File:110 平和式典
最終話です。
詳しくは明日のあとがきで書きます。
ありがとうございました。
二年の歳月が過ぎた。
アダルトレジスタンスが再び大規模な攻勢を仕掛けてくることはなかった。
だが、静けさは平和を意味しなかった。
むしろ、次の嵐を予感させる、不気味な停滞だった。
市民の間では「いつまた奴らが現れるのか」という恐怖が常態化し、テレビ討論やSNSでは「民営の武装」を求める声が日増しに強くなっていった。
治安維持を国家に任せるのは危険だ。
そう考える層が急速に拡大していた。
しかし、銃刀法が緩和されることはなかった。
政治家たちは「規制緩和は治安の悪化を招く」「アメリカのようにしたいのか!」と口を揃えた。
結果として、法の隙間を突くように、スタンガンや軍用ドローン、試作型の外骨格やゴム弾兵器といった“合法ギリギリ”の私兵装備が富裕層の間で流通していった。
裏市場では小型火器すらも出回り、資産家たちは独自の警備会社を抱え込み、都市はいつしか「小さな軍閥」が点在する奇妙な姿へと変貌していった。
「国の治安維持は信用できない」
それが、国民の合言葉のようになっていた。
さらに皮肉なことに――海外に“避難”していた政治家たちが次々と帰国した。
「視察だった」「家族旅行だった」という言い訳を盾に。
だが国民は忘れてはいなかった。
SNS上には《#逃げた政治家に税金は払わない》というハッシュタグが流行し、納税拒否のスローガンすら飛び交った。
国家は、内側から崩壊しつつあった。
そんな混迷のただ中――報せは届いた。
「前崎が発見された」
場所は愛媛県の砂浜。
潮風にさらされる岩場に、まるで時間が止まったかのように、前崎は横たわっていた。
その姿はクリスタルに封じられた彫像のようで、皮膚も血管も凍りついた透明な膜に守られていた。
発見者が工具で軽く叩くと、結晶は脆く砕け散り、中からは完璧に保存された前崎が姿を現した。
すぐに病院へ搬送され、緊急検査が行われた。
だが、奇妙なことに――筋肉も臓器も、脳すらも異常はなかった。
まるで時間が二年間、完全に止まっていたかのように。
そして21日後。
正月の喧噪が日本列島を包み、人々が初詣や年賀に浮かれていたその時――
前崎は目を覚ました。
ベッド脇には公安と内閣の調査官たちが立ち会っていた。
彼が意思疎通できることを確認すると、即座に事情聴取が始まった。
アダルトレジスタンスが崩壊したこと。
ルシアンとアレイスターが死亡したこと。
そして、SGが完全に壊滅したこと。
――坂上が神経外骨格に仕込んでいたAI録音機。
そこに残されていた戦闘ログが証拠となり、前崎の証言は信憑性を得た。
それにより再びテロが起こることはないこと。
さらにいえばアダルトレジスタンスは国が壊滅したという報道が正式に発表された。
ただ一つ、前崎の口からはっきりしない答えがあった。
「ルシアンの記憶を引き継いだのか」という問いに対して、彼はただ――
「分からない」
とだけ答えた。
医学的には脳波に異常はなく、心理的な破綻も見られない。
結局、政府は彼を「一年間の保護観察」に置くことを決定した。
人格的にも思想的にも――表面上は、何の問題もなかった。
人と普通に話す上、前崎をいつも知っている人間であれば普段の彼と答えるほど何もなかった。
公安への復職は、思ったよりもあっさりと決まった。
もっとも、その任務の大半はデスクワーク。
二年間の“植物状態”で萎びた筋肉では、第一線に立つことなど望むべくもなかった。
それでも仲間たちは気を遣い、軽い書類仕事や解析作業を前崎に割り当ててくれた。
坂上や雨宮が見舞いに訪れたとき、やせ細った彼を見て、どこか幻滅したような顔をしていた。
好敵手に抱いた幻想が、目の前の現実と噛み合わなかったのだろう。
「この状態でもお前に勝てる」
「抜かせ、アホ崎」
自衛隊員の医療施設でリハビリを重ね、一年が過ぎる頃には肉体も徐々に回復。
筋肉は再び締まり、体調も安定してきた。
ちょうどその頃、政府は新たな一手を打ち出した。
「国民栄誉賞を授与する」
舞台に選ばれたのは――広島、原爆ドーム。
