File:003 首謀者:前崎
近隣ビルの屋上、灼けたコンクリートの熱を這うようにして、坂上は狙撃銃を構えていた。
自衛隊の総指揮を執り、公安からも一目置かれる実力者。
戦況のすべてを俯瞰し、最適解を導き出す彼にとって、この高所は「特等席」と言えた。
眼下では、今かと前崎が演説という名の発表会を行うところだ。
レシーバーから漏れるその声を、坂上は冷めた嘲笑とともに聞き流していた。
仕事は仕事だ。私情を挟む余地はない。
だが、その観察眼は前崎の微かな挙動
――聴衆に向けたものではない、不自然な「予兆」を敏感に察知した。
直感。それだけで坂上はボルトアクションを操作し、照準器の十字を前崎の眉間に固定した。
だが坂上が撃てなかった。
それは壇上で起こっていることを信じられなかったからではない。
だが、引き金にかけた指が凍りつく。
「……ッ、何だ、これは……!?」
視界が歪む。
まるで空間そのものに汚濁した油を塗りたくったかのように、景色がどろりと波打っている。
蜃気楼を悪意で煮詰めたような「それ」は、前崎の輪郭を執拗にぼかし、弾道を拒絶していた。
「視覚阻害ホログラムッ!?
馬鹿な!この距離で!?」
最初の原爆記念日の配置について自らが説明した装置だ。
本来ならば1km以上の狙撃に対して機能していたもの。
それが直線距離200mも離れていない距離で発動する。
一発のミスが、背後の民間人を肉塊に変える。
そんな博打は打てない。
異常はそれだけではなかった。
「……PC部隊……だと!?」
戦域に割り込んできたのは、忘れるはずもない「あの顔」だった。
かつて坂上がショットガンで蹂躙し、ハチの巣に変えた連中だ。
欠落した感情を貼り付けたような、あの無機質な表情。
以前のような少年型だけではない。
女の衣を纏った個体まで混じっている。
脳裏に、かつての業火が蘇る。
「子供の形をしたガキ」をスラグショットガンで体に穴を開けた上に燃やすという、吐き気を催すようなあの不快な任務。
その怨念が、指先から苛立ちとなって伝播する。
まただ。また、この悪夢を繰り返せというのか。
現場の自衛官たちは、未知の兵器を前に困惑し、硬直していた。
『構わん、撃て! 射殺許可を出す!!』
インカム越しの坂上の怒号に、部下の高宮が反応した。
だが、放たれた7.62mm弾は空中で火花を散らし、弾かれた。
前崎の周囲を固める連中が、見えない電磁バリアを展開している。
狙撃距離に等しい至近距離からの銃撃だ。
それなのに、防壁には綻び一つ見えない。
現存するいかなる技術を凌駕する、圧倒的な硬度。
「クソが……! 国の精密検査はどうなっていた!?
FBIもCIAも、揃いも揃って節穴か!」
坂上は狙撃銃を捨て、傍らに置いていたサブマシンガンを掴んだ。
ビルから飛び降り視覚阻害ホログラムの発動のさらに範囲内に進む。
逃げ惑う国民を盾にするように身を低くし、牽制の弾丸をばら撒く。
狂乱の極致。
それでもなお、中心に立つ前崎だけは動かない。
「――動かないでいただけますか?」
鼓膜を震わせたのは、至近距離の、あまりに静かな声だった。
「……っな!?」
この俺が、背後を取られた?
