主の恵みと受難の道
アナログはいざという時には最強なのです。
アナスタシアは、まだ部屋の中で祈りを捧げつつも密かに策を講じていた。たまたま手に入れた、古いメッセンジャーを使うのだ。何も書かず、何も持たせず。されどメッセンジャーそのものがメッセージであることを、アナスタシアは本を読んで知っていた。何かを話すでもなく彼に全てを託し、外へと逃す。監視カメラで監視していた男は、何も括り付けていないことからあまり警戒はしていなかった。警察は今頃捜査をしている最中だろう。確証などない、足掻きに近いこのメッセージが、神の運命によって誰かに届くよう再び祈った。
「どうか、どうか、どうか・・・」
羽柴は運転を巴に任せて後部座席に寝そべっていた。じっくり考えることがあったからである。犯人の居所やアナスタシアの行方ではなく、前提である犯人の目的についてだ。
「犯人はジャンヌ・ダルク処刑の代理復讐をカトリックにしている。一番の復讐ならローマ教皇の暗殺だが、そこまでしていないってことはフランスに限った復讐ってこったな」
「では、フランス全土からどう聖女を見つけ出すつもりですか?」
流歌が危惧していた捜査範囲について述べると、羽柴は心外とでも言うようなポカンとした顔をした。
「何言ってんの? 聖女様はこのパリにいるぜ?」
「え?」
「いくら誰にも気づかれずに誘拐できたからって、遠くまで見つからずに連れ出すのはリスク高いだろ。用意周到な犯人だ。そもそも、そんな危険のある計画は立ててないはずだ」
『では次の一手はどこに?』
巴が聞く。それを羽柴は今考えているのだ。犯人は警察を、ひいては羽柴たちに挑戦状を叩きつけている。聖書の一節を残したのがその証拠だ。あれがあったから、羽柴はルーヴル教会のことを知れたのである。
(聖書の一節から謎は始まった。・・・・・・!)
ーーー閃き。天啓とも呼べる閃きが神の雷の如く脳裏に落ちた。羽柴は助手席にいた流歌にあることを確認させた。寝転がって窓に足を投げ出した体勢で、面白そうに天井を見ている。
「流ー歌ちゃん、豚に真珠の出典元の聖書って誰の?」
「ちょっと待ってください。え〜と・・・・・・ありました。聖マタイのものです」
「よぅし行き先決定。サン=ドニ大聖堂までよろしく〜」
行き先も特になかった車は方向を変え、北へと向かった。犯人が小賢しくも残した謎を辿って、旅行のツケを払わせるために。
サン=ドニ大聖堂は、歴代フランス君主の埋葬地となった教会堂で、「神は光なり」と言う『ヨハネによる福音書』にあるキリストの言葉を再現した建物である。神が住む天上の世界を地上に再現するために高さと光を追求し、特にアーチを使った建築表現が有名だ。
近くに駐車して、曇り空の下でも霞むことのない壮麗さを目にする。率先して「行くぞ〜」と前を歩く羽柴の横に、ぴったりと二人は追従した。
「正爾さん、ここって聖マタイと関係ありますか? 話を聞く感じだとヨハネの方だとおもうんですが・・・」
「2011年にここでバッハのマタイ受難曲が演奏された。マタイ関連の美術品はほぼイタリアにあるし、教会も特にない。となれば音楽関連のここしか存在しない」
『でも、100%の確証はないのでは?』
「俺も最初はそう思ってた。だがよ、ここには革命好きの犯人の鉱物が置いてあるのさ」
好物?
