肺を満たすは煙霧と瘴気
く◯れ先生に取材したくなるくらいのド理系ミステリー
仮囲いの中に入ると、トイレと喫煙所に続く通路の全捜査員が、防護服とガスマスクを着けていた。耐衝撃用のプロテクターなどが見当たらないことから、毒ガスか有害物質の流布が起きたようだった。
「毒ガスにより、喫煙所で6人の男性が死亡していました。中は汚染されていて危険ですので、お二方もこちらを着てください」
佐助が、羽柴と流歌に防護服とガスマスクを渡してくる。そそくさと着替えて向かうと、喫煙室の床には6人の男性が倒れて死んでいる。しかし、外から見てもあまり苦しそうな顔で死んでいない。遠巻きから見る限りだと、ガスによる毒殺というよりは、先に意識を奪われた後に死んだという感じだった。
「邪魔するで〜」
扉を開けて中に入る。中がそんなに広くないため、流歌は念の為に外から観察してもらった。色々見たいところではあるが、まずは被害者の状態を鑑定する。
「・・・・・・」
顔色は少し青白い。だが、死んだからではなくこれは窒息の症状に似ている。意外なことに吐血もしていない。もしかしたら、やっぱりこれは毒ガスではなく有害物質による窒息死かもしれない。そして、マスク越しに感じる不快な匂い。この鼻をツンと突くような匂いに、羽柴は心当たりがあった。換気扇も念のため見てみたが、何かを取り付けた痕跡とかの異常は見受けられない。
では、犯人は有害ガスの装置を持ち帰ったのだろうか。部屋全体をぐるりと確認してみると、灰皿に捨てられたタバコに目が行った。そのなかで一本だけ、このご時世に珍しく紙タバコが捨てられていた。しかも褐色の紙が使われている珍しいタイプだ。羽柴はそれを拾い上げてあることに気づき、部屋から出てきた。
「どうでしたか?」
捜査員に防護服を消毒されながら、羽柴が分析結果を述べる。
「ガスはガスでも、毒ガスじゃねえな」
「毒ガスではない?」
「毒の症状が顔に出ていない。少なくとも気体は流布されたんだろーな。おまけにしゃがんだ時に腐れ卵の臭い・・・・・・当てはまるヤツっつったら、硫化水素じゃね?」
「硫化水素って、あの温泉街の匂いみたいなのですか?」
硫化水素とは、無色で水によく溶ける、弱酸性の硫黄と水素の無機化合物だ。常温常圧化においては、特徴のある腐卵臭を持つことで有名でもある。硫化水素が発生しやすい施設は半導体洗浄水処理施設や下水処理場などがあるが、間違ってもこんな喫煙室で発生する代物ではない。
「アレ吸いすぎると意識障害を起こして死ぬんだよね〜。だからタバコの吸いすぎは体に毒だって言ったのに・・・」
「いやタバコのニコチンで死んでねえよ」
佐助たちの前に、さっき灰皿で拾った紙タバコを見せた。二人は、急に見せられたタバコの吸い殻に唖然としている。
「正爾さん、これがどうかしましたか?」
「いやこれ、硫化水素発生装置」
「・・・えっ!?」
羽柴の毒素発生の原因発言に、近くの捜査員はすぐさま羽柴から距離を取る。羽柴はマスクを脱いで、安全であるとこを証明した。
「何よ急に離れちゃって、失礼しちゃうわね」
「何でオネエ口調なんですか・・・」
「ていうか羽柴さん。それ大丈夫なんですか?」
「ダイジョーブ!もう壊されてっから」
恐る恐る近づいてみると、フィルター部分が剥がれて中に小さな機械が見えた。このタバコは、フィルターに装置が組み込まれている小型硫化水素発生装置だった。しかも、紙を剥がすと内側はガラスで覆われており、紙タバコ型の電子タバコに改造されていた。
「でも正爾さん。硫化水素って引火性ですよね?」
流歌は硫化水素の特徴を思い出し、ガスに疑問を抱いた。硫化水素は可燃性ガスであり、引火性があるのだ。その爆発限界は4.3〜46 %と広い。更に、燃焼した場合には硫黄酸化物が生成されるため地面に痕跡が残るはずだ。
