フランスを染めた鉄血
スパイダーウィック思い出したわ
あーだこーだと、終始和気藹々としながら広大なルーヴル美術館内を歩いていく。フランス以外の芸術も羽柴たちを凝視し、または見下ろしていた。美の万博とは、誰が言った言葉だっただろうか。誰か言ったかもしれないし、羽柴の頭の中で勝手に出来た造語かもしれない。それでも、彼はその言葉がこの場所に相応しいと感じていた。
時刻は既に午後3時を過ぎ、あと十数分もすれば4時になる。羽柴たちはその頃、いよいよ2階のフロアへ足を踏み入れていた。リシュリュー翼の反対にあるドゥノン翼には、かの有名なモナ・リザが厳重かつ丁重に展示されている。半円の柵の中には、国会議員などの要人しか入ることは許されていない。
見慣れているとはいえど、一度は本物を見ておきたい。そう思った三人は、広場側からモナ・リザのある国家の間に入っていった。中は件の絵を見ようと既に国内外多数の人々が密集していた。できることなら銃でも乱射して道を切り開きたいところだが、流石にまだ見てないのに刑務所送りにはなりたくない。人の壁の向こう側がどうなっているのか、巴が携帯を掲げて写真を撮り、その様子を確認した。
すると、何やら人が集まっている理由はモナ・リザだけではなかったらしい。
『柵の上に何かが置いてありますね。箱みたいです。新しい楽しみ方のためのツールボックスですか?』
「んな訳よ。あの距離でどう使えってんだ」
「館員が箱を開けようとしてますね」
羽柴らを含めた客たちは不思議そうに箱を眺めている。そんな中で、館員がその不審な箱の正体を明かそうと箱の蓋を開け放った。
その瞬間、音すら消し飛ばす炎と爆風が前方半分の人達を吹き飛ばした。
悲鳴を上げる暇もなく、モナ・リザの近くにいた人間だった者たちは誰のかも分からない血肉と成り果てた。衝撃と風は止まることなく、部屋の入り口にいた羽柴たちにまで血と一緒に迫り来た。羽柴が二人を部屋の隅に突き飛ばした瞬間、血の風と一緒に飛ばされて悲鳴を上げる十数人の老若男女と2階の窓を突き破って外に放り出された。
「うおおおお!?」
羽柴は咄嗟に近くにいた男性を手繰り寄せると、着地の際にその男性をクッションとして下敷きにして身を守った。男性は落下と羽柴によって圧死してしまったが、羽柴は返り血で血塗れになりながらも起き上がり、2階に向かって両手を振った。
「いててて・・・スタント大成功!」
耳だけで羽柴の安否を確認した二人は、羽柴と同様に血で汚れながらも起き上がり、爆心地に近づいた。
「あの箱は爆弾だったんですね」
『それに、極力作品を傷つけないよう爆発の指向性を正面の皆絞ってます。その証拠に、絵画のある壁際や爆弾の真横と後ろに被害は大してないです』
「モナ・リザを爆破場所に選んだのは、人が最も多く集まるからでしょう。それに確か、絵には防弾ガラスが施されていて頑丈と聞いたことがあります」
箱は砕け散ってしまっていて、柵の上は黒く焦げていた。しかし、爆弾の部品のある部分だけは大破せずに比較的無事だった。よく見ると、分かりづらいが何か文字が刻まれていた。しかしそれは英語表記でないことは確かで、二人の知らない言語でもあった。流歌はその部分だけ携帯で撮影した。撮り終えたのと同じタイミングで、申し訳程度に血を拭い落とした羽柴が戻ってきた。
「大量殺人犯の手掛かりは? 爆発と一緒に原子に帰着した?」
「いえ、でも部品に明らかに犯人が記した文字がありました。知らない言語なのでよく読めませんが・・・」
外からは遅れて消防車や救急車、警察がわんさかやってきた音がした。血塗れでホテルに勝手に帰ることもできないため、羽柴たちは大人しく少しの間お世話になることにした。
羽柴たちを含めた生存者が廊下で安静にされながら待っている時、爆破現場では凄惨な赤のアートの中で事件解決に奔走する捜査員たちがいた。国家の間の入り口付近で、二人のフランス人が会話をしている。
「死亡者は遺留品をかき集めて確認した限りだと、80人近くが死亡。重軽傷者を合わせれば113人になります」
「フランス史上最悪の事件ね。爆弾はどうだったの?」
パリ市警の刑事である金髪をポニーテールにした女性とタブレットを持った捜査官が、現場状況を話し合っていた。今は生存者に事情聴取をするとともに、爆弾の破片を集めていた。そこで彼らは、フランス語でも英語でもない文字を見ることになる。
"ΜHΥ PIXYETE HAPΓAPITAPIA HΠPOΣTA ΣTOYΣ XOIPOYΣ."
