戦場と秘密
時は移り、秋の紅葉が薄れていく景色を眺めながら私は馬車に揺られていた。
今度は視察や外交が目的ではない為に、周りの警備はより厳重に帝国から派遣された騎士によって守られている。
私が今向かっている先は帝国とその国境隣にあるルーマニア王国との境界線。数年前から小競り合い程度の戦が行われていたが、ここ数ヶ月で戦は激化し帝国と表向きに交流のある神殿に派遣要請が届いたのだ。
神殿の仕事は何も祈りや信者の治療だけではない。
各国家に配置した孤児院の管理や儀式の祭司、新たな国交を結ぶための外交など様々な仕事があり戦闘力の高い神官は支援要請を受けて戦場に派遣されることもある。
基本治療行為を目的と名分を抱えているがオルカなんていい例で好き放題殺し尽くしている。聖女は戦うことはないが表面的な帝国との関係を慮って今回の派遣に了承した。
今回手の空いている人員が少なく、何名かの新米神官も同行するこの戦。私がこの派遣要請に苛立ったのにはいくつかの理由があった。
まず一つはノースを連れていけなかったこと。オルカの支持者で溢れかえる神殿にノース一人を置いていくよりまだ戦場の方がマシだった。
またあの時のように私が不在の際に命を落としたなんて報告があれば、その時は手当たり次第暴れてやるつもりだ。
そしてもう一つは、戦場にいるこの事態の戦犯についてだ。きっとその男にはすぐに再会を果たすと思うが、それはとても憂鬱であまり考えたいものではない。
すぐ近くを帝国の騎士がいるためか折角のため息も飲み込んでまた数時間ほど馬車に揺られ、ようやく座り心地の悪い椅子から腰を上げることができた。
私が下りた場所は戦場の駐屯地とも言える場所。多くの天幕が張られる一方、絶えず重症者が運び込まれ痛みに叫び兵の絶叫がすぐ近くに聞こえてくる。
就任当初からのこととは言え、久しく出向くことのなかった戦場はあいも変わらず血生臭く聖都ジャンヌでは決して嗅ぐことのない匂いが充満している。
されど私には特段異常と認知できる感性は既に壊れており毎日の様に嗅ぎ慣れた匂いはただ不快程度にしか感じない。
私のために用意された結界を重ねに重ねた天幕に入ってもからも魔術による爆発や兵士らの断末魔が聞こえる。神殿で育ち初めて戦場へ着た神官の何人かは顔色を悪くし中には倒れる者までいる。
最初は意気込んでいた者も中にはいたようだが、戦争などそんなものだ。あっさりと人を変えて見せる。
ときには虫も殺さぬ人間を狂戦士に、勇敢な兵士を臆病者に…。それは戦場と言う歪な環境がそうさせてしまうのか、はたまた本性を剥き出しにさせるだけか。
どちらであろうと戦争がなくならない限り永遠に続くサイクルだと、これだけは信じている。他の何も信じられない私が、信じられるものがこんなものだけとはつくづく世の中は無情だ。
感傷に浸る暇は置いといて、動けなくなった彼らを置いて私はすぐに治療者テントへ向かい広範囲域神術で傷ついた四肢まで治してみせた。
まさに【聖女】に相応しい奇跡で、圧倒的な印象を植え付けるためにも大袈裟なぐらいが丁度よい。
二度と戻らぬとされた腕が、足が帰ってきた兵士たちは一同に神を崇めるかのように私に視線を向ける。
そんな彼らの称賛と崇拝を一身に受ける中、一人ある天幕に向かった。この駐屯地で最も厳重に警備されている、ある男のもとへ…。
「帝国第一皇子殿下にお目通り願えます」
「どうぞ。入って頂いて構いません」
その声からはまるで予想通りだとでも言うかのような余裕が混じっていた。こんな酷い戦況の中、愉快に笑えるのはきっとこの男だけだろう。
「失礼します。…お久しぶりです。第一皇子殿下」
「イアニスとお呼び下さい。そのような敬称は不要です」
「ではイアニス殿下。人払いをお願いできますか」
「喜んで。…お前達、外に出ていろ」
スッと頭を深々に下げ天幕を出る騎士と侍女ら。よく教育されているものだ。瞳に生気は感じられないものの、強さの水準は一般の数倍を優に超えている。
こんなに良い人材をどうやって集めているのか方法を知りたいところだが今はそんな話をしている暇はない。この戦況の原因を作ったこの男に、どうにかして制裁を与えてやりたいのだ。
「それで、こんな狭い天幕に二人きりになってまで話したいこととは何しょうか?」
いかにもわざとらしく先に煽ったのはイアニスだ。そして私はそれに【聖女】の表情を抜き取って答えた。
「人払いも済ませたことだし、その気持ち悪い喋り方やめてくれません?」
「気に入りませんか? 随分貴族らしくなったと思うのですが」
「チグハグなのよ、貴方。まるで取り繕っている感じが余計に」
「嫌です。貴方の嫌悪でさえ心地よいのですから」
うげっ、吐きそうになったのを戻して崩れた顔を元に戻す。この男は本当に、ある意味私の心を掻き乱す存在なのかもしれない。
「イアニス…。あんなことがあった後だもの。私も敬称は外すけど、今は忠告しに来たの。貴方のくだらない我儘で無意味にも兵を死なせるのはやめなさい」
「なぜ? 貴方の時間をたった数千の兵で買えるというなら価値を推し量るまでもない。あの男がいない今こそ貴方を此処に呼び出せる折角の機会だと言うのに」
「そんなことせずとも貴方は唯一私の弱点を握っているじゃない。何をそう遠回りする必要があるのよ」
