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File:015 崩落のレインボーブリッジ

キリが悪いのでいつもより長めです。

レインボーブリッジの高さは水面から約52m。

ビルなら15〜17階相当だ。

干潮・満潮で若干の誤差はあるが、この質量が“そのまま”落ちれば何が起こるか。


──即死圏内への自由落下だ。


レインボーブリッジの上層デッキ(車道部分)は、

鋼材とコンクリートを合わせて1平方メートルあたり約2.5トン。

片側だけでも数百トン級の橋桁が、無抵抗で50m下へ落ちれば、

その運動エネルギーは数千トン級の質量弾頭として東京湾を叩きつける。


静寂の中、ワイヤーの切れる音が響く。

鋭い“鞭”のように唸りを上げ、橋桁や舗装を容赦なく抉る。


「……下手に車を飛ばしたのが仇になったか」


中央部が“V字”に折れ始めるのを、前崎は冷静に見ていた。


そして周りを見る。黒岩と高宮は冷静だが東雲は呆けていたままだった。

無理もない。

公安でレインボーブリッジが崩壊したシュミレーションなんてしていない。

それは映画館だけのはずだった。


「黒岩、高宮!自力で脱出しろ!東雲は俺が連れていく!」


「了解!」

「任せろ!」


彼らが冷静でいてくれる、それだけで助かった。


前崎は神経外骨格を瞬間的に出力を上げ無造作に車のドアを蹴り破ると、ぐったりと意識の薄い東雲を片腕で抱き上げ、躊躇なく傾いた橋の“斜面”へと躍り出た。


足元には、崩落寸前のアスファルト。

頭上には、断ち切られた鋼鉄ワイヤーが

うねる鞭のように唸りを上げて舞い降りてくる。


その瞬間――


前崎の視界は切り替わる。


時間が引き延ばされたかのように、重力に従い落下する自分と、絡みつくように襲いかかるワイヤーの軌道が、線として鮮明に浮かび上がった。


――あのワイヤーは次に、ここを薙ぐ。

――この鋼索は、そこへ叩きつけられる。


前崎は僅かに膝を緩め、

橋桁の傾斜とワイヤーの振り子運動を読む。


一拍――二拍。


その刹那、

彼は踏み切る。


足場を選ばず、瓦礫すら利用し、落下するワイヤーの死角を突くように、迷いなく次の着地点へ飛び込む。


それは逃げでも、偶然でもない。

鋼鉄の鞭が襲いくる瞬間を正確に計算し、

最も安全な一手を割り出した上での動きだった。


――着地。


片膝を滑らせながら、

東雲を庇うように抱えた姿勢のまま、

橋の斜面にピタリと張り付く。


頭上を、ワイヤーが唸りながら通過していく。

鋼がアスファルトを裂き、火花を散らす。


「……抜けたか」


短く、低く、息を吐く。

それは――確かに安堵だった。


冷徹な計算は成り立っていた。

一瞬の直感も、研ぎ澄まされていた。


だが、確信には届かない賭けだった。

誤差はゼロであるべきだったが、

あの瞬間は運にも委ねた。


「生き残った」


その事実に、わずかに肩が緩む。


けれど、その安堵さえ、次の行動への燃料に過ぎない。


前崎は東雲の顔を覗き込む。


「東雲! しっかりしろ!」


「……ふぇ…?」


返事とも言えない呻き声。

焦点の合わない目が、遠くを彷徨う。


(間に合わん……強引に行くしかない)


こうしている間にも橋は傾いていく。


前崎は迷わず、懐からナイフを抜く。


【高速粒子回転式ナイフ】


違法製造、軍用規格、分子単位であらゆる物質を削る“鋼鉄のカミソリ”だ。


神経外骨格の出力を限界まで引き上げる。

そのまま、急勾配と化したアスファルトにナイフを突き立てた。


ギャリッ……ギィィィィ……ッ!!


