皇族の儀
公爵家襲撃から二週間の月日が経った。私はいつも通り【聖女】として働き、獣達に怯えることのない夜を迎えている。
何よりオルカが神殿を離れたことでノースと触れ合う機会が増えた。普段誰にも見せることのない私の弱さを偶然といえど垣間見たノースはそれ以降も変わらず接してくれている。
変に心配や疑惑を向けられるよりずっと嬉しいその態度が私を支えてくれたのもまた事実だろう。
いつもは些細な会話をして、ときたまに無言の時間ができる。そういう時は決まって手を重ねるか抱きしめて心の安寧を保っているときだ。
ノースからは一切私への恋情が伝わってこないから、この『触れ合い』ができる。たとえ恋慕でなくとも少しの欲情さえ見せれば気持ち悪さのあまり吐き出してしまうだろう。
ノースは優しい子だ。事情を説明せずとも、その行為を受け入れてくれる。もちろん周囲の目は厳しくあと数年もすれば背徳だと指を差されるだろうが、それまで私が生きていることはない。
だけどこれから混乱に陥る神殿にずっと居座らせるわけにはいかない。【原作】が完成すれば神殿はあちこちに火種がまかれ内部から崩壊を起こすだろう。
そんな内輪揉めに【祝福】の刻印を持つノースが巻き込まれない訳が無い。受けた恩にはそれと同等の恩を…。
僅かながらだけど、すぐにでも神殿から抜け出せる様に手はずは整えてある。
【聖女】である私が抜け出そうとすれば一瞬で勘付かれるが、幼い子どもの一人辺境の町へ送ることなど書類を偽造すればなんてことない。
「シルティナ。急遽だが二日後に第二皇女殿下の【皇族の儀】が行われることが決まった。随分と延期されていたようだが、昨晩連絡が来てな。全く、皇室も随分と神殿を見くびってくれているようだ」
どうやら怒り心頭な教皇閣下だが、普段何に対しても感情を乱すことのない方がこと珍しい。まぁ礼儀を重んじる人だから今回の直前の報告にブチ切れてるんだろうけど…。
「了解いたしました。早速準備に取り掛かります。それと、最近の閣下は仕事に根を詰めすぎです。半日と言わず丸一日お休みになられて下さい」
「それができないことはお前が一番分かっているだろう。大神官の奴が勝手に帝国に行ってしまったせいで空いた穴を埋めるのに徹夜だ」
私はオルカという人間が生活圏内から消えて充実した生活を送っているけど、確かに他の人間にとっては途方もない損害だろう。
なにせあの男は仕事ができたのだから。それも常人の数十倍は軽くこなしていた。それで私との時間も作っていたのだから手を抜いていたことは丸分かりだけど…。
「…さぁ。私は実に居心地の良い生活を送っていますので。仕事の多忙はあれど心は羽のように軽いですよ?」
私とオルカの関係は神殿内部では周知の事実だ。それが他国に漏れないのはひとえに言って徹底的にオルカが管理しているからに過ぎない。
だからこうして礼儀を重んじ、正道に乗っ取る様を取る教皇閣下とてこの行為を長年に渡り黙認してきた張本人であることは変わりない。
今のノースと私の関係に口を出さないのは最期の良心かそれとも別の思惑か。そんなことはどうでもいいが、今は閣下の言った【皇族の儀】だ。
第二皇女殿下と言えば当然ヒロイン、エルネのことだろう。【原作】でも当分の間は偽物だったクロスディアナが第一皇女、エルネが第二皇女の立場に収まっていたし今の時期から考えても十分納得がいく。
「今日はいつにも増して軽口が過ぎましたね。それでは、私はここでお暇させて頂きます。くれぐれも、お身体には触らぬように」
反論する隙など与えずに閣下の部屋を後にする。子どもの頃はずっと大人で近寄りがたい人だと思っていたけど、今じゃ閣下を通してもあまり何も感じない。
それは長年に渡り仕事を共にしてきた信頼でもなければ、親のように慕う親愛でもない。どこまでも他人で究極枠の外にいる人間。それがこの関係を表す最も最適な言葉なのではないだろうか。
書斎に戻って、新たに追加されている書類に目を通す。閣下の言う通りここ数日で急に仕事の量が増えはしたが、数時間でも睡眠できているのだから能率的に言えば断然良い。
エルネの【皇族の儀】は二日後だから、帝国からの距離を考えるともう既に馬車に乗っている可能性が高い。去年の建国祭以来の顔合わせにはなるけど、私は姿形を隠していたから彼女が私に気づくことはないだろう。
念の為声を変える魔道具は別のものを使ってたし、それに三ヶ月以上前のことだ。私とてハッキリと彼女の顔を覚えているわけじゃない。
覚えようにもこの三ヶ月は色濃い記憶でありふれてそんな隙はなかった。
だから今回はエルネの近況を観察できる数少ない機会だと思えば良い。【原作】通りヒロインの役をちゃんとこなしているか、情報が規制された神殿で知ることは難しいのだから。
本物の皇族として発表された当初は様々な噂で溢れかえり診療に訪れる人達との会話から情報を集められたけど、最近はめっきり噂も途絶えている。
彼女には早く皇帝に着くための基盤を整えて貰わないと予定がずれれば此方が困る。そんなことを思いながら、早くも約束の二日後を迎えた。
帝国の皇族直系が乗る馬車にはお世辞にも見えない質素な馬車。最低限のライン丁度に設定された馬車からも、帝国での彼女の扱いがよく知れる。
第一皇女のときでももっと派手だったけど、あれは単純に彼女が無駄に着飾っただけだろう。
それにしても今回はお付きの人間も少ないし寄付の金額も過去最小みたいだ。寄付金の管理を統括する閣下が好々爺の様に微笑みながらも若干青筋を浮かべている。
そりゃあ急に連絡を入れられてその報酬が両手一杯きりの金貨なんて言われれば仕方がないけど…。確か寄付金って儀式を受ける皇族本人が決めるからこれでも頑張って集めたほうなのかな…?
