。
その中で選ばれたのは、白のレースドレス。
“あの人”が好む色だ。
カノンはうつむいたまま、ひとつ深く息を吐いた。
(……今日は、二人で相手をするらしい)
「張」
その名前が、今夜の“お客様”として知らされたのは昨日の夕方。
この島において、ただの客ではない。
上客中の上客として通称“神様”と呼ばれ、ホテルごと黙らせる存在。
──前に、張の機嫌を損ねた子がいた。
何があったかは誰も言わない。でも“いなくなった”のは事実だった。
転院と説明されたけれど、そんな場所はどこにもない。
恐らく"処理"されたのだろう。
(私は……消されない。消されるわけにはいかない)
そのとき、控室のドアが静かに開いた。
「……こんばんは」
入ってきたのは、年下の少女だった。
艶のある黒髪に、皺一つない真新しいドレス。
だがそれよりも、カノンの視線はその瞳に引き寄せられた。
──冷たい。
どこか、ガラスのような目をしていた。
「あなたが……ユーリ?」
「うん。よろしくね」
「……今日、一緒に?」
「そう。さっき言われた」
ユーリは部屋の真ん中まで来ると、何のためらいもなくカノンの隣に腰を下ろした。
カノンは戸惑ったまま、口を開いた。
「緊張……してないの?」
「してないよ」
「……相手、張なの。知ってる?」
ユーリは首をかしげるようにして、小さく答えた。
「知ってる。でも、初めて会う」
「……怖くないの?」
少しの間があった。
ユーリは、まっすぐカノンを見つめて言った。
「こわいって感じたら解決するの?」
カノンの背中に冷たいものが這い上がる。
(この子……壊れてるの?私もこうなってしまうの…?)
言葉の意味が分からないのではない。
──この子は、もう諦めている。
カノンは、そう感じた。
こういう目をした子を、何人も見てきた。
自分から終わらせようとした子もいた。
でも、それは許されない。
私たちは「商品」だ。
体内には生体デバイスが埋め込まれ、居場所も、脈拍も、全部、監視されている。
薬で動かされてでも、“役目”は果たさなきゃいけない。
壊れかけでも──“喜ばせる”ために使い潰される。
もし、オーナーに「もう不要」と判断されたら……
今度は“残酷なショー”の中で、別の意味で消費される。
それは、犬に喰われる方がマシだと思えるほどだった。
この島ではとても異物な目。
ユーリはカノンに見られていることはわかっていながら言葉を継がなかった。
黙って、膝に手を置き、まるで何かを“待っている”ような姿勢だった。
(私は、耐えるしかないのに……)
(この子は、違う)
カノンはうつむいた。
こわい、という言葉すら、この部屋では軽すぎる。
そしてドアの向こうから、低い電子音が鳴った。
──VIP張様の入室を確認しました。
カノンの手が震えた。
息を止め、唇を噛み、なんとか声を出さないようにしていた。
ユーリは無言のまま立ち上がる。
まるで、これから祈りを捧げるように。
──特別室。
この島で“もっとも記録が残らない場所”。
監視カメラは設置されず、出入りのログは一定時間後に自動消去。
空間そのものが“なかったこと”にされる。
国家が保証するこの“闇”こそ、シンフォニアの中枢を支える技術の結晶だった。
部屋には、白い革張りのソファと黒檀のテーブル。
香りの強い百合の花、冷えたシャンパン、まるで舞台装置のような照明──
すべては“客が何をしても構わない”というメッセージの延長にあった。
張はソファに腰を下ろすと、無言でジャケットを脱ぎ、指を鳴らした。
「近くに来い。二匹とも」
カノンは視線を落としたまま歩み寄る。
一歩、また一歩──靴音が心音と重なる。
無意識に指が震えていた。だが、それを見せるわけにはいかない。
張は彼女の顎を持ち上げ、指先で軽く撫でる。
「前にも会ったな。……今日もいい顔だ。お前はちゃんと“作られてる”」
「……ありがとうございます」
カノンは作り物の笑みで返す。
恐怖も羞恥も、すべてを呑み込んで微笑む──それが、生き延びる手段だった。
次に張は、ユーリに目を向けた。
「こっちは新しいな。名前は?」
