黒は深く静かで
ジョン・ウィック外伝まだかな〜
羽柴はまず、現場のそばにあるビルから調べることにした。顔だけを殴打されている理由を知りたかったからだ。顔以外の外傷は一切なし、なのに被害者は犯人に対抗した跡が少なかった。爪の間に皮膚片はなく、被害者以外のDNAも発見できていない。
念の為と、撲殺以外の可能性を調べるために雑居ビルを登る。何か罠を使って被害者を殺したという線も捨て切れないのだ。
警察は下で現場検証と聞き込みを行っているのが、外階段の踊り場から見えた。このビルも向かいのビルも、部屋は全て埋まっていて空き部屋など存在しない。今いる外階段から何かしたかと思い手摺りなどを調べても何の痕跡もなかった。罠を張った可能性は限りなく低いだろう。
屋上に行くと、暫く誰も入っていないことによって積もった埃がドアノブにくっついたままだった。人の出入りがない以上、屋上での小細工もありえない。犯人がキャットウーマンやパルクール集団みたいな人間なら話は別であるが、そんなクライムサスペンスは天文学的確率でしか起き得ないだろう。
下に降りると、支倉と鉢合わせた。向こうも粗方聞き込みが終わったようだ。
「どうだ、って聞く前に当ててやるよ。目撃者なしだろ?」
「残念ながらな。そっちは?」
「綺麗に埃が被ってたよ。自然な汚さそのまんまって感じ」
「そうか。・・・しかし、あれだけ殴られているとなれば、犯人は長時間ここで被害者を殴ってたはずだ。なのに目撃や不審な音を聞いた人が一人もいないってのは、なんだか腑に落ちないな・・・」
「悪魔の◯の能力者か?」
「集英社ナメんな」
アウトすぎる発言にツッコミながらも、頭の中では推理を展開していく。単独犯でここまでの犯行ができるだろうか。目撃者等がいるなら単独もあり得たが、第三者を犯行現場に近づかないようにしていると考えれば、グループによる犯行の方が可能性は高い。
想像に難くないだろうが、羽柴は特別な事情がない限り、次の被害者も犯人逮捕のために平気で犠牲にする。今回も同じ手法を羽柴は取ることにした。第二の事件が起きるまでの放置である。何人被害が出ようと痛くも痒くもない彼だからこそ出来ることだ。
「また事件起きたら呼んでねー。俺は一応今夜見回ってみっから」
「仕事はきっちりやれよ?」
「おうよ。いつも通り事件解決。被害や犠牲はノーカンってな」
風来坊のように表通りにふらふらと消えていった羽柴は、本当に夜になるまで渋谷に現れることはなかった。事件の捜査をするでもなく、真っ直ぐ家に帰ったのである。巴に『お早いですね』と言われて「事件解決したから」と意味も理由もない嘘までついていた。ともかく、夜までまだ時間があるため、羽柴は先に寝室で寝ることにした。デスクの上に溜まっている報告書は巴に任せ、面白い事件がまた起きることを期待して瞼を閉じた。
「やっべー、遅刻したわ」
予想以上に長く寝てしまった羽柴は、電車ではなく車で突っ走った。静かな住宅街を通行人の考慮など一切せずに失踪し、猛スピードで渋谷に着く。適当な駐車場に車を停め、敢えて昨日の犯行現場からだいぶ離れた場所を巡回した。前の犯行現場と近い場所で犯行すると、現場周辺に警察がいると考えやすい。故に、犯人はできるだけ現場から遠い場所を選びたがる心理が働く。これが単独犯なら身軽で逃走経路なども選びやすいが、羽柴と支倉は今回グループ犯と並んでいる。なので、そんな一塊になってしまえば身動きが取りづらくなってしまう。散開して逃げる手筈なら話は別だが、散開と言っても路地なら道は最大でも四方向だ。警察に犯行がバレているなら、組織相手に屋外でのグループ犯罪は困難になるだろう。
