練習曲(エチュード)
書きづらい話は5〜6話で終わらせたくなる症候群
演奏会の舞台となる大ホールは、日本初の四面舞台と設備を備え、2,336席のキャパシティを誇る多機能ホールである。コンピュータ制御の装置を駆使した多彩な演出が可能で、本格的なオペラやコンサート、バレエ、演劇、歌舞伎などあらゆる舞台芸術に対応した最先端の舞台だ。
4階席まで用意された広大なフロアは、東京オペラシティタワーに匹敵する程の雄大さを誇っていた。舞台の上でリハーサルをする奏者や指揮者たちを2階の座席から見ながら流歌は周りを見渡す。何処からなら犯人が仕掛けやすいだろうかと、流歌は天井すら疑念の目で見ていた。
「WWAの入場じゃねえんだからそんなとこ見なくていいねん」
無駄に警戒することを止めさせた羽柴は遠くのステージを眺めている。殺害予告と暫定された事件が起きていることを知ってか知らずか、奏者たちのリハーサルは本意気に近い熱量だった。好きなアーティストの歌もライブには行かずにブルーレイで満足してしまう羽柴も、現地に来なければ分からない迫力があるのだと気付かされた。
「正爾さん」
「ん?」
「夜空って何の隠語でしょうね」
「演奏会自体は昼だもんな。停電とか?」
「犯人が暗闇でどうやってターゲットを殺すんですか」
「夜目が効くんだよきっと」
「犯人が猫だと思っていらっしゃいます?」
冗談混じりの対話をしつつも、舞台から目を逸らすことはなかった。
結局羽柴たちは、ただリハーサルを見ていただけで、今はこうしてステージの床に腰を下ろして観客席を見渡している。観客席からもステージからも観察したが、一階の前列でもない限り観客に紛れた犯人が奏者の誰かを狙うのは難しい。演奏会では入場者の持ち物検査はないが、誰も動くことなく静かに座っている状況の中では、どんな些細な動きも周りの観客が気づいてしまう可能性が高い。故にゼロとは言わないが、犯人が観客に紛れている可能性は低いだろう。
残るは演者やスタッフの誰か、つまり身内の犯行ということになる。舞台装置に仕掛けるならスタッフが怪しいし、楽器に何かを仕掛けるなら演者たちが怪しい。楽屋で犯行に及ぶことも考えたが、あれだけ演出が好きな犯人が裏方で人知れず殺すなんて考えにくい。
そもそも、犯人以前に標的にされている人物が誰かも分かっていない。まだ羽柴たちは、明日殺される予定になっている奏者が誰なのかは分かりかねていた。
「屋内で夜空とかプラネタリウムかよ」
「衆人環視の中で暗殺みたいなこと出来ますかね?」
「素人の方が手段にこだわるプロより予測しづらいもんだよルカソンくん」
「頭がパームズが言うと説得力ないんですが」
「ギャハハハハハ、いいねそれ!"頭がパームズ"。今後のジョークに付け加えておくとしよう」
誰もいなくなったホールに、先程までの美しい音楽とは天と地の差がある下品な笑い声が反響していた。羽柴の悪い所を順調に受け継いでいるようで嬉しい限りである。
「お巫山戯はここまでにして、実際どうですか。私は標的が個人で済むとは思えません」
「然り。演奏会に乗じて殺そうとしてんだ。会社に対する恨みとかも含まれててもおかしくない。そうでなきゃイベント中に殺すなんて真似はしない」
寝転がりながらあれこれ思考して駄弁ること15分。よく考えたら仕掛けるタイミングが今ではないことに気付いた。明日の朝も最終チェックが控えている。その時に殺人の仕掛けがバレたら全てオジャンだ。なら犯人は、明日の本番直前に何か企んでくるだろう。
そう考えれば、今日の夜に気張る必要はない。羽柴は明日の朝に備えてホテルの部屋に帰ることにした。
