狂想曲(カプリッチョ)
この前書きを書いている頃には、私は書籍を出版してる頃でしょう。
Amazonでこの度、別でやってる短編小説集「語らずとも談る」をkindle及びペーパーバック版で出版されました!
買ってね!(小並感)
暗いコンサートホールの中、舞台装置が行燈のようにステージをぽつぽつと照らし出し、ffの空虚五度によるリズムが弦楽器によって刻まれ、木管楽器がスケルツォ風の主題を奏で始めた。
その音の中に隠れるように、天井の足場では警棒対素手の格闘が繰り広げられていた。ヒュンと風を切る音が羽柴にだけ聞こえた。避けて、受け流して、時には態と当たって勢いを殺してを繰り返している。羽柴もなるべく音を出して気付かれないように、足技は使わず拳を主体とした攻防を繰り出していた。殴って血が飛び散って下の人間たちにバレないように、顔は狙わずボディや末端部位を重点的に攻める。だが、人影も巧みに警棒を振り回して羽柴の手の甲を跳ね除けたり、お構いなしに顔にフルスイングを叩き込んだ。血は飛び散らなかったが、ズキズキした痛みに頬骨が骨折したことを知った。
「いっっってぇ〜〜・・・!」
手を痛そうに振る羽柴に、人影がじりじりと詰め寄る。それに対して羽柴は、自爆覚悟で突撃した。タックルされつつも振り上げた警棒の柄頭が、羽柴の背中を強打する。
「ぎゃあ!」
しかし痛みを我慢した羽柴は、腰からベルトを外して引き抜き距離を取った。初めて体に力強く抱きついたから分かったが、人影は男性だった。女性ではあり得ない筋肉質な感触と体格だったのだ。
約3m距離が開いて睨み合う二人。直下の舞台では、活発な3連符のリズムに乗って進行する祭りの音楽が唐突に中断され一時の静寂が訪れた。結局互いに動くことはなく、堰を切ったようにシンバルと金管楽器が迫力ある音を撃ち放った。祭りのクライマックスが始まったのだ。それに反射的に反応するかのように、同時に駆け出した。羽柴の脳天目掛けて振り下ろされた警棒をベルトで受け止め絡めとる。そしてそのまま押し飛ばすつもりで男の身を勢いに任せて持ち上げ、そのまま舞台袖に落ちていった。下に置いてあった段ボールの棚に二人揃って激突したが、オーケストラの音楽の盛り上がりのおかげで、ホールの誰もこの舞台裏の闘争に気付くことはなかった。
先に立ち上がった羽柴は天井の照明のおかげで不明瞭だった男の正体が漸く視認できるようになった。
「仕事サボってこんなとこで何やってんだ警備のオッサン」
「ぐ・・・」
C線上のトルネンブラは、昨日監視カメラを見せてくれた警備員の一人だった。思えばそうだ。あの黒コートから着替えて怪しまれない人間は社員の他にもいたのだ。
「脅迫状を会社に置いていったレインコートは、エレベーターの中で着替えていた。だが、もし犯人が社員の誰かだと一つだけ問題が生じる。次に乗ってくる社員と出会してしまうというリスクだ。出社の時間なのに上から社員が降りてきたら怪しいし覚えられちまう。でも、警備員なら全てクリアできる。誰がどんな時間に上だろうが下だろうが現れても誰も不審がらねえ。いやはや、イイ感じに穴を突いたもんだよ」
パチパチと称賛の拍手をトルネンブラに送る羽柴。段ボールをどかして立ち上がったトルネンブラは、警棒を羽柴に向けながら初めて声を出した。
「何で俺だと分かった? 他にも警備員はいるし、殺害方法だって・・・」
「いや殺害計画自体はそんなに難しくなかったぞ。夜空は夜想曲の演出のことだから犯人は内部犯だと分かる。C線上のC線はチェロの音階だが、"線上"という言葉を用いていることからG線上のアリアに倣ってヴァイオリン関係を示唆している。同時にヴァイオリンには存在しない音階だ。ということは、犯人はその存在しない音階を奏でる弦を使った絞殺を狙うだろうってな」