「何語?」
「Σ(シグマ)の文字がありますので、恐らくギリシャ語かと思われます」
爆弾の部品には、ギリシャ語で何かが書かれていた。だが生憎ギリシャ語を読める人間は捜査員の中には居合わせていなかった。あくまで、捜査員の中にはである。彼らの後ろから、一人の軽傷ではあるが返り血だらけの男が近づいてきた。軽薄で飄々としたその男は、一切の躊躇も遠慮もなく事件に首を突っ込んだ。
「豚に真珠とは、随分と皮肉込めたメッセージやん」
「・・・流暢なフランス語ね。貴方は?」
「羽柴正爾。健全な日本人観光客だよ」
事件に遭遇したにしては落ち着き払った羽柴の様子に、只者ではないことを感じた刑事。
「豚に真珠って、新約聖書が由来の諺ですよね」
ギリシャ語の内容に心当たりがあった捜査員は、羽柴に語源のことを聞いた。
「正解。あんたカトリックかなぁ? ギリシャ語と言えば新約聖書の原文で、全部大文字ってことは当時のギリシャ語で書かれているってこと。美術館に爆弾で"豚に真珠"・・・・・・犯人のメッセージを表すなら」
そこまで言って区切った羽柴は、彼女の肩に馴れ馴れしく手を置いた。未だ少し残っていた血が肩に付着する。そして、太陽で影になって目元は見えにくかったが、その歪んだ三日月のような唇は陽光でよく見えていた。
「"真の価値も碌に分からないのに馬鹿どもが芸術鑑賞とは笑えるな"といった感じかな?」
何十人もの人が死んでいるのに面白そうにケラケラ笑う彼を見て、刑事は被害者といえど少し不快に、そして恐ろしく思った。彼は犯人とは関係ないだろうが、また別の異常者であると、己の中の勘がそう囁いていた。
「あなた何者?」
「日本でそこそこの探偵やってる者だ。相手が悪党ならジャック・リーチャーみたいなことだってやるぜ。なんなら今回の事件に雇ってみるかい?」
血と煤で汚れた顔には、狂気と怒りが見て取れた。爆破で誰か親しい友人でも亡くなったのか。そう思った刑事は、彼の怒りの正体を問いただした。
「どうしたの? 爆発で人が死んだから怒ってるの?」
羽柴はその的外れな言葉を小馬鹿にするように笑い飛ばした。
「ハハッ、フランス流のジョークか?
違えよ俺らの休暇に水を・・・いや火薬を差しやがったからだ。おかげでフランス旅行初日でまだルーヴルに来ただけなのに爆弾で吹っ飛ばされ、ゲルマン人のシャワーを浴びて二階から香港映画のやられ役みたいに吹っ飛んだんだぞ!
生きたクッションでどうにかなったけど」
「生きたクッション?」
「失言撤回。とにかく、個人的にタダじゃ済まさねえ。マッポの前だからぶっ殺すとは言わねえが、見つけ出して損害賠償を請求して奴を十字架に磔にしてやる」
「いや全部言っちゃってるけど」
「そういうことで、俺も一枚噛ませろ。異端審問の手伝いしてやる」
羽柴は刑事に対して手を差し出した。休暇を初っ端から邪魔した犯人に復讐するためだ。刑事は考えた末に、ギリシャ語から読み取った彼の推理力は力になると考え、協力を受けることにした。羽柴と握手し、彼女は初めて名乗った。
「エマ・ルメール。協力感謝するわMr.ハシバ」
「どもー。まずは、シャワーと綺麗な服が必要かな」
古代ギリシャ号に変えるのシンド過ぎ