社交界デビューへの準備
【ヒロイン視点】
前代未聞とも謳われるグラニッツ家襲撃事件。帝国で4つとない公爵家を白昼堂々と襲撃した者の正体は未だ掴めておらず、過去に例を見ないこの大事件は表に公表することなく内々に処理された。
もしこの件が明るみに出れば、問われるのは公爵や公爵令嬢の安否ではない。真っ先に問いただされるべきは、グラニッツ公爵家の資質だ。
代々【魔法】を司ってきたグラニッツ公爵家にとって、魔法を扱った襲撃者襲撃者に遅れを取っただけでなくその正体も掴めていないとなると存在の優良性が議論されるだろう。
さらに公爵家に敵意を持つ人間の侵入を妨げる『結界』すらも通り抜けたというのであれば、今現在皇城で貼られているグラニッツ公爵家が承った結界の信憑性が地に落ちるのだ。
そうなれば公爵家としての威信も誇りも何もかもを弱った隙に叩かれるだろう。そんな事態を防ぐために引いた箝口令だが、噂は真実とまではいかずともある程度筋は通って皇都内に広まっていた。
ここ数年で帝国一の商会を作り上げた今では帝国民の誰をも知り得る公爵令嬢、エディス・テナ・グラニッツ嬢。
そんな彼女が公爵邸内で何者かに襲撃され、商会の仕事を一時中断し、休養に入ったという噂。それは人伝てに伝わり、ゴシップ紙以上の拡散力を誇って一夜の内に広まった。
特に商人の中では崇拝までの対象であるエディスを襲撃した犯人を捕らえようと躍起になったり安否を確認する手紙を何十枚も寄越す者が多い。
しかしそんな手紙も現在公爵邸では一切受け取っていない。襲撃以降警備の数を10倍までに増やし、外部との接触手段を徹底的に排除しているのだ。
襲撃の証拠足り得る部屋の残骸も魔法で3日かけて修繕し、隔絶した態度を貫いた公爵家は今や全ての噂の渦中と言ってもやぶさかないだろう。
だがそれも、噂話とは無縁な別宮に住むエルネには縁のない話。エルネにとっては外でまことしやかに噂ばなれることよりも、身近に迫った社交界デビューを催すパーティーの準備の方がよっぽど切迫していた。
帝国で最高峰と謳われる目当てのグラニッツ商会専属のデザイナーもあのエディスの社交界デビューが早まったことで全ての予約を拒否しており、それは皇女でも変わらなかった。
しかしこれまでの革新的なアイデアをもとに流行の最先端とも噂される地位を確立したグラニッツ商会以上のクオリティーを約束できるブティックなど少なく見積もってもこの帝国内には存在しないだろう。
皇女、それも現皇帝の血筋を継ぐ二人目の皇族ともなれば喜んで仕立て上げるのが名誉というものだが、今現在その地位や名声は一公爵令嬢よりも劣るというのが現実だ。
「皇女様。メノニック商会のブティックは先代まで皇族専用の衣装係として優秀な成績を収めています。此方なら最新の流行を取り入れつつ伝統あるドレスを仕立て上げられるかと」
「うん。色々と取り合ってくれてありがとう、ナターシャ。私はあまり豪華じゃなくてもいいから、その分節約できるように…」
「何をおっしゃいますか。殿下のパーティーの一月前にエディス公爵令嬢のパーティーが行われるだけでも腹立たしいのに、殿下が享受すべき全ての物を奪われているのですよ?!
