サルバトール・ムンディ
美術検定2級にいつか挑戦したいなぁ
「・・・・・・かなり抽象的ですね」
『支倉さんの言う通り、書いてあることは読めても何を意味しているのか分かりにくいです』
「だろ? だからお前らなら解けると思ってよ・・・」
死の間際に被害者が残した暗号がこの一文か。
神の園、穢らわしい悪魔、獅子、救世主・・・。使える単語はこれぐらいだろう。
そして、この左側に描かれたマーク。
「羽柴、お前西洋美術やキリスト教関連には詳しいだろ。このマーク分かるか?」
支倉の問いに、羽柴は「当〜然」としたり顔で答えた。
「このマークは、反キリスト教のシンボルだ。現在は平和や反戦の象徴の一つみたいに使われてるが、ピース・シンボルの起源は反キリスト教、魔術、死のシンボルみたいな意味合いを持つものだ。逆さの十字架に磔にされた聖ペトロを表わした古代の絵画が元ネタだったはず」
「じゃあ、犯人は悪魔崇拝者や反キリストの人間か」
「それは違います」
支倉の仮説を流歌が否定した。
「犯人が反キリストだというメッセージを残す意味がありません。犯人の名前とか特徴を書く方が合理的です。つまり、このマークは犯人ではなく何か別の物を指していると思います」
「お〜よくできまちたね〜」
「赤ちゃんみたいに頭を撫でないでください」
ふざけながら頭を撫でる羽柴の手を、そう言いながらも流歌は文句を言うだけで留めた。
「なら、このメッセージもそれ関連か?」
改めてダイイングメッセージに向き合う四人。すると、巴がスマホを翳して写真を撮り始めた。
「何してんの?」
『メッセージの単語を、芸術関連の語彙と照合してます』
「おっほぉスゲェ! 暗号解読アプリってことぉ!?」
『自作しました』
ドヤ顔で巴が羽柴に頭を向けている。忘れそうになるが、巴はインフェルノ連続殺人事件の実行はんで、化学に精通したスペシャリストだ。加えて、首の音声デバイスも自作したと聞いた。なら、この手のアプリぐらい作れて当然だろう。
羽柴は犬猫にするかのようにわしゃわしゃと撫でた。にまにましながら巴のアプリは解読を進める。そして解読された結果は、犯人関係なくたった一つの絵画だった。
『サルバトール・ムンディ?』
知らない単語に巴がクエスチョンマークを頭上に浮かべる。そのマークをかき消したのは、西洋美術好きの羽柴だった。ダ・ヴィンチの芸術が好きな者なら、誰もが知っている名画の一つだからだ。
「イエス・キリストを世界の救世主として描いた絵だな。男性版モナリザとかラスト・ダ・ヴィンチとか呼ばれてる名画だ」
「悪魔の言葉にはヒットなしですよ?」
「悪魔云々に関しては犯人のことを揶揄してるんだろ」
メッセージがサルバトール・ムンディを示しているなら、その絵はこの展覧会場に必ずある。今やここは、日本一ダ・ヴィンチの作品が結集している場所なのだから。
そうと決まれば羽柴たちは、展覧会の順路を進みながら件の絵画を探した。
「うおおおお最後の晩餐じゃん!」
「おい羽柴、公私混同」
半分ただの芸術鑑賞をしながらも羽柴たちは先に進んでいた。主に羽柴と巴が寄り道をし、流歌と支倉が引き戻すという流れが繰り返されている。
そうしてぐだぐだと順路を歩き続けて、ようやく目的の絵を見つけることができた。
レオナルド・ダ・ヴィンチと彼の工房が描いた「サルバトール・ムンディ」が薄明かりの下で、重々しい美しさをオーラのように放っている。少なくとも、美術に造詣の深くない支倉はそう感じた。
縦68センチ、横49センチの長方形の遠き過去の遺物が目の前で脚光を浴びている。
ルネサンス風の青いローブを着用したキリストが右手の指を十字に切り、左手に水晶玉を持ち祝祷している。サルバトール・ムンディとはラテン語で「世界の救世主」の意で、水晶玉は一般的に天球の象徴と解釈されている。
「これか・・・」
絵の前で羽柴とキリストの目が合う。神の子が己を見透かしているかのような透けた視線が、羽柴の目の奥底を覗いていた。
「これが本物のキリストなら殴ってたな。"何見とんねん"つって」
「チンピラすぎます。それよりも、小牧さんは何故この絵に対する暗号を?」
流歌が絵のあちこちをを見ても、巴がALSライトを当てても手掛かりは出てこなかった。
一方羽柴は、マークが指す反キリストについて考えていた。グルグルと、散らかった推理材料が目まぐるしく脳内で混ざり純度の高い真実を探り出す。混沌と狂気に満ちた羽柴の内包世界で、それは真夜中の街灯のように輝いていたが、手を伸ばして掴むには至らなかった。
「・・・正爾さん?」
「んぁ?」
「もしかしてですけど、犯人分かったりしました?」
流歌の期待の眼差しを向けてくる流歌だが、羽柴はそれを否定することにした。その方が面白いし、まだ全貌が明らかになったわけではないからだ。
「いや、全ー然。だが、小牧がなんでこの絵をご指名なのかは分かったつもりだが?」
「というと、なんだ」
支倉に答えることもせず、羽柴はサルバトール・ムンディに近づく。何かをする気なのは明らかだったが、流歌も巴も羽柴なら絵に損害を与えるようなことはしないだろうと思っていた。
そう思っていた数秒前の自分を、流歌はグーで殴りたくなった。
「ふんぬぁッ!!!」
羽柴は頭を大きく後方に振りかぶると、全力でサルバトール・ムンディを破壊した。紙が破ける音と、額縁の木がひしゃげて割れる音が静かな展示室に響き渡った。
「おおおおおおい!?」
事態に気づいた支倉が羽柴を羽交締めにする。
「こんなとこで頭パーになってんじゃねえよ!」
「ヒャハハハハハハハハハハハ!」
発作で狂ってしまったかと心配になった支倉を他所に、流歌は絵の破片を幾つか並べて観察する。
そして、羽柴の狂行に納得できた。
「支倉さん。正爾さんは狂ってますが間違っていませんよ」
「なに? どういうことだ」
破片に視線を向けながら、羽柴の真意を推理し始める流歌。
「まず、この絵は本当は油彩画なのですが、油彩特有の特徴がありません」
「特徴?」
「はい、立体感がないのです。油絵は何度も塗り重ねて立体感を演出するのが特徴ですが、この絵はそれがありません。そして次に、この紙です」
そう言って流歌は、破けたサルバトール・ムンディの紙片を拾い上げて支倉たちに見せた。
「紙がどうしたんだ。絵なんだから当たり前だろ」
「いいえ、違います。これが最大の理由です。本来なら確かに、絵とはキャンバスに描いたりするものでしょうが、この作品は別なのです」
「別? 紙の種類が変とかか?」
支倉の言葉に流歌は首を横に振った。
「いえ、そもそも大前提が違うのです。サルバトール・ムンディは、クルミの木に直接描かれた油彩画なのです」
支倉は驚愕した。紙ではなく木の板に直接描かれた作品とは思ってもみなかった。絵は紙に書くものという思い込みを利用されたのだ。
羽柴はそれを見破って作品を破壊した。つまり、それが導き出す真実は一つだけだった。
「ということは、この作品は贋作ってことか・・・!?」
サルバドール・ムンディを見た作者の感想
「領域展開・・・・・・無量空処」