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夜想曲(ノクターン)

ノクターン・ノベルとは一切関係ありません

 皮肉なほどに晴れ渡った空の下、音楽の街で開催される演奏会を目当てに、多くの人々がアクトタワーに訪れていた。1階の客席は既に埋まり、2階客席ももうすぐ満席になることだろう。家族連れ、夫婦、一人客・・・もしこの観客の中に犯人がいないと知っていなければ、もっと面倒なことになっていただろう。

 ステージの赤いステージカーテンの隙間から覗いて客席の様子を見ていた羽柴、流歌、そして一ノ瀬は、今日起こることについて話し合っていた。

「ほ、本当に大丈夫なんですか? 殺人事件なんて起きたら演奏会だけでなく我が社も存続の危機ですよ?」

「ダーイジョブだって。俺だぞ? 俺が止めるつったら止まって当然なんだよ」

「その自信を否定しきれないところが辛いです」

 背伸びして暇そうな仕草をした羽柴は、近くを歩いていたスタッフに声を掛けた。

「あー君、ステージが暗くなる演出があるのはどの曲で何時から?」

「えっと、11時に始まるドビュッシーの夜想曲ですね。3つの組曲になっているので尺は25分となっています」

 コンサートの開始時間は午前10時。もう間も無く始まることから制限時間は1時間だ。それだけを確認してスタッフを解放した羽柴は、一ノ瀬に向けてニヤリと笑った。

「じゃあ仕事は1時間後に始まるってことで」

「なぜ夜想曲の時を狙って?」

「死が夜空を舞うって書いてあったろ。犯人は演出で暗くなる夜想曲の時間に、暗闇に紛れて殺人を決行する」

 羽柴が昨夜ホテルで辿り着いた推理の一つは、犯人が殺人に及ぶタイミングだった。日中に開催されるこのコンサートに本当の夜空はない。強いて言えば、夜想曲の演出として暗くなる時だけなのだ。犯人は暗号で、その夜想曲のタイミングで誰かを殺すと(ほの)めかしていたのだ。

「では何故いま動かないのですか」

「今動いても証拠がない。とっ捕まえるなら殺人未遂現行の時だ。それに殺害方法も犯人も闇の中。ライトアップさせるために電力復旧が必要なもんでね」

 手をひらひらとさせて裏方に降りていった羽柴を、流歌は一ノ瀬に一礼して追いかけた。一ノ瀬の胸中には、理解できていないが故の不安が重くのしかかっていた。


 のらりくらりと廊下を歩く羽柴は、後頭部で手を組んで呑気そうに考えていた。そこまで広くない通路で、楽器を持った奏者たちがすれ違っていく。

 先手を打つために犯人の計画を11時までに推理しなければならない。残りの材料は犯人の正体と殺害方法だけだ。暗闇でどうやって他の奏者にバレずに近づくのか。仮に殺したとしてどうやって姿を消すのか。そんな殺害する上で犯人がクリアしなければならない課題がいくつもある。犯人の目星も、昨日に警備室のカメラで見た映像が頼りだ。あの黒いレインコートの人物以降に出社した社員の誰かだと考えている。

 浮かんでは消える思考に夢中になっていた羽柴は、気付けば楽器が収納された倉庫の前に来ていた。何の気なしに扉を開けて中に入るその瞬間、流歌が彼に追いついた。

「正爾さん、1時間しかないんですから楽器で遊んでる場合じゃないですよ」

「いいからお父さんの言うこと聞きなされ」

 無許可で部屋の中に入った二人は、所狭しと置かれた楽器を見渡した。オーボエ、ファゴットなどの木管楽器やヴァイオリンなどの弦楽器が壁に飾られており、下にはシンファニやマリンバなどの打楽器やコントラバスが置かれていた。ここは奏者の楽器置き場ではなく、予備の楽器を保管しておく場所のようだ。

 羽柴は徐に一つのヴァイオリンを持った。弦はスチール製で、試しに弾けば少し硬めの音が響いた。羽柴は音を確認すると、軽くチューニングしてG線上のアリアを弾き始めた。単純ながらも感情豊かな旋律と、緻密なコントラポイントが組み合わさる。演奏には相応しくない場所であるはずなのに、まるでそこだけが小さいスタジオになったかのような錯覚を覚えた。

 ヴァイオリンなんて弾いているところを見たことがなかった流歌は、驚き半分呆れ半分で羽柴の演奏が終わるのを待っていた。すると途中で思いつきが発作を起こしたのか、原曲には存在しない旋律を奏ではじめた。目を閉じて音に聞き入るその顔は、まるで何かを待っているかのようだった。

 本来の演奏時間を20分もオーバーして引き続ける羽柴。音階は徐々に高くなり演奏も激しくなっていく。どうやらクライマックスに突入したらしい。汗が首筋に滲み始め、普段は意識することのない色気を感じた流歌は、自分で自分が恥ずかしくなった。

 最高音で演奏を締めた羽柴は、目を見開き何かが降臨したかのように天を仰いだ。

「よっしゃ流歌、神様を外宇宙に送り返す準備やるぞ〜」

「・・・もしかして音で脳を刺激して思考力を高めてました?」

 羽柴は流歌の推理に親指を立てて応えた。憎たらしいほど口角が上がった顔が流歌に向けられる。

「さてと、ショスタコーヴィチ交響曲第12番でもかましに行きますか」

 ツーッと撫でたスチール弦が、金属特有の摩擦音を発した。




 午前11時、ドビュッシー夜想曲「雲」が暗闇の会場で奏で始められた。4分の6拍子のリズムに「汽船のサイレン」を表すコーラングレの旋律が4分の4拍子のポリリズムで絡む。奏者は自分のパートも音階もしっかり楽譜を見て演奏できている。その秘密は、各々の楽譜に施された蛍光インクだった。暗闇の中で光る五線譜と音符が、夜想曲をより完璧なものへと昇華する。

 そんな彼らの()()に、闇に紛れた怪しげな影があった。手に細い線のようなものを束ねた人影は、奏者たちの真上まで到達するとそっと線をU字にして下に垂らしていく。ちょうど近くにいた、出番待ちのチューバ担当の女性を狙った。

 線がゆっくりと彼女の顔に近づき、眼前から顎先を通って首へと掛かろうとする。あとはこの線を思いっきり引っ張れば死が舞う夜空の完成である。力んだ手を振り上げようとした瞬間、チャキンと左手に持っていた線が切られた。何事かと左を見れば、昨日一ノ瀬社長に雇われた探偵がハサミを持って笑っていた。

「関係者以外立ち入り禁止だぞ、まっくろくろすけくん♡」

「!」

 切られた線を巻き上げて回収しながら人影は羽柴から素早く離れた。よりによって此処はステージの天井上だ。逃げようにも梯子を降りるか飛び降りるしか手段はない。よって、目の前の探偵(狂人)から逃げるには無力化するしか道はない。

 人影は懐から何かを取り出し、それを一振りした。すると、金属の音が3回鳴ったと同時に手から細長いものが飛び出した。暗くてよく見えないが、警棒のようなものだ。

「おぉう、デイヴィ・ジョーンズとジャック・スパロウか〜?」

 演奏会の真っ只中で、人知れぬ一対一の決闘が始まった。夜想曲は、雲が晴れて祭りが始まろうとしていた。


KDPには更なる進化が必要ですね。

具体的にはテキストボックスも対応しろください。

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