File:103 クズとガキ
カオリを土嚢のように担ぎ、前崎は廊下を走る。
手足の骨は関節ごとに折り砕き、病衣を裂いた布を口に噛ませて縛り付ける。
手足が縛るものがなかったので当然だ。
自決の余地を、徹底的に潰してあった。
(こいつにはまだ死なれては困る。
保険でもあり、交渉材料でもある。
逆に言えばこいつがいなくなれば俺は丸腰同然だ。)
手にあるのは医療用のメス一本。
ほぼ丸腰。敵と遭遇したら即座に終わる。
それでも進むしかない。
本気で脱力した人間の体重は、訓練された兵士の脚をも鈍らせる。
担ぐたびに骨の折れた箇所から不気味な音がするが気にしない。
最悪こいつの頭さえ無事なら首より下はなくてもいい。
だがこの状態で周囲を警戒しながら進むのは至難だった。
(武器さえ……銃器の一つでもあれば……!)
そう思いながらも、ここがSGのどの区画かもわからない。
広大すぎる未来都市。
唯一分かる音を頼りに進むしかなかった。
「音の大きい方に行け」
ナポレオンの兵の教えは案外バカにならない。
その時、窓越しに視界が開けた。
外では自衛隊が撤退の最中。
その中に雨宮の姿を見た。
(やはり来ていたか……。だが劣勢のようだな)
ショットガンメインで来た雨宮隊たちはPC部隊が遠距離から攻撃することで動きを訛らせていた。
遠距離の装備もあるがPC部隊の距離の取り方が絶妙だった。
予想が当たった安堵と、彼らに期待できないという冷めた認識が同時に胸を過ぎる。
だが、合流できればまだ道はある。
せめて注意を引ければ……!
前崎は歩を速めた。
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一方その頃、別区画。
ジュウシロウは、蜘蛛型機械の上で撃ち抜かれるエルマーの頭部を目撃していた。
だがそれには比較的冷静で落ち着いていた。
「バックアップがある」――それが当然の感覚だからだ。
さくらテレビとは違い、ここはSGの本拠地だ。
電波妨害すら発生せず、確実にバックアップからの復活ができる。
しかし復活したエルマーが放った一言で、彼の胸は凍りつく。
「前崎が、少年兵を皆殺しにして、カオリを拉致した。
バックアップもやられている。」
瞬間、ジュウシロウの血は逆流する。
あれほど尊敬の片鱗すら感じた男が、ついにここで明確な裏切り者として刃を向けてきた。
(……あんなにメディアの人間を一緒に撃ち殺したのにな。
やはり大人はクズしかいない。)
ふとこんな時に飛行機であった老人のことを思い出したが、奴もどうせ本性はこんな感じだと思考を打ち切った。
周囲を血眼で前崎を探すが、姿はない。
熟練の大人らしい逃走か、それともSGの特殊ルートを知っているのか。
(見つけ次第、殺す……!)
愛する人を奪った挙句、仲間も殺したなら確実に敵だ。
ケンの件を別にしてももう容赦はしない。
そんな折、シュウから連絡があった。
「前崎を見つけた」と。
そう決意した矢先、目の前にいたのはシュウ。
どうやら看護室から3㎞の付近を走っていたようだ。
ジュウシロウもあまりこの辺は詳しくないが、シュウが足跡の指紋を追っていったらたどり着いたらしい。
ジュウシロウが見たシュウは見たこともない機械に乗っていた。
だが銃を構えず、立ち尽くしていた。
「……どうした?撃たないのか?」
前崎が挑発的に言う。
シュウの手には、Proto-Λcellion専用の銃が握られていた。
前崎はカオリを担ぎ、首にメスを添えながら構える。
射撃すれば確実に仕留められる。
それは間違いない。
対して前崎は医療用メスだけ。
そのメスには血が滴り落ちていた。
だが――カオリも撃ち抜いてしまう。
ジュウシロウは叫んだ。
「シュウ!構わん!! 撃て!!」
「いいのか!!カオリのバックアップ体は潰したぞ!!
それ以上近づいてみろ!!頸動脈を掻っ切るぞ!!」
有無を言わさないほどの前崎の声量で2人はたじろぐ。
シュウは銃を下ろしてしまう。
「シュウ……!」
「だよな。何も考えずに来たのか。
だからお前はガキなんだよ。」
そういってカオリを担ぎながら前崎は去っていった。
「おい!どうしたシュウ!」
ジュウシロウがシュウのその行動に苛立った。
しかし振り返ったシュウの顔はやつれていた。
殺してやると出て行った面影すらない。
頬にはメスで抉られたのか、赤い線から血が滴り落ちていた。
「ジュウシロウさん……俺、やっぱカオリさんを撃てねえよ」
その一言で、戦場が凍り付いた。
巨大な兵装すら意味を成さない。
人間の情が、それを縛る。
大人はそれを「弱さ」と笑うのかもしれない。
「……バックアップを失った今、ようやく思い出したんだよ。
味方が死ぬのが怖いって感覚を。
俺一人死ぬならまだいい……。
だけどカオリさんを巻き添えで殺すわけにはできないでしょうが!!」
かつてはゲームのようだった。
マリオの残機感覚で「死んでもまた生き返る」と錯覚していた。
だが今は違う。
残機ゼロ――ゲームオーバー。
その現実は、死という一点に直結する。
シンフォニアでもそうだ。
自分たちは正義側だと思い、敵(金持ちを中心とした大人全般)をゲーム感覚で殺していた。
今思えば俺たちはチートを使って勝っていたようなものだ。
死んでもいい。
その考えではいけないと国会議事堂で学んだはずなのに。
あの前崎から学んだことなのに。
チートをこちらが使っても有利であるわけで勝てないわけではない。
現実はプログラム通り動くわけではないからだ。
そんな当たり前のことにまた気がつかされた。
これは技術に甘えた現代の病気と言えるかもしれない。
それが見えたからこそ、ルシアンは前崎をアダルトレジスタンスに置きたかったのだが。
ジュウシロウは静かに言った。
「シュウ。退け。ここからは俺が行く」
「行く気ですか……?」
「もちろんだ。だが一人では無理だ。お前も来い」
ジュウシロウは神経外骨格を起動し、Proto-Λcellionと連携させる。
使ったことはないが何とかなるだろう。
「腕に捕まれ。頼んだぞ。」
シュウは逡巡したが、深く頷いた。
「……わかりました」
その瞬間、通信が入る。
『ジュウシロウさん、シュウさん。聞こえますか?』
「ソウか……?」
『ええ。話は聞きました。
死んだ子たちは戻らないのはもう仕方ありません。
だが一つ朗報が。」
「朗報?」
『前崎の部下と思われる人間を四人、捕獲しました。
首は今すぐにでも跳ね飛ばせます。
どうしますか?』
交渉材料――これは使える。
ジュウシロウの目に、勝機の光が宿った。




