夜もまた此方を覗いている
霧ってなんか落ち着きますよね。
私も実家の外で霧が立ち込めているとテンション上がります。サイレント・ヒルみたいだつって。
薄霧がロンドンを今宵も覆っている。大して視覚に支障をきたさないその日の霧は、今ではロンドンの恐怖の象徴となっていた。
切り裂きジャックが現れてから市民は夜の街を往来することを恐れるようになり、決して一人で夜道を歩くことはなく、車や公共交通機関による移動を強要させられていた。
それでも、一人で出歩かなければならない人間は少なからず存在してしまう。三十代後半のとある女性は、不安なことに終電を逃してしまい徒歩で帰るしかなくなってしまった。街灯は灯っているが、霧のせいでむしろ不安感を掻き立てられている。しかしたった一つ幸運なのは、車の往来が多いことだ。人の気配が多いだけでも、彼女にとっては夜を歩くひと匙の勇気になる。
しかし、今夜はそんな小さな幸運程度で一夜を明かせるほど巨悪は弱くなかった。女性は目の前に現れた二人の男に誘導され人気のない路地へ連れて行かれた。女性は何故か、この男達を警戒することはしなかった。
そして女性が背を向けた瞬間に、片方の男がポケットからナイフを取り出し背中に突き立てようと振りかぶった。
男が肉の感触を冷たい金属越しに感じようとした時、闇の中から細長い棒のようなものが飛んできて男のナイフを弾き飛ばした。
音に女性も男も驚き、女性は取り敢えず大通りへ戻ろうとし、男は落ちたナイフを拾い上げようとした。しかし、闇からにゅっと現れた足がナイフを踏みつけ、しゃがんだ男の鼻に膝がめり込んだ。もう片方の男は逃げた女性を再び闇に引き摺り込もうとしたが、指が触れるその時に、路地に置いてあったであろうダストカートが男目掛けて投げられた。プラスチックなのに重量と硬さがあるダストカートは見事に男の上半身に当たり、中のゴミを吐きながら男を下敷きにした。女性は訳も分からず、そのまま無我夢中で逃げ去ってしまった。
「誰だ!?」
見えない闖入者に男は声を荒げる。すると、男達を待ち伏せていたかのように、彼らは暗闇から現れた。ホームズと羽柴達である。ホームズはそのままだが、羽柴達はお馴染みのマスクをして、アンフェールとしてロンドンの夜に現れた。
「誰だと聞かれたら―――」
「答えてあげるが世の情け―――」
「巴さんに貴方たちのイスを電気椅子に改造させますよ?」
映画の登場シーンみたいなことをしておいて、自ら瞬発的にギャグ路線に舵を切った。よりによってホームズとの悪ノリである。まさかイギリスの名探偵もポ◯モンを知っているとは思わなんだ。
男二人は腰に着けていた拳銃を引き抜いて羽柴達に向けた。対して四人は両手を上げる動作すら見せない。むしろ、煽るような苛立たしい表情をし続けていた。
「なんか生ゴミ臭くねお前? マジで17世紀ロンドンの路地裏みてえになってんぞー」
「君たちも死臭漂う生ゴミになりたくなければ投降しなさい」
「「殺人警官なんて面白そうな人間を、私(俺)たちは殺したくないんだ」」
霧が更に薄れる。シルエットは消え失せ、実像が明らかになる。濃紺色の制服と制帽、そして黒を基調としたコートが、夜と霧と相まって存在感を紛れさせていた。
犯人は、二人のロンドン市警官だった。ホームズは市警の名簿を記憶から瞬時に引っ張り出し、両名とも巡査であることを思い出した。それはつまり、コスプレではない、本物の警官であることの証明だ。
「・・・・・・どうして我々が怪しいと?」
「逆に何で怪しくないと?」
「何・・・?」
警官の眉が歪んだ。舞台が整ったホームズとアンフェールは、ドラマ的な推理を始めた。双子の探偵みたいに交互に犯人に畳み掛ける。
「何処で事件が起きるかは簡単に推理できたぞ」
「まず、今回の現場は切り裂きジャックの現場と被っているが、中にはホワイトチャペル殺人事件という同一犯の可能性が高い別事件の現場も混じっていた」
「おまけに事件の順番も元ネタ通りじゃない。じゃあ何を基準に被害者と場所を選んでいると考えた結果、がか座という答えが出た」
「がか座?」
イヴが疑問ありげに?を浮かべた。まだ星座に関する知識は浅いようだ。
「キャンバスを置く三脚のことだよ。四つの星からなる星座で事件現場もここを含めて四ヶ所。形的にも、最後はこのホワイトチャペルど真ん中だと確信した」
事件現場の法則はいま説明したが、まだ明かされていないのは何故がか座なのかと、どうして警官の仕業と分かったかだ。勿論、この天才たちは抜かりなく解き明かしていた。