今までで一番多かったのは今の第二皇子殿下でイアニスはその次だった。第一皇女は渋ってはいたけどエルネよりは遥かに多かった。
信仰心を目的とする以上に少なからず財力を誇示する手段でもあるから暗黙の了解として最低限度のラインはあるけど、今回はそのギリギリより下回っているぐらいだ。
「帝国皇族第二皇女エルネ・フォン・ラグナロクが拝謁致します。この度は無理を言い多大なご迷惑をお掛け致しましたこと、深く謝罪致します」
多分だけど第一皇女みたいな皇女が来ると予想していた閣下は内心驚いているだろう。でも普通に考えてあんな自己中心的な人間が二人も皇女である方がおかしいだろう。
「心優しく聡明な皇女様が謝罪する必要などありません。それよりも、さぁ。準備は整っています。参りましょう」
私の後ろを不安げな足取りで歩くエルネ。本来なら今の時期は皆に愛されて自信に満ち溢れているはずだった。
……【原作】は崩れている。それが分かったことに感謝するべきか、激しく憎むべきか。どちらにせよやるべきことは変わらないのだから今は余計な感情は省いていよう。
「【皇族の儀】に関する段取りは覚えておられますか?」
「ぁ…、は、はい。大丈夫です」
「それは良かったです。では、此方にお座り下さい」
指定した位置に膝をつき、それと同時に私はエルネの前に立つ。形式通りに進められる口上と祝福。一応ぎこちないながらもきちんとこなせている。第一皇女に比べれば格段にマシな方だろう。
別に血統を確認するわけでもなければあくまで形式上の儀式なのでものの二十分前後で全て完了し終えてしまった。
帰りの時間を引き伸ばして色々と話たいことがあるが、少しでも【原作】からズレないように最小限の接触で収める。
ここで下手に関わって『ヒロイン』と『悪役』という立場を壊したらそれこそ本末転倒だ。
エルネの帰路を見送り、私はまた見送っていた仕事を始める。仕事をしながら作業化した頭は暇つぶしに別のことを考えている。
【原作】は何らかの要因によって確実な変化を遂げ、ヒロインであるエルネは冷遇されている。何も知らない人間からすればエルネは完全な被害者であろう。
与えられて当然のものを何者かによって奪われているのだから。しかしだからと言って私が彼女に同情することは永遠にないだろう。
冷遇されていたとて何らかの害を及ぼされているわけでもなければ、華やかとは言えぬまでも十分人間らしい生活が送れている彼女に同情するべき点が私には一つ足りとも分からない。
実父である皇帝に忌避されようと私には両親の一人もいないし、攻略対象に出会わなかろうが私と違って加虐の捌け口として扱われることもない。
見たところお付きの侍女は頼りがいがあり、護衛騎士もある意味特殊な忠誠心で満ちている。私と彼女の違う所は一人でも自分を守ってくれる味方がいるかいないか。
彼女は地味ながらも十分に幸せな人生を手に入れている。これでまだ欲張るというのなら勝手にすればいいし私には到底関係ない。
というか欲張ってくれなければ【原作】が進まないので多いに応援している。できることなら誘惑してくるオルカを逆に魅了でもしてとっとと引き取ってほしい。
お宅の駄犬に何年も引き摺り回され噛み殺されるのはもう御免なのだ。