首を傾げながらも堂内に入った二人は、羽柴の言っていたそれを見つけた。革命の代名詞『マリー・アントワネット』の像である。台座を見下ろし、左手首を掴んで胸元に持ってきている。有名な盛り髪は再現されておらず、ヴェールを被っていて一見マリー・アントワネットには見えない。
「あったあった」
羽柴は彼女の像を、誰もみていないことをいいことに近くまで寄って調べ始めた。そして彼女が見ていた台座の本を見ると、ページが綴じられた隙間に何かが挟まっていた。羽柴は犯人が隠したものであると確信し、その紙を広げる。
"ユゴーが審判の鐘を鳴らす。
天使が昇る柱を見上げ、見るものの罪を清めん"
紙にはフランス語で、それだけが書かれていた。羽柴も巴も流歌も、ユゴーという単語が人なのか場所なのか分からなかった。鐘も比喩なのか、鐘のある場所なのか定かではないため憶測しかできない。
「ユゴーだってよ。なんか知ってる?」
「いえ。巴さんは?」
『存じ上げないですね』
三人とも、恐らくはフランスゆかりのユゴーという単語を知らなかった。そんな時に頼るべきは現地の人間と相場は決まっている。車へ向かいながら羽柴はエマに電話を繋ぎ、二人にも聞こえるようにスピーカーにした。
「時刻は、11時ちょうどです」
『自分から掛けてくる時報があるわけないでしょ。どうしたの?』
「サン=ドニ大聖堂で犯人の謎を見つけた」
『本当!?』
電話向こうの彼女が声を上げた。その直後、車のエンジンがかかり、パリ中心部へと一度戻るため南方面へ向かう。天気は少しずつ悪くなっていき、これから向かっているパリの方には、既に雨が降りそうなほど暗く厚い雲ができかけていた。
「それで、ユゴーって言葉があったんだけど何か知らね?」
『ユゴーといえばフランス史上最大の文豪よ。レ・ミゼラブルって聞いたことない?』
「あ〜〜〜アレね!」
「分かってない返事ですよねそれ」
紙に書いてあったユゴーとは、フランスの有名な詩人兼元老議員の名前だった。ロマン詩人として名を馳せ、のちにナポレオン3世のクーデターに反対し亡命生活を送っていた彼が、一体何を指し示すというのか。
「じゃあ鐘は何か心当たりありますか?」
『鐘なんて教会なら大体あるし・・・・・・あ、でもユゴーで鐘と言えば"ノートルダムの鐘"かしら』
ノートルダムの鐘。
1996年に公開された長編アニメーションの題名だ。カジモドという名の男がノートルダム大聖堂の鐘撞きとして生きており、エスメラルダという女性との恋愛を描いたものである。
再び現れたノートルダムという言葉、
ジャンヌ・ダルク、
火の柱、
カトリック、
鳩・・・・・・。
いくつものピースが勝手に頭の中で繋ぎ合わされていく感覚が走った。そして最後のダメ押しに、羽柴は流歌にある画像を探させた。
「・・・・・・流歌。ノートルダムの正面写真プリーズ」
「え?・・・はい」
少し戸惑った流歌だが、お望み通り羽柴にノートルダム大聖堂の写真を提示した。それを見た時、羽柴の中で全ての推理が完成したのだ。三人で顔を見合わせ、全員が同じ推理の終点に辿り着く。一番最初に声を張り上げたのは羽柴だった。
「エマージェンシーエマージェンシー! 目標、ノートルダム大聖堂〜!」
『了解』
アクセルがベタ踏みされ、速度制限完全無視で三人の車が爆走する。羽柴は窓から顔を出して、セルフでサイレンの音真似をし始めた。フェスの観客のように、ハイテンションで腕をブンブン回している。
「ウゥゥゥゥゥゥゥゥーーーーーーーーーーーーーーーーン!」
『遊んでないで教えなさいって!』
状況は知らないが、羽柴がふざけていることだけは音で把握したみたいで、スピーカーから大音量のツッコミが聞こえた。戻ってきそうもない羽柴の代わりに流歌と巴が説明する。
「聖女の居場所が分かりました。ノートルダム大聖堂です」
『なんですって!?』
『犯人は聖女を攫って、ジャンヌ・ダルクのように火あぶりにするつもりです。しかも、カトリック教徒に変装して』
「そしてカトリックに罪を着せ失墜。プロテスタントを真のキリスト教として繁栄させ復讐完了。これが犯人の筋書きです」
『でも、大聖堂の何処でそれを・・・!』
「私たちは遅れていくかもしれません。なので、一刻も早く双塔の間へ向かってください」
更に車が加速する。悪魔の奇声を轟かせたヴォワチュールが、ポラリスから降ろうと車輪を回していた。時間はもう残り少ない。十数分かもしれないし、あるいはもう間に合っていないかもしれない。だが羽柴の推理なら、まだ交通法ガン無視なら間に合うはずだ。
「あ、思い出したそうだ!」
羽柴は何かを思い出したのか、後部座席の荷物の中から三つのものを取り出した。ここ最近では日本ですら使うことのなかった変身アイテムだ。
「仮面ライダー出動だ」
「あ。その前にちょっとドラッグストア寄ってくれ。アドレナリン切れちゃってさ」
『イエッサー』
「数少ない名シーンが迷シーンに・・・」
最後だけ久々にオシャレな言い回ししてみた。