ホテルの部屋は同じタワー内にあるため、少しの徒歩とエレベーターで難なく辿り着ける。思えば和風の客室しか最近泊まっていなかったこともあって、羽柴は少し楽しみにしていた。足取りも少し軽い。そんな羽柴に水を差すのが申し訳なさそうに流歌が声を掛けてきた。
「正爾さん」
「なに〜?」
「前から思ってましたけど、正爾さんってクラシックが好きなんですか?」
「いや普通にJ-POPとかの方が好きだぞ。でもクラシックはクラシックの良さってのがあるやん。病院時代の音楽セラピーは気持ち良かったよ」
「イマイチ共感しづらいです。・・・もしこのまま放っていたら誰か死にますよね」
「もちろん」
危機感ゼロの声が羽柴から出た。羽柴は今回の事件で人が死んでもいいと思っていた。契約では「殺人を阻止してくれ」なんて条件は無かったのだ。
「でしたら、その好きなクラシックも台無しにされるのでは?」
人を救う気がなかった羽柴の体がピクリと震え、急に立ち止まる。羽柴は。人はどうあれ演奏会のことまで考えてはいなかった。流歌の言う通り、人命はどうでもいいが音楽が無下にさせるのは頂けない。音楽会にほぼ行かない羽柴からしても、今回で滅茶苦茶にされればもう二度とこういった会場に来ることはなくなるかもしれない。
「・・・・・・よし、誠に遺憾だけど本気出すかぁ」
「手抜く気だったんですね」
呆れた息を吐かれた羽柴は、流歌の頭を撫でて部屋に行く前に寄り道をすることにした。時刻は既に夕刻。そんな時間に行く場所など決まっている。
-オークラアクトシティホテル浜松 2F-
イタリア料理店「レストラン フィガロ」で向かい合って座った羽柴と流歌は、各々好きな料理を皿に乗せて食べていた。ブュッフェ形式のレストランなど何年ぶりだろうか。少なくとも、10年は来ていないと思う。
「肉が多すぎじゃないですか?」
「俺ぁいーんだよ。めだかボックスの古賀ちゃんくらい燃費悪いから」
「西尾維新さんに謝ってください」
雰囲気もへったくれもない、言葉通りのミスマッチの渦中で、羽柴は常人なら味気なくなる料理も普通に食していた。鶏もも肉のトマト煮とパンが舌に沁みる。
「イタリアはイイところ。とにかく芸術が素晴らしい。読者の諸君もお金と時間があったら行ってみなさいな」
「第四の壁が破られすぎてペラペラになってますよ」
ミネストローネを上品に掬って飲む。体は温まるが風情なんてないような羽柴の暴走トークが、全てを津波のごとく壊して掻っ攫っているような感覚がした。
「未遂で止めるということですが、犯人に目星はあるんですか?」
「いや、それはまだ。でも明日までには回答は出しとく。でないと宿題してねえって先生に怒られちまう」
「学校行ってたんですか正爾さん。ずっと病院だったんじゃないんですか」
「バカヤロー。こちとら大学は飛び入学して早期卒業してんだよ。立派な大卒だわ」
「飛び入学の時点で大分大学バレますよ」
真偽の分からない軽口を叩きながらも、羽柴の顔は笑っているままだった。
ホテルのベッドの上で羽柴は思考する。暗闇の中に常夜灯が弱く灯るのみで、聞こえるのは空調と流歌の寝息だけである。窓に目を向ければ、雲ひとつない南の星空が見えた。このまま飛び降りたら星座の一つにでもなれないだろうかと考えてしまう。
その星空というワードに、羽柴は天啓を感じた。そして、急にすらすらと頭の中に推理が駆け巡りパズルとして埋まっていく。最後のピースが埋まる頃には、羽柴の目は眠気なんて無かったかのように狂喜で見開かれていた。
この話書いてる時、書籍用の話や応募用の話なども同時進行で書いていたので職業作家並みに忙しかったです。
同時執筆はクソ。