8 過去の遺恨
「マクシミリアン様、一体どこに———」
「黙ってついてこい」
「…………」
次の日、言われた通り正門へ向かうとマクシミリアン様の姿があった。
早朝にも関わらず、顔の良さは健在だった。
そして私は、行先もわからないまま馬車へ詰め込まれた。
…………マクシミリアン様と同じ馬車に。
「まあ、ポナシェイド令息様」
「本日はお招きいただき感謝する」
地獄の馬車タイムを終えると、ある貴族の屋敷に到着した。
バラが咲き誇る庭園では、多くの貴族たちが談笑している。
(お茶会か)
前世の知識で見たことのある光景だ。
実際に見ると、随分とキラキラした雰囲気である。
マクシミリアン様が会場に入ると、空気が一気に変わった。
「あの方は———」
「珍しいな」
「相変わらず、お美しい」
探り、奇異、羨望など様々な視線が注がれる。
これが、あの人が生きている世界なのか。
あっという間に人に囲まれた彼から離れ、私は木の下に行く。
馬車の中で渡された紋章が刻まれたブローチを胸につける。
そして、そっと耳を澄ませた。
「まさかポナシェイド令息がいらっしゃるなんて」
「今日はここに来てよかったわ」
「でも、あの方はどうされたのかした」
「ああ、あの方?」
「「ポナシェイド令嬢」」
私の呟きと重なり、眉間に皺が寄る。
この話し方は、いい内容ではないはずだ。
「伯爵令息を追いかけていたのに、それを平民に横取りされたのでしょう」
「お可哀そうに」
「気の毒ですわ」
笑いを含んだ声に、気分が悪くなる。
「令嬢には今までお世話になったもの」
「そうね、私はドレスに飲み物をかけられたわ」
「私はハンカチの刺繍を笑われたわ」
「そうなの?私は―――」
(ああ、このことか)
アイラ様が恐れていたのは、このことを知られることだったのだろう。
過去の遺恨を、私に知られたくなかった。
唯一、何の偏見もなく自分に味方してくれる存在だから。
(知ったとしても、貴女の味方になるしかないのに)
手のひらを太陽にかかげると、指先が薄っすらと透けて見えた。
「おい、何をしている」
「!」
いつの間にここまで来ていたのか。
目の前には、不機嫌そうなマクシミリアン様が立っていた。
「ここの何か怪しい奴はいなかったか」
「いえ、今まで私しかいませんでした」
考え込みだした彼を横目に、会場を木の影から盗み見る。
誰もが笑顔で話していて、その内容が醜悪であることなど想像もできない。
「敵が多い……」
「やっと自覚したか」
「マクシミリアン様」
「あいつは色々とやらかしている」
想像通りではあったが、想定外だったとも言える。
悪行は想像通りで、敵の多さが想定外。
目の前の御仁だけで手一杯なのに、これ以上増えるのか。
「それでも、お嬢様をお守りするのみです」
「ハッ」
決意を鼻で笑われ、額に青筋が走る。
この人は、人を苛立たせないと気が済まない病気なのだろうか。
「甘い期待が失望に変わらないといいな」
「はっはっはっ、ご冗談を」
目が完全に死に、口からは失笑が零れる。
そんな私に、マクシミリアン様はニヒルな笑みを浮かべた。
きっとこの人は、他人に期待しない人なのだ。
本当に、私とは対極の存在だと思い知らされる。
「さっさと帰るぞ」
「もうよろしいのですか」
「こんな非生産的な場所にいるなど胸糞悪い」
(口悪)
彼は貴族の割に、丁寧な言葉を使わない。
ここだけは、親近感がわく部分かもしれない。
コンコン
「お嬢様、ただいま戻りました」
ワゴンに置かれているのは、おそらく夕食だろう。
他の人が届けてくれたらしい。
「実は、マクシミリアン様の付き添いで貴族のお茶会に行きました」
ガタッ
扉の奥から、微かに物音が聞こえた。
あの人は、私の話を聞いてくれている。
「お嬢様のお話も……耳にしました」
シーンとしたドアから、こちらを覗っている気配を感じる。
おそらく彼女は、ドアの傍まで来ている。
今から言う言葉で、この人との関係が決まる。
「派手にやりましたね、流石お嬢様です」
ゴンッ
「お嬢様?大丈夫ですか?」
ガチャッ!
「貴女ねぇ……!感想はそれだけなの!?」
久しぶりに見たアイラ様は、相変わらずパワフルだった。
「お久しぶりです、お嬢様」
「久しぶり、じゃないわよ!何か他に言うことはないの?!」
元気な声に耳を庇いつつも、少し痩せた頬に眉をひそめた。
「引きこもるにしても、ご飯はちゃんと食べてください」
「言うに事を欠いてそれなの!?」
興奮する主を落ち着かせようと、部屋へと押し込む。
主君に対する対応が雑だとクレームが入ったが、気にしない。
そんなクレーム、些事である。
そして、応接用のソファーで向かい合って座った。
「わたくしのことを聞いたのでしょう」
「ええ、まあ」
「反応が薄いわ!」
「いや、そんな文句を言われても」
確かに、気分が優れなかったからという理由で人に飲み物をかけるのはどうかと思ったが、別にどうということはない。
「お嬢様ならやりそうですし」
「………どういう意味かしら?」
「いえ、ナンデモナイデス」
久しぶりのこのやり取りに、お互い笑みが零れる。
彼女の目には、もう怯えはなかった。
「さっさと準備なさい」
「何のですか?」
立ち上がった彼女は、バッと机を指差した。
「教材の準備に決まっているでしょう!」
この日から、アイラ様は帝王学の勉強を再開した。