神の子は全てお見通し
もっかいコロナ禍が来て給付金来ないかなぁと虎視眈々と狙ってます。
一律10万円でいいゾ(不労所得)
シェサンは警察が身柄を保護した上で、駐日ミャンマー大使館に引き渡された。勿論、相応のペナルティや制約を課せられた上でだ。
今回は他国での明らかな越権行為かつ違法行為だ。ネパール政府には、無条件での賠償金や犯人に対する厳格な処罰を求めた。シェサンは、帰国してすぐさま粛清されることだろう。
完全なる非合法行為がバレたことによりもれなく国際問題に発展してしまったが、今回はそれでいい。ダ・ヴィンチの故郷であるイタリアや、サルバトール・ムンディの所有者がサウジアラビアの王太子であることから、各国も巻き込んでの制裁となったが、自業自得なので仕方ない。
国同士の問題など羽柴にはどうだっていい。空からインドラの矢が落ちてさえ来なければ、慌てるのは政府だけで十分なのだ。
羽柴たちは探偵社であって、日本や世界を救う秘密結社でも何でもない。この先の厄介ごとはVIVANTにでも任せていればいいのである。
「やっぱ美術館はこうでなくちゃな」
「サルバトール・ムンディは持ち主に返却されちゃいましたけどね」
翌日、無事にダ・ヴィンチ特別展は再開された。羽柴らは事件解決のお礼として、本日は入館料からミュージアムグッズまで全て無料での提供を受けている。正式な依頼ではなく美術鑑賞のために事件に首を突っ込んだため、正式な報酬はない。その代わりとして、美術館側が今回の無料提供を申し出たのだ。美術館様々である。
「岩窟の聖母か洗礼者聖ヨハネが一番美しいと思わないかね?」
「モナリザはベンチ落ちですか」
「メジャーもんばっか注目してるようじゃミーハーと変わんねえよ。自分のセンスで好きな絵見なきゃ。不特定多数の目玉の方を信頼してる時点でセンスねえわ失明しろボケ」
「勝手にギアかかってますよ」
中世イタリアの水平線が強調されたルネサンス様式の内装が、擬似的に空間のみを過去に送り飛ばしているようだ。そんな世界で観る巨匠の芸術の、なんと映えることだろう。
「それにここの見物客は絵そのものの美しさといよりかは、歴史的なロマンを求めている方が正しいだろ。ダ・ヴィンチ・コードが流行りすぎたせいかな?」
『伝説とか秘密が好きって、マスターも男の子ですね』
「27歳児とかタチ悪そうです」
「テメェらをエスターみたいにしてやろうか?」
茶番をBGMに一つ一つ作品を見て回る。自画像、ほつれ髪の女性、キリストの洗礼、そしてモナ・リザ。この展示会の目玉とも言えるその絵の前には、アーティストのゲリラライブに負けず劣らずの観客がひしめいていた。
「背が高いとこーゆー時に得なんだよなぁ」
「ズルいです」
「肩車でもして欲しいって? 俺だったら今目の前にいる客を踏みつけて土台にするぞ」
『マスターが土台とするなら土台なのでしょう。その時点で相手は生命体ではなく温もりを持ち脈動する無機物に過ぎません』
「物騒な言葉で世界一の芸術を汚さないでください」
そんな三人を見ていた美術館の私服スタッフが、見やすいように最前列へと誘導してくれた。これも報酬の一つなのだろう。
近づけないよう隔たてる柵にはモナ・リザの解説が書かれていたが、羽柴も流歌もそのプレートには見向きもしなかった。
巴が何故解説を読まないのか聞いてみれば、何にも縛られたくない羽柴とその影響を強く受けた流歌らしい返答が返ってきた。
「本人でもない第三者の解説は芸術において偏見と固定観念を生み出す毒でしかない。そういうのを全て無視して、己の感性と価値観のみで芸術は観なければならない。あ、作者本人が解説してるなら話は別」
学芸員ですら目から鱗の観点だ。我々は美術館に行けばガイドやプレートが絵の表現などについて解説してくれる。しかし、その全てが作者本人が意図したものというわけではない。美術評論家を自称する者たちは、「あれはこういう意図があってこんな表現や意味が込められている」と宣う。しかし、その評論は作者以外の部外者が勝手に定義づけたものも多い。例え合っているとしても、芸術の価値や意味として扱うには弱いのだ。
だから羽柴たちは、作者自身が定義したものか自らの感性のみを信じているのである。
モナ・リザを一瞥し、最後の晩餐のレプリカを鑑賞している時も彼らは一切の解説を無視した。
『ではマスターに質問です。マスターから見て、最後の晩餐にどんな意図があると思いですか?』
巴からの挑戦じみた質問に、気分屋の羽柴は少し真剣に推理してみた。テーブルに並ぶ使徒とイエス、外の景色、パンとワイン・・・。
一分ほど絵を見据えていた羽柴は、面白そうに喉を鳴らした。
「クククッ、面白えじゃん」
流歌も巴も羽柴が何に気づいたのか耳を傾ける。また事件の時みたいにダ・ヴィンチ仏教徒説が飛び出してくるのだろうか。
「最後の晩餐とか言われてるこの絵はおかしいとこだらけだぜ。聖書と照らし合わせれば分かるが、外が暗くないしイエスの前に聖杯もない。まして出てきた料理も聖書の記述と違う。精密に書くダ・ヴィンチとは到底思えないってのが俺の所見ね」
それは、最後の晩餐を全否定するような意見だった。最後の晩餐は最後の晩餐を描いていないと言うのだ。では、この絵は何を描いたというのか。
「一番可能性があるのはイエス復活後に弟子と再会しての食事会だが、その時にはもうユダは自殺しているはずだ。
つまり、聖書の記述が間違っている可能性がある」
『聖書が間違っているなんて有り得るんですか』
「ユダの記述は統一してない。マタイは首を吊ったと言い、ペテロは身を投げたと言ってる。
そもそも、だ。キリストは裏切りを分かっていて何故回避できなかったのか、そしてユダがキリストを示す接吻を受け入れたのか・・・」
優美な美術館の中で、流歌と巴は周りの音も絵も人も見えなくなっていた。今から彼は、シェサンに話したこと以上の推理という名の秘密をここで喋ろうとしているのだから。
「答えは単純、全部キリストの計画さ。自身が神の子であるという証明をするためにね」
三人以外の時が静止した気がした。世界最大の宗教に隠された黒い神秘が封印から解放されようとしているような、そんな不気味さも漂っていた。
「裏切り者はストーリー上必須の役だ。それでイエスはより崇められる。だからイエスとユダ及び一部の弟子だけがこの計画を知っていた。つまり、ユダはイエスの指示で裏切った二重スパイだった。
ユダはイエスの計画通りに裏切り、死と復活を果たしたイエスは真に神となった。そして、ユダの真実を隠すためにマタイやペテロは嘘の末路を書きダ・ヴィンチがそれを絵にした」
あまりにも壮大で深い深淵を覗き見ている。むしろこっちの方が世界を混乱に陥れるのではないかと危惧すべき説話だろう。
なんてな、と軽く話を終えた羽柴の推理を二人は仮説とは思うことはできなかった。決定的物証は何一つないが、それを除いても有り余る信憑性。
こうやって無視できない都市伝説が生まれるのだなと二人は思ったのだった。
去り行く三人の背中を、救世主は無機質かつ鋭い眼光で見送っていた――――。
本好きなら角川武蔵野ミュージアムか神保町に行きたまえ