悪役令嬢とヒロイン
・ 【ヒロイン視点】です。
ロンの名残を残した手袋が熱い。この熱がいつまで経っても冷めない気がして怖いような、嬉しいような、今までに感じたことのない不思議な気分だ。
「皇女様! 一体今まで何処にいらっしゃったのですか…?」
「ごめんなさい、ナターシャ。ちょっと気分が悪くて外の風に当たってただけよ」
「なんともまぁ。こんな夜に風に当たってはお身体を悪くしてしまいます」
お母さんが身体が弱かったからなのか、ナターシャの心配性は半年経った今でも続いている。別にそれが悪いとは思わないけど、もうちょっと元気だって思ってもらいたいんだけどな…。
厚手のカーディガンを肩に掛けてくれたナターシャにお礼を言いつつ、いつもきちんとしたナターシャの落ち着きのない姿にくすくすと笑いが溢れる。
「皇女様…、少しお顔がすっきりなさいましたか?」
「そ、そう見える? 変かな…?!」
「いえ、全く変などではございません。大変お可愛らしいですよ」
私の両手をぎゅっと握って言ってくれた言葉に嘘なんて一つも混じってない。その手から伝わる温もりが、私にもう一度勇気を与えてくれたのかもしれない。
「ナターシャ。私、もう一度エディス嬢と話してみたい」
「皇女様、ですが…」
「私、変わりたいのよ。もう何もできない、馬鹿にされるだけの皇女は嫌。私だって、やりたいことをやってみたい。友達を、作りたいの!」
「……そこまで皇女様が熱心に仰るならば、私に止める謂れなどありませんね。どうぞ、行ってらっしゃってください。その代わり、無理だと感じたならばすぐにその場を離れること。これだけお約束して頂けますね?」
「もちろん! ありがとう、ナターシャ!」
ホール会場まで誰にも見られないよう急ぎ早で駆け歩く。私は何をそんなに恐れていたんだろう。手を差し伸べてくれた人を見ない振りまでして、恐れるものなんて何もなかったはずなのに…!
ホール上の二階からエディス嬢を探すとすぐに見つけ出せた。彼女の周りには絶えず人が集まり、それも一回りも年配の貴族で囲われているため彼女達の会話がどのようなものかおおよそ予想できた。
あの中に私が入っても、全くついていけずに嘲笑の的にされるだけかもしれない。だけど私は今、エディス嬢と話したい!
勇気を持って階段を降りる。私を見ているのは数人だけ。他は気にも止めないで貴族同士話している。でも今はそれが良かった。
階段を降りた少し離れたところで深呼吸して、やっとのことで一歩を踏み出す。
「エディス嬢」
和やかだった会場の雰囲気が、しんと波紋のように広がって静まり返る。
貴族達の視線が一斉に集中して、狐に抓まれたとはこういう気分なのだろうか。貴族達の背で見えなかったエディス嬢の姿がようやく見えて、私は誰にも気づかれぬようにごくりと唾を飲み込んだ。
もし彼女が応えてくれなかったら、私は格好の笑いものとして噂されることになる。だから、今はただ彼女を信じるしかない。友達になりたいと、誰にも相手にされなかった私に初めて手を差し伸べてくれた彼女を…。
「殿下! ずっとお待ちしていました」
ふいに…、涙が出そうになったのを堪える。私の不安なんて打ち砕いて、何も知らない顔で私を迎え入れてくれた彼女を、どうしてこれ以上疑うことができようか。
「ごめんなさい、挨拶に回っていたんです。でも良かった。やっとエディス嬢に会いに来れました」
「嬉しいです、殿下。もっと話したいんですけど、此処は人が多いから少し離れた所で話しませんか?」
「はい。ついてきてください。こっちに秘密の部屋があるんです」
エディス嬢と並んで歩くと、今までに感じたことのない羨望の視線に晒される。
それが心地よいと感じてしまうのは人として最低だとは分かっていても、なんだか誇りのように感じてしまった。私とエディス嬢が友達である、誇り。
「わぁ…。広いお部屋ですね」
「あまり使われていなかった部屋なんですが、今回のパーティーの為に綺麗にしたんです。他の部屋のように華々しくはないのですが、私が一番好きな部屋です」
「私も、こんな風に落ち着いたゆったりとした部屋が好きです」
ひとまずソファにお互いついて給仕の人にお茶を入れてもらってるけど、…どうしよう。この後何を話すかなんて決めてなかったよ〜!!