戦慄が背筋を駆け抜ける。
全神経を研ぎ澄ましていたはずのこの状況で、殺気すら感じさせずに懐に入り込むなど、あり得ない。
視界の端で、守備についていたはずの自衛官たちが崩れ落ちるのが見えた。
急所である顎の先端を、ピンポイントで撃ち抜かれたような倒れ方だ。
「コールサイン、作戦、武器の性能。そのすべてを把握しています。
大人しくしていれば、無駄な痛みは伴いません」
「……断ると言ったら?」
「その銃口の矛先は、国民に向くことになります。
武器を捨ててください」
坂上は奥歯を噛み締め、忌々しげに銃を足元へ放り出した。
「人形風情が、生意気に……!」
「何とでも。それよりもご覧ください。
……始まりますよ、総統の演説が」
「総統……?」
PC部隊の個体が指し示した先には、依然として壇上に佇む前崎の姿があった。
だが、坂上の脳内を占めたのは、さらなる違和感だった。
「待て。貴様……なぜ言葉を話せる?」
「……人間が言葉を解することが、それほど奇妙ですか?」
冷徹な、小馬鹿にしたような響き。
坂上は深呼吸し、剥き出しになりそうな感情を理性で押さえ込んだ。
「お前たちはPC部隊だろう。
あの『ルシアン』とかいうガキの、意志を持たないクローンのはずだ。
どうして個の意志がある?」
「ああ、その事ですか。ご心配なく。
私たちは確かに、あなた方の言う旧PC部隊の派生ではありますが、クローンではありません」
「旧PC部隊? クローンではない……だと?」
「総統によって新たな命を吹き込まれた、『新人類』とでも呼ぶべきでしょうか。
……まあ、あなたには理解の及ばない領域でしょうが」
個体は無機質な視線を壇上へと戻した。
「今はただ、福音を聞きなさい。……総統の。
あなたにとっても、旧知の仲なのでしょう?」
促されるまま、坂上は前崎――「総統」と呼ばれた男を、射抜くような眼差しで見つめ返した。
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転倒した椅子、逃げ惑う人々の靴、そして踏みにじられた花束が泥濘に沈んでいる。
先ほどまでの狂乱が嘘のように、会場には重苦しい静寂と、残された公安警察官たちの荒い息遣いだけが漂っていた。
「……前崎、さん」
一ノ瀬は、眼前の光景を網膜が拒絶するのを感じていた。
なぜ、彼が。
なぜ、これほどまでの暴挙を。
徹底的な心理分析、幾度もの適性テスト。
そのすべてを潜り抜け、一片の「危険思想」すら見せなかった男が、なぜ今、破壊された慰霊碑の残骸を無造作に蹴り飛ばしているのか。
無数の「なぜ」が一ノ瀬の思考を塗り潰していく。
前崎は、粉砕された石材の破片を邪魔そうに避けると、冷徹なレンズの向こう側――カメラの先にいる全国民へと視線を据えた。
「さて、国民の皆様。ごきげんよう」
穏やかですらある声が、スピーカーを通じて廃墟と化した会場に響く。
「現時刻を以て、私はこの国の全権を掌握した。
新たな日本の象徴、『総統』の前崎だ。
まずは、このような過激な手段でしか変革を成し得なかった己の無能を、皆様に謝罪したい。
申し訳なかった」
前崎は、皮肉なほど優雅に、そして深く頭を下げた。
「その上で、諸君にこの国の『真実』を突きつけねばならない。
日本はもはや、日本人の国ではない。
他国に魂を切り売りし、政治家は外資本に飼い慣らされた猟犬に成り下がった。
我々が血を流して納めた税は、縁もゆかりもない地の利権へと消えていく。
現代の日本人は、世界で最も甘やかされ、かつ、最も惨めな『奴隷』なのだ」
カメラを見据える彼の瞳に、昏い炎が宿る。
「ここは我々の庭だ。
まずは大掃除を始めよう。
民族浄化――という言葉が不快なら、こう言い換えよう。
『害を成す可能性のある不純物の排除』だ。
この国に何も生み出さず、寄生するだけの存在を、私は一歩も残さず放逐する。
それが、私の執り行う最初の政だ」
「なっ……!?」
東雲が戦慄に声を震わせる。
それはかつての独裁者が行った、狂気の選別そのものではないか。
「話は続く。次は統治機構の解体だ。道州制を即時導入する。
北海道、東北、近畿、中部、中国……。
各ブロックごとに独自の法と税制を敷く。
過疎地域を優先し、消費税以外を『無税』とする特区も創設する予定だ。
死に体だった地方に、強制的な心肺蘇生を施す」
「……できる、わけがない。そんなこと……!」
誰かの、震える呟きが漏れた。
既存の秩序を根底から覆す、あまりにも現実離れした宣言。
だが、前崎は嘲笑うように言葉を重ねる。
「最後だ。私がこの国のすべての舵を執る。
公務員諸君、一部の有能を除き、君たちは本日を以て全員解雇だ。
代わりに、私の構築する『新システム』の一部として再編する。
ついてこれぬ者は、振るい落とすのみ。私に従え。
この国を世界で唯一の、そして世界最高の幸福国家へと私が導く。
詳細は追って伝えるが――まずは目下の障害を排除しよう」
その瞬間、巨大な「影」が会場を覆い尽くした。
一ノ瀬たちが空を見上げると、そこには太陽を遮るほどの異形が浮遊していた。
「……飛行機? いや、島か?」
岩塊や高層ビルを強引に接合し、継ぎ接ぎにしたような巨大な城が、重力を無視して天空を領分していた。
「民族浄化、再開だ。有用な異能を持つ者は残そう。
だが、それ以外はいらない。
今すぐ、この国から消えてもらう」
城の底部から、黒い雨が降る。
パラシュートも持たず、地表へ音もなく着地する影――PC部隊。
彼らは超人的な身体能力を誇示しながら、無数に展開していく。
「……あいつら、何体いやがるんだ」
「ざっと一億体、といったところでしょうか」
背後で、PC部隊の個体が平然と答えた。
「一億だと……!?」
坂上が絶句する。
日本の総人口に匹敵する「軍隊」が、空から降り注いでいるのだ。
「まあ、見ていてください。世界が生まれ変わる瞬間を。
同様の浮遊城が、現在日本の主要空域に六つ展開しています。
ここから、無能な犯罪者、前科者、そして我々が不要と判断した人間は強制的に連行して更生させます。
あるいは強制送還とかもあり得るかもしれませんね」
「それが、貴様の言う浄化か……!?
