仮面舞踏会で…
・ 【ヒロイン視点】です。
社交界デビューを終えた後、私は想像もできなかった目まぐるしい毎日を送っている。それはまるで今までの空白の半年間を取り戻すかのように、朝も夜も息が休まる暇が無い。
だけどそれは確かな充実だった。自分が自分であると、何者でもなかった私が色を足していくかのように世界に色鮮やかさが増した。
「殿下、こちらリジェネ公爵令嬢、ユーグリア侯爵令嬢、フェリネ伯爵令嬢です」
邸宅への招待に応じたその日、エディスが紹介したのは三人の令嬢だった。噂など程遠い私でも分かる、貴族として生まれ育った気品を纏った彼女たちに少し怖気づきつつ、逃げずにきちんと目線を合わせる。
誰もが第一印象を大切にするのだと言っていたナターシャの言葉を思い出して…。
「私の社交界デビューに参加してくださった方々ですね」
「お覚え頂き光栄です。殿下」
ふわっ、とそよ風が舞うように完璧なお辞儀を披露してみせたリジェネ公爵令嬢にまるでお手本みたいだと内心褒めちぎる。
「彼女たちは今後殿下が社交界を引率する上でサポートに回っていただきたいと考えております」
「え……? 待って下さい。そんな大役エディス嬢にこそ相応しい役目ではありませんか?!」
「私達も了承したことですわ、殿下。元来より貴婦人の社交場である社交界を先導するのは最も地位の高い皇族の方と決まっております。今代は第一皇女殿下の醜聞でその事実が弱まって見えただけで、実際その慣習を重んじる貴族も一定数存在しています」
エディスの突然の提案に驚く暇もなく、もはや決定事項のように告げられる『それ』は私にはあまりに重荷が過ぎた。
「私なんかに…、無理です」
「できます。殿下は生まれながらに授かったカリスマがあります。たとえ今はできずとも、いずれは確固たる権威を確立するでしょう」
「私達が誠心誠意サポートさせて頂きますので、ご安心ください」
エディスに続きユーグリア侯爵令嬢やフェリネ伯爵令嬢の力強い言葉が、ほんの少しだけ心が突き動かされた。もちろん私には無理だと分かっているけど、…やれるところまではやってみたい。
「……分かりました。私も皇族の一員として、精一杯の努力を尽くしましょう」
そんな経緯で私のサポートをしてくれるようになったリジェネ嬢達だけど、これがかなり助けになっている。
まだ即興が難しい私にとって経験豊富な彼女たちが保護者的役割を果たしてくれているのだ。彼女たちを観察しているとその会話の一つ一つにさえ洗練されていて、自分がいかに未熟であるかを改めて知らされる。
だけれどもこんな機会は二度と訪れない。何より実践で学ぶことでその吸収力は飛躍的に上がっている気がする。
社交とはつまりは交渉だ。相手が何を望み、自分がどう利益を得るか。その最適解を即座に導き出して行う交渉術。
どうやら私には存外向いていたようで、リジェネ令嬢達にも随分と褒められて実際天狗になっていると言われればそうかもしれない。
招待状の数は日を追うごとに増え、もはや選別する立場にまである。いかに社交界の地位が大切かが思い知らされたような気もするけど、ナターシャが誇らしげな顔をしているから別に気にすることはない。
ナターシャだけじゃなくて他のヘルメス卿やメイドの人なんかも嬉しそうだし、やっぱり頑張って良かった。
社交界デビューから数週間の月日があっという間に流れて、私は今日も社交パーティーに参列していた。いつもと違うのは昼間ではなく真夜中に開催されること。
皆が仮面を付ける舞踏会。リジェネ令嬢が言うには口固い高位貴族もこの場では無礼講であるために交渉しやすいと言う。
初めての仮面舞踏会は私にワクワクと不安を募らせた。初めは誰が誰だか分からず混乱すると思っていたけど、思いの外その人の特徴なんかである程度予測づいた。
補佐としてついてきてくれたリジェネ令嬢達も髪の色や背格好なんかですぐに見つけられたし…。
そんなこんなでリジェネ令嬢に聞いてみるとどうやら本格的に姿を変えるのは年に一度開かれる仮装舞踏会だけらしく、定期的に開かれる仮面舞踏会は知っていても知らない振りをするというものらしい。
う〜ん…、貴族ってやっぱり難しい。なんでそんな紛らわしいことを…、ってなるけど皇族になったからには慣れなきゃだよね。
とりあえず縁を繋ぎたい貴族とは一通り話し終えて、後は各自それぞれの行動に移って良いということだったので私は顔見知りの貴族令嬢らの元へ向かった。
帝国内でも有名な染工事業やワイン事業を執り行う家門の令嬢に、代々海軍を指揮する名門の令嬢。当たり障りのない会話で、彼女達の話に耳を傾け良い印象を植え付ける。
本当の友達かどうかなんて、ここにはない。それは確かに自分で望んだことなのに、どうしてこんなにも空虚に感じるのだろうか…。
駄目だ私、忙しすぎて自分でも気づかないうちにだいぶ気分が滅入っているや。仕方ないから一言言ってその場を外す。こういうときはテラスで一人月を眺めた方がずっと心が晴れる。
狙うは人気のない二階の端から右に数個ズレた場所。基本テラスは休息所や秘密の話し合いなどに使われ、中に一人が入るとその場では許された者にしか共に入れないという暗黙のルールがある。