「ユーリです」
張はその声音に一瞬だけ眉を動かした。
「悪くない声だ。澄んでいて、芯がある。……使い方を教えてやろう」
張は立ち上がり、静かに──指をひとつ鳴らした。
パチン、という乾いた音。
次の瞬間、カノンの膝が床に触れていた。
自分でも、気づいたときにはもう遅かった。
脳が考える前に、身体が動いていた。
ユーリがこちらを見る。その視線が、何かを問うていた。
(……あっ)
ようやくカノンは、自分が命令を受けたのではないことに気づいた。
でも──もう膝はついている。
張は彼女に視線すら向けなかった。
ただ、前に立つユーリにゆっくりと目を向ける。
「そっちは正解。いい反応だった」
カノンの存在は、もう“空気”だった。
ユーリも、わずかな間を置いて、静かにひざまずく。
それを見た張は、満足げに頷いた。
「よし。なら──教えてやろう、“正しい使い方”をな」
ゆっくりと足を上げる。
スーツの裾が揺れ、空気がひんやりと凍る。
張は、ユーリの頭頂に靴底をそっと乗せた。
初めは軽く。まるで台に足を置くように。
「“使い方”ってのはな──」
声が、妙に落ち着いている。
「どうすれば喜ばれるか。壊れずに許しを乞うことができるか。
黙って命令を聞けるかどうか。それを“身体で学ぶ”ってことだ」
徐々に力がこもる。
ユーリの頭がわずかに沈み、肩が揺れる。
「お前の価値は、“痛みにどう反応するか”で決まるんだよ」
張は笑った。
そのまま、足にぐっと力を込め──
ユーリの頭を床にねじ伏せた。
カノンは反射的に息を呑んだ。
だがユーリは微動だにせず、表情も変わらなかった。
「へぇ……なかなか根性あるじゃねぇか。すぐに泣くかと思ったが」
張は面白がるように、さらに力を込め、ぐりぐりと踏みつける。
「この顔を、泣き顔に歪ませてやるのが俺の仕事だ」
そう言って、髪を乱暴に掴んだ瞬間──
「死ね」
静かな声が、部屋を撃ち抜いた。
銃声。
張の額に、一発の弾丸が正確に吸い込まれる。
かつて張と名付けられたものは何も言えぬまま、ソファにもたれかかるように崩れ、崩落する巨塔のように静かに沈んだ。
血飛沫が、白いドレスを紅に染める。
カノンもユーリも、逃れられない距離だった。
「……静かにして」
カノンが絶叫しそうになったのを、ユーリが片手で口を塞いだ。
その動きに、慣れた手つきがあった。
「……ちょっと早すぎじゃない?生かしておけば交渉材料にもなったのに」
ユーリが呟く。
天井の装飾が微かに揺れる中、光学迷彩が解けていく。
現れたのは、一人の少年──銃を構えたまま、短く舌打ちをした。
「うるせぇ。俺の判断だ」
彼の名は、シュウ。
乱れた前髪をかき上げ、インカムに話しかける。
「ボス、目標は排除済み。予定より早かったが問題あるか?」
『……問題ない。こちらの読みよりも警備が手薄だ。計画を前倒しする。だが、私情は慎め。ユーリと共にメインステージへ向かえ』
「了解、寛大な処置に感謝するよ」
そう言ってシュウは、ユーリに目配せをした。
「ほら、怒られてねーんだから、いーだろ」
「そういうことにしとくわ」
「……ちょっと待って。私……私も行くの?」
カノンの声は震えていた。
「行くも何も、ここにいたらまた使い潰されるだけだろ?」
シュウがきっぱり言い切る。
「……でも、私……そんな勇気……」
「勇気じゃない。ただの選択よ、“耐える”か、“変わる”かのね」
カノンの中で、何かが軋む音がした。
──想像すらしたことのない選択肢。
「急げ、まだ警報は出てない。今のうちに脱出する」
シュウが出口に向かう。だがその背中に、ユーリが声をかけた。
「ねぇ、シャワー……浴びさせて」
シュウはこめかみを押さえた。
「ああ……クソ、忘れてた。血まみれだな……急げよ」
カノンはまだ立ち尽くしていた。
白と赤に染まった自分の姿──それを初めて“汚い”と思った。
だが、扉は開かれている。
これは罠かもしれない。夢かもしれない。
それでも、たった今“神様”は殺された。
なら、この島のルールはもう、書き換えられたのかもしれない。