つまり・・・・・・。そこまで考えて、羽柴は夜であるにも関わらず物音がした平凡な廃ビルに入っていった。
コンクリートの音が嫌に響いた。反響は羽柴にとってデメリットでしかなかった。相手が多人数と考えてる上に、こちらは一人だ。靴音で位置を知らせるのは通常リスクが高い。だが、そのデメリットこそ羽柴が望んでいたものだった。そこら辺に落ちていた鉄パイプを拾い上げ、不良のように肩に担いで警戒もせずに奥へと入っていく。そして少ししたところで、外で拾った物音が止んだ。どうやら事を成したようだった。肉袋を拝みに行くために通路を右に曲がった。
突き当たりの床に、四肢が付いた胴体が見えた。ロングスカートとパンプスを履いていた。女性の死体だ。工事現場の照明のようなもので照らされていたその肉は、身なりは乱されていなかったが前の死体と同様に顔面が陥没するまで殴られていた。赤黒い窪みが顔全体を覆っていて、肉も砕けた骨もライトでそれはもう鮮明に見られた。
「もう少し殴れば脳も溢れただろうに・・・・・・邪魔しちまったな〜」
深い溜息を吐きながら周囲の床を見る。埃には複数人の足跡が見られ、靴跡の違いから少なくとも5人はここに居たようだ。手足の周りには荒れた埃の跡がないことから、気絶か先に殺してから此処で殴られていたと分かる。顔に近づいて間近で陥没跡を注視した。これが殴られていなければ白雪姫のキスシーンだったのだろうが、生憎と側から見れば顔を食っているゾンビにしか見えない。
「素手のヤツがいない? あぁナルホド、DNAの痕跡を残さないよう全員が手袋とかメリケンサックみたいなのを着けてたのか。こことか明らかに拳じゃない凹みだもんな・・・」
入念に死体を観察していると、後ろからカランと物音がした。バッと振り向けば人影がまさに逃げようと身を翻していた。足元に単管が転がっているのが見えて、足で転がしてしまったようだ。
「ちょ待てよぉ!」
「ヒィッ!?」
嬉々とした表情で鉄パイプ片手に追いかける羽柴に、空気が抜けた悲鳴を漏らした逃走者は、案外身軽にビル内から外に向けて走り出している。静かな鉄骨とコンクリートの空間に、二人分の足跡と鉄パイプが威嚇する音が残響した。
数十秒ほど追跡していると、奥に明かりが見えてきた。疎な明かりに、羽柴は外に通じるガードフェンスと気づいた。
ガードフェンスをよじ登って向こう側に降りようとしたところで、遅れてきた羽柴はフェンス目掛けてドロップキックを喰らわせた。
「おらぁぁぁぁ!」
「ギャアアアッ!?」
悲鳴は若い男の声だった。ガードフェンスごと倒れて下敷きになった男の上に立って顔を見る。街灯に照らされたその男は、羽柴の知らない男ではなかった。
「お前、昨日自販機にぶち込んだニイチャンかい?」
「は、はい!」
逃げた男は、昨日羽柴に絡んで返り討ちにあった半グレの一人だった。最後に自販機に何度も頭を打ちつけたからよく覚えていた。逃げないように体重をかけ、フェンス越しに鉄パイプを突きつけた。
「オイオイあんちゃん、こんな夜中に廃ビルで何してんだい? 犯人だってんならあの美人さんだっただろう死体の横にお揃っちの顔面並べることになんぞ」
「い、いいいいえ! 俺はただ現場を見てただけです!」
「現場?・・・・・・なるほど、目撃者か」
犯人でなく証人というなら話は別。羽柴はパイプを捨ててガードフェンスを退かし男を立ち上がらせデニムの汚れを払ってあげた。とんでもない身の変わりようである。
「じゃあ、探偵らしく聞くことにしよう。何を見た? ちな黙秘権はなしで」
ゴッド・オブ・ウォーのヘラクレスもこれくらい殴られてました