「そんなことで貴方に特別な存在がいることを認めたくない。そんな理由じゃ駄目ですか?」
「分からないわね。狂った人間の言うことなんて常人には理解できないわ」
「貴方が常人? それこそ冗談でしょう」
「喧嘩なら買ってあげるわよ?」
「そんなに怒らないで下さい。私だって貴方に甘やかされたいペットの一人なんですから」
「…気持ちが悪い」
遂には口に出てしまった言葉が最大限の嫌悪感を表す。蔑んだ目を向けてなお喜々とした視線を送るのは、理解の範疇を超えているということで思考を止めた。
「俺は貴方の為にこの命を賭けられます。有意義なペットでしょう?」
「どこぞの野良犬に命を賭けられても不愉快極まりないと分からないの?」
「…それじゃああの御方に頼むしかありませんね」
急に覚めた声色で言った言葉は私の思考を単純化させることに見事成功した。あの御方、なんて私を動かせる人間はたった一人を除いて誰もいない。
「やめて…、って言ってるでしょう。イアニス・フォン・ラグナロクっ…」
「俺はただ貴方の縋る顔を見たいだけです」
これが本性かと思いきや、そうではないと長年の経験から培われた勘が警告していた。こんな単純な思考を持つ人間が、オルカやラクロスと肩を並べ合わせられる訳が無い。
私の唯一の弱点も知っていて、並々ならぬ執着。私の為に命を差し出せると言ったのもあながち嘘ではないだろう。それが
はぁ……
ため息を一つ吐いて私はゆっくりと頭の中を整理していった。相手のペースに乗せられるな。どうせこの男も…、私には逆らえない。
「…ねぇ、イアニス。あまり挑発しないでくれる? 目障りなのよ、あなた」
「なら早く俺を受け入れて下さい。貴方の内側に、俺だけを入れて欲しいんです」
「それは無理だって貴方が一番分かってるでしょ? あの人がいる限り、永遠に…」
私の言葉に苦虫を噛み潰したような、憎しみに身を焦がすような瞳で見つめるイアニス。その視線にあるのは私かはたまたあの人か。
まぁ、飴と鞭の使い方なんて手本がいっぱいあるから困らないで済むんだけど…、
「…だけど貴方があの人に手を出さないと誓ってくれるなら、私も少しだけ貴方を受け入れてあげる」
ちゅ……
頬に軽くした口づけ。私はもう慣れたものだけどどうしたことかイアニスは固まってしまっている。瞳孔さえ開きっぱなしで怖いというよりは間抜けと笑える顔だ。
「これで頑張れる?」
「………一日で終わらせます。俺の天使様」
徐々に表情を解き次第に頬を朱色に染めたイアニスを、私は不可解な目で見つめた。先程までの異常な狂気は何処へやら、今では嬉しさが形となって飛び跳ねて現れて見えるのは私の幻だろうか。
喜々とした笑みで天幕を去っていったイアニスの背を見届け、私は今まで堪えていた激痛を押し堪えながらゆっくりと自分の天幕まで歩いて戻る。
そして…、
ごぷっ……、ッ
天幕に戻ったと同時に白の衣装に血がつかないように咄嗟に姿勢を下にして口から溢れた血を地面に落とした。
幸い天幕に人影はなく、神官達の気配も感じられない。良かった。誰も見てない。
ほっ…と息を吐いたのも束の間、心臓が直接握られるような激痛が私を襲う。声を押し殺して、誰も私を見つけられぬように天幕の端に移動した。
っはー…、はー……n
呼吸を落ち着かせて、心臓のあたりをさする。神力を使えば良いものを、と思うかもしれないが以前それをしたとき更に激痛が増した。
一通りしたら自然と落ち着くので放置しているが、私はこの原因をある程度予測している。
この身体はとっくにガタが来ているのだ。人間がどのような仕組みで成り立っているのか、前世で知識を得ていた私には分かる。
永久的に人間が蘇生することなど人体設計上不可能に近い。たとえ人ならざる力で細胞を回復させようと、その細胞にも老化があれば永久的サイクルはいつか破綻するだろう。
そして私にはそのサイクルの破綻が近づいていた。普通数回蘇生した程度では細胞の老化など微々たるものだ。だけど私はそれをこの十年何百、何千と繰り返してきた。
蘇生でなくとも四肢を再生させることなども含めれば何万と続く。限界なのだ。私の身体は…。
だけどこれをオルカやラクロス、イアニス達に伝える気など微塵もない。伝えればこの歪な関係も少しは緩和するだろうが、それ以前に私を誰にも近づけない地下にでも監禁するだろう。
私が死ぬかもしれないという可能性が少しでも出れば、彼らはそれをやる。長年付き合ってきたせいか、その思考が手に取るように分かるのだ。
そして何かしら私を蘇生させる手段でも考えて終わりだ。私は【原作】に介入するまでもなく、死に至ることもできない。永遠に閉じ込められて彼らの欲を満たす終わらぬ人生を生きる。
それが分かっているからこそ、この事実は隠し通さなければならない。 歴代最高の神力を持つ【聖女】が唯一回復できないのが自分自身だなんて、滑稽も良いところだ。
肺が膨れて内側から破裂しそうな激痛は長らく続き、私はその間に血も涙も枯れるまで流し続けた。私一人で着替えられない衣装に血がつかないように、袖が涙で濡れないようにしながら…。
何故に突然のイアニス?と思われた方。だって彼だけ登場シーンめちゃ少ないんだもん!
過去を初めて掘り下げたキャラのくせして存在感の薄さに私もう大号泣!!!急いで書いたよね…。
 