──〈シンフォニア〉中央地下、“ブラックラウンジ”。
豪奢な赤絨毯に、重厚な黒檀のテーブル。
静かに磨かれたチップが音もなく積まれ、シャンデリアが死んだ金の光を反射していた。
世界最大級の闇資金処理ネットワーク“B.B.M.(Badass Benefactors of Money)”が主催する、完全非公開のプライベート・ポーカーゲーム。 年に一度、招待状すら存在しないこの催しに集うのは、国家の裏側を牛耳る者たち──政治家、財閥の跡継ぎ、国際的な武器商人、諜報機関の内通者など、あらゆる“法の外側”に生きる影の巨人たち。
──だが、今夜は違った。
メインディーラーを務めるのは、金色のサルの仮面を被った少年──ケン。
整えられた黒髪に白手袋。赤いベストに黒のスラックス。
その立ち振る舞いには、年齢を感じさせない精密さがあった。
そして彼の声は、年齢に関係なく、全員に等しく丁寧語だった。
「それでは、皆様。今宵の一戦──開始いたします」
淡々と配られるカード。
参加者の背後には、ピエロの仮面をつけた複数の子どもたちが、無言で銃を構えていた。
「本ゲームは、通常ルールに加え、一手につき20秒の制限時間が設けられております。
超過時は“軽度な警告”として、非致死部位への狙撃を行います。
以降の違反、および着席放棄は──即時の退場処理とさせていただきます」
ケンは小さく一礼してから、仮面の中で微笑を浮かべた。
「皆様の健闘を、心よりお祈り申し上げます」
直後、カードが配られ、ラウンドが始まる。 誰もが焦っていた。 ──それもそのはず。
このラウンドが始まるまで、何時間が経過したのか、誰も分からない。
時計は取り外され、ラウンジの壁は光も時間も遮断している。
いつの間にかブラインドは上がり続け、賭け金は命の比重すら変えていた。
沈黙の中、ひとりの女性が震える手でカードを伏せた。
「……フォールド」
そのまま女性は床に倒れこむ。
「……降りる。もう……無理よ」
彼女の背後にいたピエロ仮面の少年が、ゆっくりと囁くように言った。
「“降りる”のは問題ありません。ただし、席をお立ちになるのは──規定外でございます」
女性が立ちかけた瞬間、右肩に銃弾が撃ち込まれる。 絶叫。流血。崩れ落ちる体。
必死に椅子へ戻ろうとするも、足がもつれて倒れ込む。
「まって……私、戻るから……ちゃんと──」
ダダダダッ── 数発の弾丸が容赦なく彼女を貫いた。
「誠に遺憾ですが、“戻れない”方は“除外対象”です」
ケンの声は変わらず静かだった。 場内は再び凍りつく。
その後もゲームは進む。
だが、全員が限界だった。
生き残るためにカードを握りしめる指が、もはや賭博ではなく懺悔のようだった。
「オールインだ! 賭けるしかねぇんだよ、もう!」
ある男が叫び、顔を歪めながら手持ちすべてをテーブルに投じた。
──ショーダウン。
伏せられたカードは、ハイカードのエース。
勝者は、他の誰かだった。
「ハイエース。役は不成立──敗北でございます」
ケンは一度だけ小さく頷き、視線をテーブルに落とす。
「確認完了。排除、どうぞ」
その言葉を合図に、ピエロの仮面をかぶった子どもたちが動いた。
男の身体に銃弾が次々と撃ち込まれ、血がテーブルに音もなく跳ねた。
ケンは一切の感情を挟まず、次のカードを準備する。
「では、次のディールに移ります」
その口調は、まるで時間を告げるアナウンスのようだった。
「では次のターンに参りましょう」
ケンは、何事もなかったかのようにゲームを進める。
時計のない空間。ケンの耳元で、小さな電子音が鳴る。
「──皆様。大変残念なお知らせです。
ボスから“今宵の運試しは十分だ”とのこと。
勝者不在につき、全員“お開き”でございます。
……どうぞ、最後の瞬間までお楽しみください」
ケンが頭を下げたと同時に子どもたちの銃口が一斉に火を噴いた。
誰ひとり、逃げられない。
絶叫は吸音処理された壁に飲まれ、銃声と共に消えていく。
赤と黒に染まったテーブルの上、ケンは静かに1枚のカードを置いた。