このままエディス嬢も何も喋らなかったらひたすらに沈黙が募って気まずくなる。注がれたお茶をマナー通り飲みながら内心あたふたしていると、意外なことに先に話を振ってくれたのはエディス嬢だった。
「殿下は…、どうして私とお友達になってくださったんですか?」
「ぇ……、?」
予想もしていなかった問いに???が飛び交う。だってそれは、エディス嬢から先に提案してくれたことだ。
「ぁ、いえ! 他意はないんです。ただ…、いきなりお友達になりたいだなんて失礼じゃなかったのかと今更ながら心配になっただけで…」
「そんなことありません!!!」
「殿下……?」
そのまま机を叩き上げそうな勢いで否定してしまい、エディス嬢を驚かせてしまったことにはっとする。わ、私ってばなんてことを…。
…でも、そんな風にエディス嬢に思ってほしくはない。
「エディス嬢。お恥ずかしながら私は、社交界で安心して気兼ねなくお茶ができるお友達などおりませんでした。それは、元々孤児として育った過去があるからだとは十分に承知しています」
「なっ…! それでも殿下は正真正銘皇帝陛下の血筋を引いている正統な皇位継承者ではありませんか?!」
「陛下は…、私をあまり好いてはいませんから。そんな厄介者の皇女を相手にして下さる方など今までどこにもいなかったんです」
「違います。殿下は厄介者などではありません! そんなことを言う貴族は私が今すぐにでも…!」
「大丈夫です。だって今は、心強いお友達がいるでしょう?」
私の為に、そうやって純粋に怒ってくれる人がいる。それだけで私は、心を強く保てる。
「殿下は、優し過ぎます。…もっと、怒って良いんです。もっともっと、欲張って良いんですよ?!」
「…いいえ。私は今も十分すぎるほどの待遇を頂いているんです。お腹を空かせることもなく、固いベッドで寝ることも、寒さを凌ぐ必要もありません。それがどれだけ恵まれていることか…」
「…それじゃあせめて、私を頼って下さい。殿下は愛されるべき人です。陛下にも、誰にだって好かれる人です。こんな風に、冷遇されるべき人ではありません」
「ありがとうございます。エディス嬢。その言葉だけでもう十分過ぎる程ですよ」
私がエディス嬢に感謝を伝えると彼女は少し、傷ついた表情をしていた。何故そんな顔をしてしまったのか、私が何かやらかしてしまったのだろうかと不安になる中、エディス嬢は一息ついて口を開いた。
「……エルネ、私は一つ貴方に嘘をつきました」
「嘘…、ですか?」
嘘、とは一体何のことだろうか。まさか私と友達になること…? でもそしたら、彼女が今こうして申し訳無さそうにする瞳も、後悔するような声色もつまじまが合わない。
「お友達になりたいと言ったのは本心です。でも本当は、もう一つ別の事実を確認するために今日この場に来たのです」
「もちろん私に答えられることならいくらでも大丈夫ですが、私はほとんどエメラルド宮で生活しているため情報はあまりありませんよ?」
「はい。だからこそ、確信することができました」
「エディス、何を言って…」
「『ルル』、という名前に心当たりはございませんか?」
「ルル…? いいえ、ありません。ごめんなさい。やっぱり役に立ちませんでしたよね」
「いいえ。これでハッキリできましたから。少し前に、グラニッツ公爵家に侵入者が襲撃した噂を聞いたことはありますか?」
「それは…、初耳です。まさかエディスはその襲撃でお怪我を?!」
「いえ。幸い私は軽い軽症もなく数日部屋で療養するだけですみました。だけどその襲撃者は未だ捉えられず、ただ一つの手がかりと言えば『ルル』と名乗っていたことだけなんです」
「わ、私もお手伝いします! その人の情報を集めればいいんですよね?」
「殿下にこのような危険を冒させるわけにはいきません。それに私の家の騎士が今も懸命に捜索中ですので大丈夫です」
「…ぁ、すみません。やっぱり私空回りしちゃって…」
「ですのでエルネ。これからは私のお茶飲み相手になってほしいんです。実はあの事件以降、あまり人と接するのが上手く行かなくて。エルネにならこんなお願い事も大丈夫だと、…思ってしまって」
「私なんかでよければ、はい。私もエディスともっとお喋りしたいです」
それからエディス嬢、もといエディスと軽い談話をしてからお開きの時間がやってきてしまった。
「また、お会いできますよね?」
「もちろんです。次の週に招待状をお送りします。私ができる限りのおもてなしをさせて頂きますので、楽しみにしていらしてください」
「はい。エディス」
名残惜しさと次回への楽しみが残って私の社交界デビューは終わった。貴族達が馬車で引かれて帰っていく様子を何処か物語が終わっていくかのように感じる。
招待客の全員が帰路につき、ようやくキツいドレスを脱ぐことができた。朝みたいに流されるままに温かい湯で満たされた浴槽に沈む。
初めての友達と、経験がどっと押し寄せて疲労が溜まっていたのかお風呂を済ませると引き込まれるかのようにベッドに倒れてしまった。
「ナターシャ。今日はいっぱい素敵なことがあったの」
明かりを消そうとするナターシャの手にそっと自分の手を重ねて夢心地で今日あった素晴らしい出会いを語る。それをまるで母親のように聞いてくれるナターシャに、この一日が本当に夢みたいだと思った。
「そしたらエディスが……、それでね…」
「殿下、もう遅い時間にございます。今日はもうお休みください」
ぽんぽんと布団をかけ直して眠るよう促してくれるナターシャに、私はそれを受け入れた。
「うん…。…また明日ね、ナターシャ」
「はい。良い夢を、殿下」
もう十分に良い夢を見れたというのに、これ以上欲張ってしまえばいつか手痛いしっぺ返しがきそうだと思いつつ私の意識はゆっくりと夢の中へと落ちていった。