たった一枚の脅迫状と舞台の演出から計画を推理されたトルネンブラは、動揺が警棒の先に表れていた。疲れとは違う震えが、彼の心理状態を物語っていた。
「犯行のタイミングが分かったら次は場所。あの暗闇の中を移動して誰かを殺しに行くには暗視ゴーグルが一番だが、ありゃ付けてる方も目立つから論外。となれば遠距離の凶器などを使っての暗殺になるが、舞台袖にだってスタッフがいるからそこから狙い撃ちは無理。となると残った場所は天井。紐とか垂らして絞殺が妥当だし、名前のヒントから丈夫なスチール弦を使うと見た」
「そこまでは分かる。でも、俺だとは分からないはずだぞ!」
「うん。そーだよ」
「・・・は?」
余りにも軽い羽柴の言葉に、面食らったトルネンブラは呆けた。
「だってよぉ、よく考えてみな? 犯人の計画、犯行のタイミング、そして場所・・・。これだけ分かればあとはそこに向かえば犯人は自ずと顔出すだろ。起きてもない事件の犯人なんてな、推理する必要ねーんだよ」
羽柴は犯人が分からなかったのではない。犯人の推理自体をしなかったのだ。もしこれが事件発生後だったら必要だったが、起きてもいないのに犯人の正体など知っても意味はない。何故なら、未遂事件において犯人の正体よりも先に犯行計画を暴いて阻止することが最重要なのだから。
ベルトを更に巻いて短く構える。コンサートも祭は終わりの静けさを表現し終え、最終章「シレーヌ」へと突入した。歌詞のない女声合唱が加わられており、月の光を映してきらめく波とシレーヌの神秘的な歌声が、精緻なオーケストレーションによって表現されている。
映画の終盤のようなBGMと共に、羽柴とトルネンブラは一斉に駆け出した、と思えば羽柴は近くの段ボールを投げつけてトルネンブラを牽制しながら近づいた。カウンターで殴ろうとしても既に距離が近すぎる。羽柴はベルトでトルネンブラの両手を拘束し、あとは殴るだけの簡単な作業が始まった。口内が切れ、鼻が折れ、腫れた瞼が開かなくなる。羽柴の拳はトルネンブラの血が付着しており、持つ気力を失って警棒が手から滑り落ちた。
執念で羽柴を蹴り飛ばして無理やり距離を取ったトルネンブラは素早くベルトの拘束を解いて裏から逃げようと走り出した。しかし、その目的は叶わなかった。
「ぎゃあ!?」
道中で見えない何かに足を取られてしまった。受け身も取れずにうつ伏せで転倒したトルネンブラは身を捩って転んだ原因を確認した。それはパッと見えはしないが、目を凝らすことでようやく露わになった。
「ヴァイオリンの・・・弦?」
「音楽の神を名乗る人が楽器のパーツに足元救われるとは、面白い皮肉ですね」
足首の高さに仕掛けられたヴァイオリンの弦、その側から待ち伏せていた流歌が現れた。先述しておくが、この罠は羽柴の策ではない。完全なる流歌のアドリブである。羽柴たちが緩衝材の段ボールが積まれている通路側に落ちてくることを読んだ上での行動だったのだ。
「お、流歌ナ〜イス! 罠に手榴弾も付けたら最高だったんだけどなぁ」
「いつから私はベトナム軍になったんですか」
雇われの探偵とは思えないほど物騒な会話が、腰を抜かした犯人の前で軽々しく交わされていた。異常な彼らの神経に後退するトルネンブラを逃すわけもなく、その足を警棒で砕いた。
「ぎゃあああああああ!」
「おいおい、こんなまたとない機会を台無しにすんなよ」
何を言っているのだと、骨が折れた激痛の中でもその思考が過ったトルネンブラは、次の一言で更に理解と正気が保てなくなった。
「せっかくの神殺しのチャンスだ。ちぃと遊んでいけや」
その後、演奏会の小休止まで、舞台裏では暴力的な演奏が奏でられていた。
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大学時代の青春の味