──ジョーカー。 その中央には、金のインクでこう記されていた。
『A.D.R』
白と金を基調とした空間に、柔らかな照明と冷えた空気が張り詰めていた。
壁面には最新の吸音材、天井は音響効果を極限まで追求した曲線構造。
すべてが“音楽のためだけ”に設計された、まさに現代の神殿だった。
このホールは、公開こそされているものの、入場には厳重な審査があり、演奏に立つことは“一流”の証とされていた。
音楽家たちは、この舞台に立つことを夢見る。
今夜も例外ではなかった。
観客席には、300名を超える富裕層と文化エリートたち。企業重役、外資顧問、政治家、芸術家、そしてその家族が並んでいた。
舞台の中央には、二人の子どもが立っていた──13歳ほどの少年と少女。
にも関わらず、コンサートの最後を飾る“トリ”として選ばれたのは、その二人だった。
ピアノに指を置くのは、静かな瞳の少年・ソウ。
その横で、無表情にマイクを握るのが、透き通るような少女・アリア。
彼らの存在は、照明の中でまるで幻想のようだった。
演奏が始まる。
まるで“機械のような正確さ”と“人間離れした純粋さ”が同居する音。
感情の波を一切見せず、ただ“完璧な音楽”を奏でる二人。
だが、その技術は圧倒的で、聴衆の多くが“彼らを天使の使い”だと錯覚するほどだった。
──その音に、観客が涙を流す。 だが、彼らの涙の意味を、演奏者たちは理解していなかった。
一曲が終わり、場内に大きな拍手が巻き起こる。
──その瞬間。
ステージ脇で待機していたピエロの仮面をつけた子どもたちが動いた。
観客の座席下、ピンポイントで爆発。
爆音。閃光。肉片。悲鳴。
“指定席”──その席に座っていたのは、家族の中で唯一の稼ぎ手。
父、母、あるいは祖父母。どの家庭も、その喪失を一瞬で理解した。
混乱の中、衣服と椅子が縫い付けられていたことに気づいた者たちは、身をよじっても離れられず、悲鳴と怒声が錯綜する。
ステージへと駆け出そうとした者は、途中で射殺された。
服を脱ぎ捨ててようやく椅子から解放された者も、ステージ上で待ち受けていた銃を持つ数人の少年少女たちによって冷静に排除される。
「子どもは確認済み。爆破位置からは遠ざけてある」
「なら問題ないわ。残りも処理して」
ダダダダッ──
静寂。
再び、ホールに“沈黙”が戻る。
舞台上のピアノの前に立ったソウが、マイクを手にした。 その声は、まるで空間を凍らせるような静けさを持っていた。
「生き残った子どもたちへ──お前たちは“選ばれた”」
全身を震わせていた子どもたち──10名足らずの小さな影が、声に反応するように顔を上げる。
「ここで君たちの家族と死ぬか、僕らと共に“未来を選ぶ”か。 今考えて決めてくれ」
数秒の沈黙ののち──
彼らは一人、また一人と舞台へ向かって歩き出した。
涙を拭きもせず、震える足取りで、それでも迷いなく。
彼らの瞳には、もはや“恐怖”ではなく“確信”が宿っていた。
警察の対応が遅れたのは、もはや“計画通り”だった。
〈シンフォニア〉と本土をつなぐ唯一の橋は、演奏会直前に崩壊。
島内各所には地雷が埋められており、迂闊な侵入を不可能にしていた。
当初、当局は海路からの突入を検討したが──
彼らが見落としていたのは、“図面に存在しない”海中トンネルの存在だった。
少年少女たちはそこから、音もなく消えた。
監視カメラには一切映っていない。残されたのは瓦礫と死体、そして──沈黙。
“少年少女だけによる史上初の集団武装蜂起”。
それは日本史上初めて、“革命”という言葉を持たぬまま起こったテロ事件として刻まれた。
報道各社は足並みをそろえて沈黙し、政府は“事故”として処理した。
だがその夜を境に、世界は確かに“変わった”。
静かに、しかし確実に──“大人たちの支配”は崩れ始めていた。
投稿は、週一回の更新を予定しております。
※本作は内容の向上を目的として、予告なく一部改稿・加筆・修正を行う場合があります。
修正・変更があった際は、【あとがき末尾】に更新履歴を記載いたします。
重要な改変がある場合は、本文冒頭にも明記いたします。