「火なんか点けたらボンッだな。だから火が点かないように改造されているし、火を点けないのに煙が出る不自然さを払拭するために細工されてんのさ。先っちょ見てみ?」
流歌がタバコをよく見ると、カムフラージュで先端にLEDライトが付けられており、中央に小さな穴が空いていた。
「なるほど、本当のタバコを改造して硫化水素装置を作ったのか」
佐助が受け取ってタバコのフィルター部分を分解してみると、発生装置と除去装置が組み合わさっている。タバコを吸うときはフィルターの役割を果たして硫化水素が除去される。しかし、咥えたまま息を吹くと硫化水素が撒かれるといった仕組みだ。オマケに、硫化水素は空気より重いから意識障害で倒れると吸い続けてしまい死に至る。密室を利用した、なんとも上手い殺害方法だ。
「だが、フィルター部分とかの唾液から犯人が分かっても、どこいるかは分からなくないか?」
「確かに。どうしましょうか・・・」
犯人はとっくにショッピングモールから離れている。つまり、日本全国からタバコテロ野郎を見つけ出せと言っているようなものだ。控えめに言って無理ゲーである。
だが、手がかりがないというわけではなかった。
「ん・・・?なんか癖の強い匂いだなこのタバコ」
「そんなに鼻近づけて大丈夫ですか?硫化水素で蓄膿症になりますよ」
「めっちゃダサいやん。いやそれはいいからお前も嗅いでみろよ」
「話聞いてましたって・・・メープルチョコみたいな匂いしますね」
どうやら現役JKな流歌の鼻に合ったようだ。
にしても、かなりインパクトのあるタバコだ。タバコなのにここまで甘いメープルチョコの香りがする。これだけ特徴があったら、タバコの種類から作られている場所まで分かるんじゃないだろうか。
タバコの匂いをヒントに、羽柴はスマホでとある場所を検索しながら今後の行動計画を決めた。
「じゃ警察は唾液のDNA鑑定。公安は公安のやり方で自由に捜査続けて」
「羽柴さんはどうするつもりですか?」
「支倉。ちょっと、タバコの中の葉っぱ取ってくんね?」
支倉が先端を外し、中の葉っぱを取り出す。使用済みだから少し薄いが、匂いはまだ生きていた。
「で、お前これで何するんだ?」
「さあね。俺はタバコ吸ったことねえから全然分かんねえ。これの名前とか使われてる葉、製造元もなーんも知らね。というわけで、ちょっと勉強してくるわ」
既に防護服を脱ぎ捨てた羽柴が、モールを去ることを宣言した。
「こんな時にどこに行くんですか?たばこ屋ですか?」
「スカイツリーの近くに、たばこと塩の博物館って名前の博物館があるらしいんだわ。こんな都合のいい博物館は他にないぜ?・・・にしてもニコ中しか行かなそうな博物館だな」
「偏見やめろや」
墨田区にあるたばこと塩の博物館。日本たばこ産業が運営する企業博物館で、タバシオとも呼ばれる施設だ。1978年の開館から渋谷区神南にあったが、2013年に移転したらしい。そこに行って、このタバコが何なのかを探る。足を使うし面倒くさいが、タバコ一本から突破口を開くにはこれくらいしか思いつく方法がなかった。
この現場は彼らに丸投げして、羽柴は羽柴で捜査に乗り出す。
「あ、そうだ。終わったら喫煙所に水酸化カルシウム撒いといて〜」
「水酸化カルシウムを?」
「硫化水素を無害化できる優れ物だぞ?ここテストに出るから」
「今まで出た経験ないですけど」
「冷静なツッコミありがとう!」
2階の出入り口から駐車場に向かい、スバルのフォレスターに乗り込む。向かう先は、墨田区のたばこと塩の博物館だ。エンジンをつけて、立体駐車場を出ていく。せっかくの休日がオシャカにされた恨みを晴らさでおくべきかと、羽柴は心の中で呪詛を吐いた。
「なんなら脳みそに効くタバコでも見つけられたら今日から吸いまくろうかな〜!」
「タバコと麻薬を一緒だと勘違いしてませんか?」
それでも、彼の精神は悪い意味でいつも通りだった。
物理専攻なので化学は詳しくないっす
今度理系ミステリー書く時は物理学使おうっと!