耳障りな金属音が響く。

ナイフは、アスファルトを黒く焼き焦がし、

まるで黒い裂傷のような軌跡を残しながら、抵抗する。


だが、質量は容赦がなかった。


V字に折れた橋桁が、そのまま坂として機能し、

前崎たちを否応なく海へと引きずり込む。


(速い……ナイフだけじゃ殺しきれない)


前崎は歯を食いしばる。

片腕には東雲の体重がのしかかり、

もう片方は、アスファルトに突き刺したナイフを必死に支えていた。


だが――


その時だった。


橋の先端が、ついに海面を叩く。

――ドゴォン!!

地鳴りにも似た轟音と共に、

巨大な水柱が、爆ぜ上がった。


圧縮された海水が、爆風のように吹き上がり、

斜面を滑る前崎たちを面で押し潰す。


冷たい。

塩水が掌を叩く瞬間、前崎の背筋を本能的な寒気が走った。


塩水が掌を打ち、

指の隙間に食い込み、

一瞬で摩擦を奪っていく。


汗と混ざり、皮膚にぬめりを纏わせ、まるで油を塗ったかのように指先の感覚を鈍らせる。


(クソ……滑るな、滑るなよ)


願いとは裏腹に、斜面を滑る遠心力が、東雲の体重を倍増させる。

腕にかかる荷重は、もはや片腕を千切り取ろうとする拷問だ。

関節が捻じ切れるように軋んでいく。


さらに、潮風が体温を奪い、筋肉がじわじわと冷え固まっていく。


その時――


カチッ


ナイフにかかる圧力が一瞬だけブレた。

わずか1センチ。

それだけのズレが、命取りだった。


前崎の指が、

掴んでいた東雲の腕を、

するりと滑らせた。


――時間が、止まったように思えた。


「……東雲ッ!!」


咄嗟に橋を蹴る。

筋肉が悲鳴を上げ、骨が軋むのも構わず、

前崎は東雲の体へ“飛びつく”ように加速した。


着地のことは考えない。


膝も、腰も、肩も。

すべてのバランス制御を切り捨てた姿勢。

ただ一点、東雲を抱きかかえるためだけに、

“墜ちるように”飛び込む。


(間に合え……!)


