白の平和
失っていたネクロフィリアの癖が蘇りそう
門から下ろされた遺体を注意深く観察する。首には縄の跡、抵抗した形跡はなし。足は縛られておらず、手だけが祈りの手のように固定されている。羽柴は遺体の首元をもう少し近づいて見てみると、極小さな注射痕があった。その後、確かめるように目や口内を確認して、羽柴の検分は終了した。
「この別嬪さんは首にロープを巻かれた状態で上から落とされた。それも無抵抗でね」
「根拠は?」
「手や首元に抵抗の跡がない。爪の間に皮膚もないし、首には注射の痕もある。どっかで眠らされてこの上から吊られたって感じじゃね?」
「・・・そう。でもなんで彼女が殺されるの?」
「それを言う前に・・・」
羽柴は一度立ち上がって、エマにある一つの質問をした。
「昨日、ルーヴルの教会で死んでたジジイは結局どこの誰?」
「あぁ、言い忘れてたわね。昨日の神父はトゥリビオ神父って方で、パリの司教の一人だったわ」
「ふぅ〜ん・・・司教から一般信者まで、か」
羽柴の、司祭から一般カトリック教徒、老若男女問わず殺害された意味に対する推理が語られた。
「こりゃ犯人のメッセージだろ。"カトリックに与しているなら老若男女問わず殺す"みたいな」
「完全に15世紀の報復ですね」
「だな。取り敢えず、カトリックのお偉いさんに注意喚起ぐらいしといてやろうや。旅行中にフランスカトリックが崩壊したら観光どころじゃねえし」
羽柴の言葉に、エマ達はノートルダムの司教たちに殺人犯への注意勧告を伝えねばならないと車へと向かった。羽柴も立ち去ろうと腰を上げたが、チラリと遺体の手を見た時に一つの引っ掛かりを感じ取った。右手の小指だけが左手の指と絡むことなく手の隙間に隠されていたのだ。
「あ?」
「正爾さん? 行きますよ」
疑問を頭の片隅で考えながらも、羽柴はその現場を後にした。
昨日は外しか見れなかった大聖堂は、今日も観光客や信者で溢れかえっていた。人々のパニックや疑心を招かないために、エマと羽柴たちの数人で司祭たちに掛け合う。教会関係者しか入れないような部屋で、初めて羽柴たちはパリで最高位のキリスト教徒と面会した。
「こんにちは、パリ市警の皆さん。本日はどういたしましたか?」
ノートルダム及びパリの大司教であるマルコが、警察に訪問の訳を聞いた。
「大きい声では言えませんが、ここ数日カトリック関係者を狙った連続殺人が起きています。ご存知かと思いますが、昨日ルーブル美術館で爆破事件が起き、近くの教会でカトリックの司教が殺されていました。そして、今朝は普通のカトリック信者も・・・」
「なんと・・・! そうであれば、この大聖堂を数日間閉鎖することも考えねばなりませんな。司祭の方々も、外出の際には夜を避けたり人通りの多い場所を通るよう伝えなければ」
マルコは、警察に感謝を述べて各協会関係者に通達するよう侍従に命令した。侍従が慌ただしげに部屋を出ていく。
「アナスタシアが居なくなったのも関係があるのですか?」
「はい。ここにいる日本から偶然フランスに来ていた探偵の羽柴御一行の推理によると、犯人はカトリックの失墜のために一連の事件や聖女の誘拐をしたと考えられます」
エマの報告に、マルコは眉間を摘んで俯いた。数百年ぶりの宗教的大惨事が起きようとしているのだ。しかし彼らはあくまで信仰者であって、騎士団のような武力は持ち合わせていない。無力感はあるだろうが、警察と協力者である探偵に任せるしかないと決めた。
「引き続き捜査お願い致します。何か分かりましたら此方からも連絡いたしますので」
「協力感謝致します」
そう言って、マルコたちはノートルダム大聖堂の奥へ消えていった。部屋を出たエマは、隣を歩く羽柴に何か分かったか聞いた。
「本当にカトリックが狙われてるの?」
「少なくともな。だが、犯人がプロテスタントかどうかは保証できんね」
「なぜですか?」
「さっき調べてみたら、この国でのプロテスタントの人口は1.5%しかない。そんな少なかったら犯人が絞り込みやすいだろ? なのに、そんな状態でプロテスタントが犯行に及ぶかな?」
「・・・確かに、考えてみれば絞り込みやすいですね」
「だろぉ? それに、こーゆう事件は長く緻密な計画が必要だ。カトリックの神父や、ましてや聖女に近づこうと思えば、生半可な準備や身分じゃ基本無理」
「それってつまり―――」
「おーとととととっ。それ以上は証拠不十分で不起訴案件だぜ?」
羽柴は証拠が足りないとして、流歌にそれ以上先の邪推をさせることを止めさせた。誰が怪しくて誰が味方なのか。それは、聖女の救出もしくは発見すれば自ずと明らかになることである。
「まず、聖女が誘拐されてからとっくに48時間は過ぎてる。つまり、72時間が交渉の成否を分ける時間帯だからあと多く見積もって24時間しかない。交渉の最大リミットは1週間が定石だが、そもそも相手からコンタクトも要求もないから参考にならん」
「どうすれば聖女の行方が分かる?」
「下心満載で言うと、アナスタシアが普段使ってた部屋を調べたい」
「ふざけてると入れてもらえませんよ?」
謝るふりだけして、羽柴は目的の部屋へとシスターの案内のもと向かった。鍵を開けてもらい、中に入る。そこは修道者らしく質素というか、悪く言えば少し殺風景であった。物書き用のデスクには、万年筆と写真立てが置いてある。写真は家族と聖母マリアの肖像画であった。反対側には仮眠用だろうか、シンプルなベッドが設置されていて、綺麗に整理されている。窓は一応開くが、少ししか開かないようになっていた。
「・・・・・・何もないですね」
「だな。骨折り損だわ」
『もう少し探さなくて大丈夫ですか?』
「探さなくても、情報の一つくらいもう分かった」
もうこの情報量の少ない部屋から何かを掴んだようだ。興味のあるエマが聞き出す。
「どんな?」
「犯人は知らねえ奴じゃないってことくらい?」
「犯人は少なくとも顔見知りだと思ってるの?」
「物が少ないからこそ分かることもあんのさ。ドアの鍵もノブも壊されてねえし、争った形跡や盗まれたものもない。となりゃ、知らねえ奴が押し入ったりはしてない証拠だ。そう考えれば、結局は犯人は『初めまして』なんて挨拶は交わしてねえってこと」
しかし、ここで得られた情報はたったのそれだけ。居場所に繋がるようなものは何一つなかった。探索をやめた羽柴らは大聖堂を後にした。最後尾を歩く羽柴が振り返ってノートルダムの双塔を見上げれば、陽の光に照らされたガーゴイルが自分を見下ろしていた。そして、その塔に向かって飛んでいく一羽の鳩が見えた。
(あっ、平和の天使がお空を飛んでる〜。今時の平和の天使は鳩サブレにされて土産コーナーに並んでるってのに)
そう暢気に考えながらも、今度こそ振り返らずに立ち去った羽柴は、その鳩を忘れることはなかった。塔へと向かったその鳩だけが、大聖堂前に群がる鳩たちと違い、純白の羽をしていたからだ。