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File:108 ジャハンナム

アレイスターは今までの攻撃がまるで遊戯だったかのように、四方へ無差別にレーザーを撃ち込んだ。

崩れゆくSGの地平が閃光で裂け、瓦礫が降り注ぐ。

――ルシアンを炙り出すつもりだろう。


しかし、子どもたちの姿はどこにもない。

恐らく全員、すでに転送されたのだ。

今この戦場に残っているのは――俺と、アレイスターと、ルシアン。三人だけ。


轟音と共に地面が焼き切られ、地下の一角が崩落する。

露わになったのは、巨大なデータサーバ群。

無数のHDDやSSDが有機的に接続され、まるで高層ビルの街並みのように積み上がっている。

地下帝国――叡智の眠る根城だった。


アレイスターは揺れる地盤を物ともせず、悠然と進み出る。

途中、転がる棺を無造作に蹴り飛ばした。

その中に横たわっていたのは、呼吸すら覚束ない老人。


「……レ……スター……」


『これがお前の本体か。思ったよりも醜いな、ルシアン。』


アレイスターは冷笑し、老人を無理やり磔のように電子でできた十字架に固定する。

哀れな瞳が上目遣いに彼を見つめ返した。


だがそんな視線など一顧だにせず、アレイスターはデータサーバの中心部へと歩を進めた。

そこにはひと際異彩を放つ――拳ほどのクリスタル。

白銀に輝き、情報の奔流そのものを結晶化したような存在。


『これが……夢にまで見た叡智の結晶か……!』


アレイスターはそれを掴み上げ、ためらいもなく自らの胸に押し込んだ。

クリスタルは溶けるように吸収され、彼の身体が脈動する。

――まるでスライムが異物を取り込むように。


一瞬、アレイスターの全身が硬直。

次の瞬間――


『アハハハハハハハハッ!!』


狂気の高笑いが響き渡った。

その姿はもはや人ではなく、魔王そのもの。


『ルシアン!君はこんな代物でSGを動かしていたのか!

 正気か?……いや、素晴らしい!素晴らしいぞ!』


磔にされたルシアンは血走った瞳で睨み返す。


「……あの膨大なデータを……一瞬で取り込むだと……?

 ……どうなって……いるんだ……?」


アレイスターは嘲り笑いを浮かべた。


『私は大食らいなんだよ。――小食のお前と違ってな。』


アレイスターはゆっくりと降り立ち、前崎の正面に影を落とした。

ホログラム特有の薄い透明感は消え失せ、そこに立つのは実体を伴った現実の存在だった。


「狙いは君だ……前崎君」


ルシアンの掠れた声が耳に届く。

次の瞬間、アレイスターが冷たく笑った。


「初めまして、だね。リアルの場では。――私がアレイスターだ」


その声は鉄と硝煙の重さを含んでいた。

姿も言葉も威圧そのもので、前崎は本能的に理解する。

これは幻ではない。実体そのものだ。


アレイスターは続ける。


「覚えているか?“君を後継者にしたい”と言ったことを。

 私のこの肉体ですら、ルシアンの持つ膨大な情報をすべて処理できるわけではない」


「……どういうことだ?」


「ルシアンの奪った知識は無節操だ。

 中国の特殊警察からNASAの科学者まで――

 あらゆる人間の脳から知識と経験を“抽出”し、それを子供の脳へブーストのように流し込もうとした。

 だが即効性はない。馴染ませるには時間がかかる」


前崎は思い返す。

確かにシュウが不動の知識を奪ったのにも関わらず、特別な強さを感じなかったのはそのためか。


「最速でも二年。だが完全に定着させるには二十年は必要だ。

 ――カオリは二年分で部分的な強化に過ぎない。

 だが完全定着となれば話は別だ。

 一般の人間に対して20年必要な短期記憶を短期的に定着させるのならば、

 その過程で精神が壊れる。」


「脳の負荷……か」


「そうだ。知識や経験は必ず感情と結びついている。

 数十人、数百人分の負の感情を一気に押し込まれれば、人格は粉砕される。

 まして負の感情は正の感情の三倍以上の力を持つ。

 人間は圧殺され、自殺する。

 ――だからルシアンは時間をかけて馴染ませるしかなかった」


前崎は黙り込み、唇を噛んだ。

ルシアンのやり方が遠回りに見えた理由が理解できた。


「だが、私はそんな悠長な方法を取るつもりはない」


アレイスターは一歩、前崎に迫る。


「いくら考えたところで結論は同じだった。

 ――負の感情に耐えられる器を探せばいい、と」


「……器?」


「そう。君だ、前崎」


その名を強調し、アレイスターは愉悦に満ちた笑みを浮かべた。


「人間のメンタリティは、生まれと環境でほとんど決まる。

 五歳まででその基盤は固まると言われている。

 公安の特殊訓練を経ても、限界値は覆せない。

 だが――君だけは例外だった」


「……俺が?」


「レインボーブリッジ崩落事件を覚えているか?