手が、腕が、届く。

視界に捉えた瞬間、

東雲の身体を無理やり抱き寄せる。

滑りかけた指を、前崎は食いちぎるような力で掴んだ。


「取った……!」


しかしその代償は――


――完全に無防備な落下。


着地姿勢は崩壊し、足からでも、背中からでもなく、空中で絡まったまま二人は落ちていく。


制御不能のまま、崩れる橋の傾斜に体を叩きつけられる未来が、すぐそこにあった。


前崎は左腕を振り上げ、腕時計型【電磁(E.M.)バリア(Shield)】を展開する。


本来、【電磁(E.M.)バリア(Shield)】は至近距離で銃弾や破片を偏向・防御するために開発された小型防御装置だ。


その性質上、受けた衝撃はそのまま反動として操作者に返る。

防ぐ代わりに潰されるリスクを背負う――設計思想としては致命的な欠陥だ。


だが、この“欠陥”こそが、

SP(セキュリティ・ポリス)という存在には最適だった。


「主人を守り、自分が盾になる」


この本懐において、反動ごと押し返す必要はない。

“防ぎさえすればいい”。

命を捧げる覚悟の前では、副作用すら計算済みだった。


しかし、電磁(E.M.)バリア(Shield)はあくまで“小型”という制約の下に存在する。


軍事転用を見越して、アニメやSF作品の影響も受けつつ、「次世代の個人防御技術」として脚光を浴びたが

――現実は非情だった。


最大の問題は“電力消費”。


バリア展開時、瞬間的に数百キロワット級の電力を食う。

これを手首サイズのデバイスで賄うには、既存の蓄電技術はあまりにも脆弱だった。


現行機種に内蔵されている超小型ボタン電池では、

フル出力で“10秒すら持たない”のが現実だ。

10秒の展開すらできない、まさに使い捨ての防具。


さらに、熱処理という別の問題もあった。


展開時、回路やコイルに蓄積する膨大な熱量。

それが冷却しきれずに皮膚が焼き付くことも頻発し、再展開はおろか、一度使っただけで溶けることすらある。


使えば壊れる。守れば燃える。

「一撃を防ぐためだけに、自らの犠牲を許容する技術」

――それが、現実の電磁(E.M.)バリア(Shield)だった。


にもかかわらず、

前崎はこれを“逆用”する。


攻撃を防ぐのではない。

風を掴む“帆”として使うのだ。


本来50cm四方に留まる出力を、

前崎は強度を無視して1メートル以上に拡張。

耐久性や熱暴走など、一切を度外視し、

この一回にすべてを賭ける。


使い捨てで構わない。

失敗すれば死ぬだけだ。


前崎は東雲を抱えたまま、

文字通り、身を削って風に乗った。


しかし、前崎はそれをまったく別の用途に“逆用”する。


「頼む…上手くいってくれ!!」


東京湾を吹き抜ける強風。

海面を這い、レインボーブリッジを撫で上げるそれを、パラグライダーの翼膜のように受け止めるため、前崎はバリアを“盾”ではなく“帆”に変えた。


通常50cm四方に収束するはずのバリアを、強度を無視して1メートル以上に拡張。

防御性能は捨てる。代わりに面積を稼ぐ。


「ッ……重い……!」


東雲を抱えたまま。二人分、優に100kgを超える重量が、風圧と重力を介して前崎の手首に集約される。


不快な焼き付く臭いと共に、ベルトが皮膚を焼き、肉に食い込む。


まるで拷問具のように、金属が皮膚を抉り、神経を直撃する痛みが全身を走る。


――だが、構わない。


痛みは、生きている証拠だ。


視界の先――

崩落したレインボーブリッジの巨大な鉄骨が、V字に折れ曲がり、海面に突き刺さっているのが見えた。

重力に引かれながらも、その一部は海底の浅瀬に噛みつき、沈みきらずに止まっている。


「あれなら、まだ行ける……!」


電磁(E.M.)バリア(Shield)】は本来、瞬間的な衝撃を偏向するための“盾”だ。

弾丸一発を弾くための“点”の防御。


だが今、前崎はそれを“面”に広げ、風の継続的な圧力を受け止めるために逆用していた。


腕は既に焼け爛れ、手首の骨は軋みを上げている。

それでも、東雲を抱えたまま、姿勢を低く、重心を抑え込み、バリアを風に立てる角度を細かく調整し続ける。


風は、荒れ狂う東京湾の潮流に乗って、彼らの体を僅かに浮かせ――

そして、“墜落”させた。

飛行機の不時着のように。


だが、ここに滑走路はない。

あるのは、鋼鉄の瓦礫と、海水が叩きつける地獄の波面だけだ。


「くっ……!」


最後の数メートル。

風の力では抑えきれず、

重力が一気に二人を引き寄せた。


ドンッ!


水飛沫が爆ぜる。

東雲を庇うように前崎が先に水面を裂き、身体ごと海面に叩きつけられる。


「ブハッ……!」


肺の中の空気が、

無理やり押し出された。


視界が一瞬、白く霞む。

だが、その朧げな視界の中で、

前崎は本能的に掴む。


海面に刺さった橋桁の鉄骨――

海藻と錆にまみれた、それでも確かな“生存の杭”を、両腕で抱くようにしてしがみついた。


冷たい海水が、

容赦なく肩口を叩きつける。

東雲の体重が腕に重くのしかかる。


しかし幸運だった。


橋の瓦礫は、干潮の浅瀬に突き刺さったことで、偶然にも安定した足場を形成していた。

崩落の瞬間に噛み合った鋼材が、瓦礫同士を咬ませ、形を保っている。


「……命拾い、か」


前崎は荒く息を吐き、東雲を鉄骨の平坦な部分に横たえた。

彼女はぐったりとしていたが、呼吸はある。


通信機器は水没し、神経外骨格も海に飛び込んだ際に浮くために脱ぎ捨てた。

武器も、援護も、何もない。


だが――

この瓦礫が、今の彼らにとって唯一の生命線だった。


孤立無援。

絶体絶命。


そして――その時。


対岸、崩れ落ちたレインボーブリッジの残骸の上に、

一人の“異物”が立っていた。


金色の猿面。

全身黒のスーツに白い手袋。

滑らかな無音の足取りで、

そいつは橋の骨組みを歩いてくる。


前崎の脳裏に、即座にがあの動画が浮かぶ。


(シンフォニア虐殺事件――あのディーラーの……)