舐めやがって……!
人の権利を何だと思っていやがる!!」
坂上が激昂し、銃を握り直す。
だが、傍らの個体は無機質な視線を向けたまま、静かに、そして残酷な正論を突きつけた。
「綺麗事を仰るなら、あなたが彼らを養ってください。
あなた自身の資産と、人生を使ってね」
「……っ」
「ほら、その程度なのですよ。あなた方の語る『倫理』など。
身銭を切る覚悟もない者に、正義を語る資格はない」
坂上は、自分が圧倒的な力だけでなく、その冷酷なまでの合理性に見下されていることを悟った。
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「パパ! ママッ!!」
泥濘を叩く雨音を切り裂いて、幼い悲鳴が響き渡った。
肌の色の濃い、ナイジェリア系の家族だろうか。
必死に互いの手を握りしめようとする親子を、PC部隊が無機質な力で強引に引き剥がしていく。
抵抗しようとした父親の細い腕が、乾いた音を立てて不自然な方向に曲がった。
呻き声を上げる暇すら与えず、三体の個体が流れるような動作で彼らを地面に組み伏せる。
その動きには一切の躊躇も、加害の愉悦もなく、ただ「処理」としての効率だけが追求されていた。
制圧された親たちの背に、半透明のバルーン状の拘束具が打ち込まれる。
重力を無視して膨らみ始めた「それ」は、抵抗を封じたまま彼らの身体を宙へと吸い上げ、遥か上空に鎮座する「空の城」へと運んでいく。
「……うう、あ……」
あとに残されたのは、泥にまみれて泣きじゃくる子供たちと、呆然と立ち尽くす数人の若者だけだった。
その中の一人、聡明そうな眼差しをした青年が、目の前で家族を奪ったPC部隊に問いを投げかける。
声は震えていたが、そこには確かな怒りが宿っていた。
「……なぜだ。なぜ、私だけを連れて行かない?」
「回答は至極単純。君が『有能』だからだ」
PC部隊の個体は、感情を排した声で端的に切り捨てた。
「我が『新日本』は、原則として日本国民を庇護する。
だが、帰化人や外国籍であっても、文明に寄与する能力を持つ個体は例外として扱う。
君は教育課程において上位の成績を収め、技術的適性も高い。
我々の社会に必要な人材だ」
個体は空を見上げ、連行されていく親たちを指差した。
「対して、連行された者たち。
彼らは長期間にわたり、この国の制度に寄生し、生活保護を受給していた。
納税もせず、生産性も持たず、ただ享受するだけの存在。
彼らを助けるリソースは、この国にはもう存在しない」
「……っ、そんな理屈が!
子どもたちはどうするつもりだ?
この子たちまで殺すのか!」
「いいえ。彼らは我々が管理・教育する」
個体の無機質な視線が子供たちに向けられる。
「有用な資質を示せば市民として迎え、そうでなければ、我々と同じ『兵士』として再構成する。
彼らにとっては、無能な親に育てられるよりも幸福な結末と言えるだろう」
「なんて……なんてことを……!」
「何とでも。我々は停滞した日本を、根底から刷新する者。
生存の機会を与えられただけでも、我々に感謝していただきたいものですね」
それだけ言い残すと、PC部隊は一糸乱れぬ足取りで、次の「選別現場」へと去っていった。
その背中にはHoundという文字が刻まれていた。