初めは、ホームズが切り出した。
「切り裂きジャックの犯人説の一つに、画家説が実際にある。ドイツ人画家のウォルター・シッカートが犯人という説で、事件をモチーフにした絵画を制作したことや、事件現場の近くに住んでいたことなどが理由で、犯人説が浮上していた」
「だがソイツは事件当時フランスにいたアリバイがあったため容疑者候補から外れた」
「それと何の関係がある?」
警官が警戒心を上げた。手の汗が街灯で少し照る。アンフェールは流歌から一冊の本を取ってもらい、弁護士のような立ち振る舞いをし始めた。
「日本でも似たような事件があってな? あ、ここから先ネタバレだから」
「メタいこと言ってないで説明どうぞ」
流歌にどやされたため、アンフェールは早々に続きを始めた。彼はこの事件と同じような体験を、つい数ヶ月前にしたことがあったのだ。
「前に東京都内四ヶ所の教会で連続殺人が起きた。その現場を線で結ぶと十字ができて、中心はなんと防衛省だった。真実は、連続殺人でカモフラージュした、防衛大臣暗殺の儀式だったってこと」
「今回はそれと似たケースだ。彼らはウォルターを崇拝していて、そいつをジャックと信じている。だから二度目の切り裂きジャック事件を起こし、彼を匂わせる謎を散りばめた。
歴史に彼を殺人鬼として刻みつけ、昇華させる。信じられないが、これが彼らの動機だ」
「・・・何で儀式殺人ってこんなしょーもないんでしょうか」
「被害者の誰とも関係なく、性別や年齢に拘りもない。金も取らず恨みもなし。なら答えは不合理極まりないがこれ一つだね」
「・・・・・・」
男は黙秘を続ける。ここで何を言おうが、彼らは逮捕か逃走の二択しかないのだ。女性を殺そうとしていた時点で、真実関係なく生きるか死ぬかを迫られている。だから彼らの心にはウォルターへの崇拝よりも、目の前の障害を排除することの方が肥大していた。
『どうして、警察が事件を?』
巴は羽柴たちに聞いた。ここまで聞いて分からないのは、なぜ警察が殺したのかだ。本物の切り裂きジャックのような理由でもなく、ましてや金銭や怨恨でもない。警察関係者の誰とも、被害者との接点はなかったのだ。
「順序が違うぞ巴たん」
「たん付けやめてあげてください」
「警官が殺したんじゃない。儀式殺人でなるべくバレないようにするために警官になったんだよ」
「え?」
「計画は警察に入る前から始まっていたのさ」
そう言ってアンフェールは流歌たちに今年ロンドンに配属されたばかりの新人警官の名簿を見せた。その中には目の前の二人のプロフィールがあり、同時期に配属されている。
ウォルター切り裂きジャック説に心酔したカルト的狂信者たちによる儀式殺人。これが、この事件の真相だった。
「犯人も大体見当はついてたしね?」
「あ?」
「各警官の犯行場所の巡回ルートと監視カメラ。カメラに映ってた警察車両の当時の使用者と本来の巡回ルートを照合したら、お前ら二人だけが一時的に外れてた。いやー手口は面白かったけど、計画は俺にいわせりゃブスすぎるネ」
「それと、その銃は発砲しないことをお勧めする」
「は? 何だと?」
「なーんか、路地裏とは別の臭え匂いしねえかい?」
ニヤニヤしながら臭いの原因を問うアンフェール。犯人たちもそこでようやく、匂いの原因が何なのかに気づいた。嗅ぎ慣れた、鼻にツンとくる揮発性の香り。間違いない、灯油かガソリンの匂いだ。
匂いの強さから、今ここにある霧は自然発生ではなくアンフェールたちの罠であると気付いた二人は、仕方なく銃を仕舞い警棒を取り出した。
「警官になるだけはある。利口だね」
「よし、お前ら行ってこーい。方や久々、片や本格的な実戦投入だ。俺はレストレイド警部でも呼んでおくわ」
アンフェール以外の三人が前に出る。今回彼は助手と部下の成長を見守るつもりらしい。というより、ここで無理矢理にでも流歌にもう一度人を殺す味を覚えさせる気なのだ。
連続殺人犯を前に、流歌は深く息を吐いた。そして、ホームズは杖を、巴は小型ナイフを、流歌はアルミ合金の警棒を構えた。そして流歌と巴は、ここで初めてアンフェールの仲間として、彼と同じく地獄の名を口にした。
「では、ここは紳士的に・・・・・・イギリス諮問探偵シャーロック・ホームズ」
『アンフェール探偵事務所調査員ベアトリーチェ』
「アンフェール探偵事務所助手ペルセポネ」
「「『いざ、尋常に』」」
霧は、彼らの邪魔をさせまいとより一層濃くなっていった。
そろそろ漫画化されてほしいね