 あの時に採取した君の血液と細胞を分析させてもらった。

 驚いたよ。君は狂気的なまでに強靭な忍耐力と異常な精神耐性を持っていた。

 日本人は精神が弱いと言われるが、それは弱者の言い訳に過ぎない。

 君は――むしろ“狂人の部類”に属する人間だ。

 確率でいうと21兆分の1だよ。」


前崎は息を呑んだ。

その言葉が、真実味を帯びて心臓を締め上げる。


「……俺のメンタルが人より比較的強いことはわかった。

 だが、それとお前の何の関係がある?」


アレイスターは呆れたように肩をすくめ、声を潜めた。


「まだわからないのか?――君は“器”なんだよ。

 君の肉体を私が乗っ取り、数百人分の負の感情をすべて消化させる。

 その上で、君自身を私の後継者――いや、新たな神の器にしてやるのさ!」


アレイスターは嗤い、いきなり前崎の顔を掴むと――

キスというにはあまりにも強引で、捕食のような口写しを仕掛けた。


冷たい何かが喉を伝い、脳へ侵入してくる。

まるで脳髄を指で直接かき混ぜられているような感覚。


直接脳に声が聞こえてくる。


君の肉体を乗っ取り、知識を持った実態として行動できる。

これほど素晴らしいことはない。

さぁ、私と一つになろう。


何心配することはない。

君は英雄になるのだから。


「……ぐ、あ……ッ」


頭蓋が裂けるように痛い。

意識が途切れそうになる。


――だが、その痛みを「冷静に分析」している自分がいる。


(……俺はやはり、強靭なメンタルを持つ人間らしい……・

 だがこんな状態でも動けない。

 無力……と言わざるを得ない……な)


そんな皮肉すら頭に浮かぶ。


だが次の瞬間――


「ぐっ、がはぁぁぁッ!!」


アレイスターが血のような黒い液を吐き出し、頭を押さえてのたうった。

その目は血走り、恐怖に染まっている。


「お前……何をした!?前崎!」


前崎は朦朧とした意識の中で頭を押さえつつ、必死に睨み返す。

そこへ――


「……油断したな、レスター」


響いたのはルシアンの声だった。


「前崎の肉体を器にしようとしたな。

 だが――その肉体には直接の情報は入っていない。

 君が飛びついたのは、あくまでバックアップの方だ。」


磔にされていたルシアンが、アレイスターの力の減退を見計らって拘束を引きちぎる。

その顔に不気味な笑みが浮かぶ。


「前崎君はこのタイミングでバックアップを消費してしまった。

 ――つまり、君が欲しくてたまらない知識の餌は、もう狙いが絞られている。

 だったら簡単だ。罠を仕掛ければいい。

 お前はまんまと引っかかった。……ほら、狩りやすいだろう?」


ルシアンは舌で唇を舐め、ささやくように言った。


「ワクチンだよ」


アレイスターの足元に歩み寄り、その肉体を指差す。


「ウイルスを滅ぼすワクチンではないよ。

 ――ウイルスに寄生し、その内部から喰い破るワクチンだ。

 免疫と胞子を掛け合わせた、奇怪な毒素のようなものだね。

 君のように直接肉体を乗っ取ろうとする輩にだけ有効なものだ。」


見れば、アレイスターの身体の一部が黒く壊死していた。

皮膚が泡立ち、筋肉が爛れ、腐敗臭が漂う。


「どうだい?“神”を名乗ろうとした男。

 結局はただの病人のように地べたを這い、

 死ぬことしかできない気分は。

 まるで蟻だね。」


「い……嫌だ……!まだだ……私はヤハウェに……!」


「神がいるのなら――救ってもらえばいい。

 だが、救ってはくれないだろう。

 お前は罪人だ。地獄( ジャハンナム)の炎で焼かれるがいいさ。」


アレイスターは絶叫し、肉体を掻き毟りながら崩れ落ちる。

腐敗と痙攣の果てに、虚空の裂け目へと落ちていった。


残されたのは沈黙と、震える大地。


ルシアンが振り返る。

その目は冷徹だが、どこか急いていた。


「前崎君……時間がない。――ついてきてくれ。」


頭痛で視界が霞む中、前崎はその背に必死に追いすがった。

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