これはまだデビュー直後の貴族令嬢を守るためのルールとされているけど、考えた人には是非拍手を送りたい。おかげで誰にも邪魔される心配なく一息つける。
…なんて、綺麗に夜空に浮かび上がった月を見上げ一人物思いにふけっているとテラスのドアがガチャリ、と開く音がする。
テラスに人がいるというサインはカーテンを閉めているかどうか。私は確かにしっかり閉めたはずなのに、中にいるのが私だと知って入ってくるのはリジェネ令嬢達ぐらい…。
貴族の中にはまだ若い貴族令嬢達がテラスをよく使うのを知っていてわざと入り強引に関係を迫る人間もいると聞いた。それは爵位が低ければ低いほどターゲットにされやすいと言う。
幸い私は自分の身分で難を逃れられると思うが、お酒に酔っ払って襲うというケースも珍しくはないというので外枠に背中をピッタリと付けて身体を強張らせる。
万が一のときは…、最悪このテラスから外に飛び降りることも。と、考えているうちに無粋な訪問者の姿が見え、私の思考は一気に移り変わる。
「ロ、ン……?」
「…無礼をお許し下さい、ルナ。貴方に会うためにはこれ以上の方法が思い尽かず」
「い、いえ…。お会いできて嬉しいです、ロン」
外枠に身を寄せていた身体はすんなりと離れロンの元へ向かう。仮面を着けていても分かる。あの日出会った彼と何ら一つ変わらない。
「貴方を見かけ、どうしてももう一度お会いしたかった」
「私も…、ずっとロンのことを考えていました。もしまた、お会いできたらといつもこのハンカチを…」
ドレスのポケットに入れていたハンカチを手に持って見せる。寂しく感じたとき、この月の下でいつも貴方のことを考えながらハンカチを握っていた。貴方が私の心の支えだった。
月を夜景に色々とまた最近会ったことを話して何気ない時間を過ごす。私は特に社交界活動のことを喋って、ロンはそれに聞き役に徹して沢山褒めてくれた。
こんな時間がずっと続けばいいのに…、そう叶わない願いをしているとふとロンの格好に目がいった。
「ロンは、仮面を着けていても格好いいですね」
「ルナにそう言って頂けるとは恐縮です。もし貴方に会えたらと思うと、少し張り切り過ぎてしまった感も否めませんが」
贔屓目で見ても今日のロンの格好はこのパーティーの主人公と言っても遜色ないぐらいに輝いている。
それは衣装が特別に手の込んでいるという訳ではなく、その身のこなしと立ち振舞からして滲み出る気品がそう物語っているのだ。
こんなに格好いいのに謙虚な人間がこの世にいるだろうか。いや、いない。いるとすればそれは陛下ぐらいだけど…。
あぁ! 駄目駄目。マイナスな思考になることは禁止! 今はとにかく、ロンが自分を謙遜するなら私がその分褒めてあげるんだ!
「いえ! ロンは格好いいです! 私が生きてきた中で一番の美しい人です!」
「ルナ…、もしかしてお酒を飲みました?」
あれ…? そう言えばなんだか身体が熱いような…。おかしいな、私今日はお酒飲んでないはずなのに。まさか、令嬢達と話していたときぼーっとしてたから間違えて飲んじゃったのかも。
「うぅう゛、あたまいたい…」
気づくとすぐに酔いが回ったのか頭痛が激しくなる。私は本当にお酒が弱いみたいだ。折角ロンと再会できたのにこんな恥ずかしい姿を見せてしまうだなんて…。
「………ふ、ぇ?」
ふらふらと足元が覚束ない私の身体を支えようとロンが手を差し伸べてくた。ふらつく私の手からハンカチが落ち、私は慌てて拾おうと身をかがめる。
が、その拍子にガクッと足の力が一瞬で抜け自分でも聞いたことのない間抜けな声とともにドテンっ、と二人で床に倒れる。
しかもその体勢が駄目だった。顔が数mmの距離に近づきお互いの仮面が少しずれて唇が掠った感覚がある。
「ご、ごめんなさっ…」
「……大丈夫です。此方こそ支えきれず申し訳ございません」
「ほんとに本当にごめんなさいっ! 私、なんてことを…」
ロンは巻き込まれた被害者なのにそれでも謝ってくれている。
それなのに私は…、まだ二回しか顔を合わせたことのない相手に酔っ払っているとはいえキス(掠った程度)をされるなんて想像しただけでも嫌なはずなのに!
「ルナ、落ち着いて下さい。今日はもうお休みになって下さい」
「……また、私に会ってくれますかっ?」
「はい。ルナが望めば必ず会えますよ。だから今はゆっくりと、眠りについて下さい」
ロンが私の瞼を下ろすと、そのまま私は眠気に誘われて眠りに落ちてしまった。
後から聞いた話ではあの後私は休憩室のソファで眠りこけていたみたいだ。もしかしたら夢だったのかも、と思ってしまったけれど私がハンカチを手に握って眠っていたことから夢じゃなかったのだと分かった。
きっと私が眠ってしまった後ロンが拾っておいてくれたんだろう。夢ではなかったことに対して安堵するとともに、急激に羞恥心が湧き上がる。
わ、私…、ロンとキスをっ?!!
こんなこと誰に相談すれば良いのか分からず、相変わらず社交界の仕事で忙しい中内心ははちゃめちゃに自分との激しい議論を交わすことになると知るのは、また少し後の話。




