Boreas blows the fog.
北欧神話では風はボレアスの息吹みたいな話あるやん。
てことはボレアスの息って無臭なんだね。
ロンドンは、ベイカー街221B。
コナン・ドイルが作中でホームズの下宿としたその家は、実は当時は存在していなかった。それがベイカー街の地番が増えたことで、シャーロック・ホームズ博物館として存在できるようになっていたのだ。
ホームズは、そんな自分の博物館で暮らしている。厳密には博物館内ではなく、関係者以外立ち入り禁止の屋根裏部屋に居を構えているのだ。白い外観に緑の木造装飾が施されていて、金字でシャーロック・ホームズ博物館と書いてある。
部屋は意外と広く、東西面に一つずつある窓と橙色が少し混じったLEDライトが、近代イギリスを再現したかのようなホームズの自室を露わにした。アンティークの戸棚には化学や医学に関する本が並べられ、上段には堂々と毒薬や健常者に害をもたらす薬液が収納されている。
「ヘェ〜! なんかすっごいおしゃれですね!」
『あ、筋弛緩剤がある・・・。これマスターが最近よく使ってますよ。泥のように眠れるって評判です』
「巴、何種類かくすねといてねー!」
「堂々と言っちゃってますよこのダメ人間」
そんなイギリス、ひいてはヨーロッパ一の探偵の宅だろうと日本一の探偵達はお構い無し。友達の家に来て無遠慮にエロ本を探す中学生と同レベルだ。
「歩き疲れたね。まずは一杯どうぞ」
とホームズが瓶の中にあった透明な液体をカップに注いで羽柴の分も用意した。羽柴はそれを一歳警戒することなく「カンペイッ!」と言って二人で飲み干した。ちなみにこの液体はクロルヘキシジン水溶液といい、医療現場で使われる殺菌消毒液である。
「っはぁ〜〜・・・、目が冴えるぜぇ。冴えすぎて白くなってきたまである」
「副作用が出てるね。中和剤が必要かな?」
「もう嫌ですこの奇才たち」
またうんざりするような狂気の発作だ。本気なのか狂言なのか、未だにあたふたさせられる。ホームズは自殺願望がない分マシだが、羽柴は予測できない。気分やくだらない理由で平気で自分の命を投げ捨てる廃人だ。そう頭の中で言い訳のようなものを生成するが、そうなら羽柴は自分と会うよりずっと前に自殺していただろう。理屈と信頼が、心臓の中で戦争を引き起こしていた。
「お前何回そのツラになりゃ気が済むねん。パノプティコン・オルタの屋上でもそんな顔してたやん」
「え?」
気づけばホルマリンをグラス半分ほど飲んだ羽柴が、振り子のようにグラスを揺らしながら怪訝な目で流歌を見ていた。よほど辛気臭い顔をしていたのだろう。しかし、羽柴はその理由を聞くことはなかった。共感や同情といった機能がない代わりに、頭で理解したのだろう。
「・・・正爾さんは、もし私や巴さんたちが死にかけたり自殺しそうになったらどう思いますか?」
「え? いやなーんも思わねえけどぉ?」
予想はしていたが、いざ聞くと無情にも程がある。巴やイヴも、羽柴がどんな人間であるかは理解しているが中々にショックなようだった。
しかし、続く一言は彼の性格から思っても見なかった言葉だった。
「テメェらがそんなか弱い乙女キャラかよ。どっちかっつーと銀魂のヒロインくらいしぶといだろ。江戸より戦国だろ」
「女性に対して失礼すぎますよ」
ドカッと足をテーブルの上で行儀悪く組みながら、今度は羽柴が珍しくも呆れた表情で流歌達を見渡した。
「要するにアレだろ、お前自信がねえんだろ。俺は自信しかないね。誰が犯人かとか、コイツは犯人じゃないとか、その判断をした自分を盲目的に信頼している。だから間違わない。探偵が自分の推理すら信じられないなら死ねよ。もしくは殺人でもやって俺に殺されてくれ」
「私が言うのもなんだが一般人には酷じゃないかい?」
「むっ・・・」
ホームズの、暗にアンファールには及ばないという意味を込めた発言に、流歌は頬を膨らませてムッとしてみせた。
「デカルトの本を読んだことあるか? 我思う、故に我ありってやつ。あれは人間の真理だぜ。他の全てが偽だろうと、そう考える自分だけが真実。俺も同じ意見だよ。俺は天才的な推理力で、犯人の魂を業火で焼く地獄の王だ。この事実、俺が考えたことの事実が、俺に事件を解き明かさせ、犯人を殺させ、生かしている。だから俺は、俺が納得する方法でしか死なねえよ」
まるで新興宗教の教祖のような、科学的論理のない主張だ。しかし、その言葉が流歌達にはこう聞こえた。「心配するな」と・・・。
勝手な解釈だが、羽柴に人情は期待できないし表現することなどあり得ない。故に、そう受け取っておこう。
「とてもロマンス溢れる雰囲気だが・・・次に進んでいいかな?」
アンフェールの小説らしくないヒューマンドラマ的雰囲気が流れた時、ホームズが見えぬ作者の軌道修正に動かされるが如く今夜の話を切り出した。恥ずかしそうに顔を伏せる流歌と、バツの悪い顔をする巴、そして何のことか分からずあざとく首を傾げるイヴ。羽柴は既にグラスのホルマリンを飲み干し、洒落気にもミントを加えて二杯目を飲もうとしていた。
「まず結論だが、犯人が分かったよ」
「本当ですか?」
「あぁ、シャーロック・ホームズは推理において嘘は言わない」
「深みがあるぞパイセン」
閑話休題。話の腰を折りまくりながらも平然と進んでいくシュールな時間が当分流れていった。そこには第四の壁など存在できないほど崩壊していた。
「ここで推理とか言うと次回の俺らの見せ場が減るから今回は無しで」
「ここはいつから銀魂の世界線に?」
「最初からでしょ何言ってんの?」
「いま作者出てきましたよね? セリフ使って介入してこないでください」
「ひでぇ」の一言だけ言って、小説なのか現実なのか分からない四次元劇場は幕を下ろした。そこで流歌は、段々とおかしくなってきて笑いが込み上がってきた。こんなメチャクチャな物語の中でメチャクチャな人たちと生きているのに、むしろ正常とか普通とかに無意識にこだわっている自分が何より愚かに思えてきたのだ。自分は今回の事件で、また新しい何かにならなければならないという直感が流歌の脳を過った。
「・・・今回はどうやら私、そして君とアンフェールが主役になるかな?」
ホームズは、また一つ深淵に近づいた若者を期待を込めた目で見て、羽柴達と今夜の作戦を考え出した。
mistとfogの違い分かるかな?
ここテストに出るよ(多分)