「戦争を忘れないため」という建前を掲げ、国際メディアを巻き込み、前崎を“平和の象徴”として利用するつもりだった。
確かに、前崎は独断で潜入・調査を行い、結果的にアダルトレジスタンスの中枢を壊滅させた。
その功績は疑いようがなかったが、世間の評価は二分されていた。
「英雄」と讃える声もあれば、「独断専行の裏切り者」と罵る声もある。
それでも――事実として、アダルトレジスタンスは4年間攻めてこなかった。
政府はこの“沈黙”を彼の功績と見なし、日本がまだ生きていることを世界に示そうとした。
だが国内世論は荒れに荒れた。
「原爆と関係のないパフォーマンスだ」
「政治家が逃げたツケを、前崎一人に背負わせる気か」
「制度そのものが腐っているのに、個人を英雄にして誤魔化すな」
街頭デモは連日行われ、ネットでは《栄誉賞より制度改革を》のタグが飛び交った。
それでも式典は強行された。
八月六日。
広島の街は、例年と同じく静謐な朝を迎えていた。
蝉の声が降り注ぎ、夏の陽光が白くドームの遺構を照らす。
午前八時十五分――鐘の音が荘厳に鳴り響き、黙祷の合図が世界に刻まれた。
その直後、国民栄誉賞授与式が始まる。
原爆ドーム前に設置された特設壇上には、国内外の要人、各国大使、そして数千人の観衆が詰めかけていた。
報道陣のカメラが一斉に閃光を放ち、その映像は全世界へ生中継されている。
日本が“再生した姿”を示す――政府が仕組んだ大舞台だった。
司会者の朗々たる声が響く。
「国民栄誉賞受賞者――前崎英二!」
拍手が沸き起こる。
前崎は壇上に立ち、差し出された賞状を受け取り、無表情のまま深く一礼した。
「……私のような人間が、このような名誉ある賞を頂けて……幸せです」
定型的で、予定調和の言葉。
会場の空気は安堵に包まれた。
犠牲を経てようやく“英雄”が称えられる――誰もがそう信じた。
だが、その刹那。
前崎は懐に手を入れた。
「すみません、セリフを忘れまして……!」
軽口に観衆が笑い声を上げる。
張りつめていた空気が一瞬だけ緩む。
――次の瞬間。
懐から引き抜かれたのは、漆黒のリボルバー。
銃口は冷徹に、新内閣総理大臣・城田の脳幹を寸分違わず狙っていた。
「なっ……!」
悲鳴と怒号が同時に沸き起こる。
観衆が雪崩のように立ち上がり、混乱の渦が広がった。
SPが動く――誰もがそう思った。
だが、彼らは動かなかった。
むしろ前崎の前に立ち、総理を守るはずのその身体で逆に壁を築いた。
群衆は息を呑む。
裏切りと困惑が入り混じり、会場全体が恐怖へと変貌していく。
鎮魂の鐘が鳴ったはずの原爆ドーム前が、今や不気味な地鳴りのようなざわめきに覆われていた。
前崎は天を仰ぎ、漆黒のリボルバーを掲げた。
夏の陽炎を切り裂くような声が、原爆ドームの石壁を震わせ、八月六日の空に轟く。
「――宣言する!」
その瞬間、空気が凍りついた。
蝉の声すら止んだかのように、数千の観衆が息を呑む。
鐘の余韻と黙祷の祈りがまだ残る広島の地で、最も口にしてはならない言葉が吐き出される。
「日本を――私を中心とする独裁国家とする!!」
怒号、悲鳴、泣き声。
だが、誰一人として動けなかった。
壇上のSPすら前崎を阻まず、逆にその背後で護衛の壁を築いている。
裏切られた群衆の混乱は恐怖へ変貌し、会場全体が地鳴りのように揺れた。
それは「平和」と「鎮魂」を誓う日にこそ、最も口にしてはならない言葉。
だが同時に、それはまごうことなき――日本の独立宣言だった。
前崎の瞳には一切の迷いがなかった。
かつて「守る」ために血を流した男は、いまや「支配する」ことで人々を導くと決意している。
銃口はなお総理の頭を射抜く位置にありながら、その言葉は世界全体に向けられていた。
「私が、この国を頂点へと導くと――ここに誓う!」
その言葉は、世界同時配信のカメラを通じて全地球に突き刺さった。
SNSのタイムラインは瞬時に炎上し、各国大使は青ざめ、隣国の指導者たちは緊急会議を招集する。
だが、その混乱の渦の中心で、前崎ただ一人が揺るがず立っていた。
原爆の日に、平和を祈る式典の壇上で。
彼は世界史に刻まれる最悪の反転劇を演じてみせたのだった。