海を歩くその姿は、

まるで水面に氷が張ったかのようだった。


“異質”が、近づいてくる。


前崎は息を殺し、

じり、と身構えた。


次の瞬間、猿面が優雅にお辞儀をした。


「前崎英二様とお見受けいたします」


――静かな声が、波音を切り裂いた。


声は静かだが、妙に耳に残る響き。

機械的でもなく、生々しい温度も持っている。


「……アダルトレジスタンスか」


前崎は睨みつける。

既に濡れて重くなったスーツが、体温を奪っていく。


「はい、如何にも」


ケンは微笑するような抑揚で、

右手の二本指を心臓に当てた――

あの“特有の敬礼”だ。


「お初にお目にかかります。私は“ケン”と申す者でございます」


「……ひねりもねぇ、雑な名前だな」


前崎の皮肉に、ケンは薄く目を細める。


「よく言われます。私はおもしろくないと。ですが、役割に過不足はございません」


彼は一歩、また一歩と前に進み、前崎との距離を慎重に詰めていく。

その歩幅は、まるで儀式のように整っていた。


「交渉を申し上げます」


ケンが足を止める。

間合いは会話用の距離、しかし殺し合いの間合いにも見えた。


「前崎英二様。

貴方を、アダルトレジスタンスの正式なメンバーとして迎え入れたい」


一瞬、風の音すら止まったかのような錯覚。

海のうねり、崩れた橋の悲鳴、全てが遠のく。


(……何を狙っている)


敵意は感じる。だが、殺意ではない。

目の前の“ケン”は、あくまで使者の顔をしている。

猿のお面をつけてはいるが。


「……で、見返りは?」


前崎の声は低く抑えられていた。


ケンは、ごく自然に答える。


「部下の命の保証です。

現在、黒岩様・高宮様も当方にて保護しております。

気を失っておられるだけで、命に別状はありません」


それは“脅し”ではない。

むしろ、極めて“ビジネスライクな条件提示”だった。


だが――


「断る…と言ったら?」


前崎の問いに、ケンは即答する。


「この場で全員射殺いたします。ですがそれは私たちの本意ではありません」


一切の感情を見せない声音。

それが逆に本気を物語っていた。


振り返ると、崩れた橋の残骸の影に、複数の猿面が立っていた。

そのうちの一人が、東雲に銃口を向けている。


(……詰みだ)


装備なし。援護なし。

部下の命は既に敵の手中。

この状況で、自分に残された選択肢は――皆無だ。


だが、前崎の心は静かだった。


勝ち目がないことは理解している。

この場でやるのか、耐えるのか。


その選択を、他人に委ねるつもりはない。


(俺が決める)


ほんの一瞬、

指先でトリガーを引くような感覚が走った。


カチリ、と。


それは心の内側で鳴った乾いた音。

敵に屈したわけじゃない。

選んだのは、生き残るという次の手。


「……いいだろう。俺を連れていけ」


この一言は、敗北ではない。

次の手番を奪い取るための、一手だ。


ケンの目が細まる。

前崎は、冷たい海風を受けながら微動だにせず、それを受け止めた。


その直後、転送の白光が全身を包み、

視界が、静かに切り替わった。


それを東雲は動かせない体でうっすら眺めることしかできなかった。


「……前崎……さん」


そのまま東雲の意識は闇に落ちた。

いつも読んでくださってありがとうございます。

コメント・感想もありがとうございます。

昨日のコメントが嬉しすぎて3週間後先まで気合入れすぎて書いてしまいました。

感謝感謝です。

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