…私は殿下に、帝国一の令嬢として当然の権利を行使してほしいのです。今のようにご謙遜されるのももちろんご立派ですが、時には皇族としての威信を大切にしなければならないことがございます」
ナターシャがこのように憤る気持ちも分からないわけじゃない。皇女とは皇帝を除きこの帝国で最高の地位に君臨する者。更に貴族の令嬢達にとってはそれこそ皇帝とほぼ等しい権力を持つ人間だ。
だから何に対しても他に劣ってはならないし、常に羨望の中心であらねばならない。以前の授業でそう習った。
でも実際、そんなもの全てまやかしだ。誰だって皇帝からの不況を買った皇女よりも、長年帝国に大きな発展をもたらしてきた公爵令嬢の方が尊敬や憧れを抱くだろう。
だからこうやって、私が招待した高位貴族からの断りの手紙が山になって積んであるのだから…。
中身を開けて読んでみても、どれもほとんど同じ内容で見る気も失せてしまう。
下位や中位の貴族ならいざ知らず、高位貴族ともなれば見かけ倒しの皇女が招待するパーティーに顔を出さずともあまり実害はない。
それこそが私が侮られている証拠であり、ナターシャがここ数日目に見えて憤っている理由。頑張ると言った手前たった数日で音を上げそうになった自分が嫌になる。
夢にまで見た皇女としての生活は楽でも何でもないし、貴族達との交流は利害でしか一致しない虚しいものばかりだ。
ついにはパーティーに欠かせない装飾品などが全て不足しているという状況に焦りが隠せない。せめて皇女として陛下の顔を潰さないように完璧に仕上げようとしたのに、こうも上手くいかないなんて…。
悔しさからぎゅっと握った手が熱い。これも全て私のパーティーの一ヶ月前に急遽社交界デビューを行うと公言したエディス公爵令嬢という人のせいだ。
彼女が悪いわけじゃないのは分かっているのに、それでもまるで被せたかのように割り込んできたせいで此方の予定が使い物にならなくなってしまった。これに文句を言えなければ一体誰にこの愚痴を吐き出せば良いものか。
一応彼女にも招待は応じて貰っているが、それもどんな意図があってなのか予測がつかないせいで最も注意深い人物とも言える。
そもそも私は彼女のことをあまりよく知らない。他の令嬢と交流があるわけでもなければ、人伝ての噂にも耳が遠いのだから当たり前だ。
「ねぇナターシャ。エディス公爵令嬢ってどんな方?」
「私めの主観を抜きに見ますと、帝国屈指の天才にございます」
「グラニッツ商会の商品のほとんどが公爵令嬢が発明したものだというのは知ってるわ。だけど、私が知りたいのは性格や内面の話なの」
「…どうでしょうか。一概には申し上げられませんが、幼少の頃は随分と悪名高い御方だったのは記憶にございます」
「そう…。仲良く、できるかな」
ふいに零した本音が響いたのかナターシャはそっと私の手を握った。
「殿下、必ずしも交流を深めなければならないわけではありません。どうかご自身のお心のままに、真の友情を育める相手を見定めるのです」
「…うん。ナターシャ」
その真の友情を育む相手すら、私には分不相応なのかもしれない。そんな考えがよぎってしまう当たり社交界には向いていないのだろう。
でも弱音なんて吐いていられない。私はこのパーティーで何としてでも人脈を作って皇女としての地位を確実なものにしなければ、ずっと『役立たず』として生きることになるのだ。
もう一人の皇女のように公務も行わずただ国民の血税で贅を肥やすような皇女にはなりたくない。せめてお父さんの実の娘として、認められたいというのが本心だった。
「………ちゃんとやらなきゃ」
上手くいかないことだらけで弱気になってしまった心を奮い立たそうとし試みても、自分の心を見透かすような空しさが通り抜けるだけだった。
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【悪役令嬢視点】
未だ沈黙を貫き通している公爵邸とは裏腹に、その内側では忙しなく使用人等が走り回っていた。その表情はつい数日前までの剣呑としたものではなく、祝杯を上げるかのような笑顔である。
「このお皿は倉庫に補充があるから追加して。それからこっちの装飾はもっと濃淡のあるものにお願い」
かつてないほどの使用人等の浮かれぶりに反して冷静に指示をこなすのはパーティーの主催を務めるエディス・テナ・グラニッツその人でる。
ミシェルへのプロポーズ成功後、エディスは彼からある提案をされていた。それこそまさに社交界デビューに関する話である。
元々魔法を司るグラニッツ家で魔力なしとして生まれたエディスはなるべく人目を避けて暮らし、パーティー等にも何かと理由をつけて参加することはなかった。
エディス自身も目立つことや社交が得意ではなかったので恩恵を存分に受けてこれまで伸び伸びと生きてきたわけだが、これからはそうはいかない。
またいつルルが襲ってくるかもわからないし、自分の権威を高めておいて損になることはない。
それに近く主人公であるエルネが皇帝の庇護を受けて帝国貴族をすべて収集した大規模な社交界デビューを果たすため、ルルの正体を掴むためにも社交界へ足を踏み入れる必要があった。
もしもルルが主人公エルネに転生した転生者なら何かしらの方法でコンタクトを取ってくるかもしれないし、そうでなくとも今のエルネの状態を知っておきたい。
噂は当てにならないというが、その噂の約一割でも真実が混じっているのなら十分に調べる必要がある。
貴族の令嬢なら誰もが夢見る社交界デビューをこんな形で開くとは思ってなかったけど、今の私には隣に立ってくれるミシェルがいるからきっと大丈夫だ。
「お嬢様。シャルノン様からドレスが完成したとご報告がありました」
「随分早かったのね」
「実は以前からこの時のためにデザインを貯めていたらしく、なんと全ての仕事を蹴って徹夜で完成されたそうです!」
「あまり無理はし過ぎないように言っておいてね。全くシャルノンは夢中になりすぎると周りが見えなくなるんだから。この件に関してブティックで働く社員には迷惑料として少し代金を上乗せしなくちゃ」
「それをするとまた騒ぎ出しそうですが…」
「…確かに。好かれるのはいいけど好かれ過ぎるのも困ったものね」
苦笑するもののその笑みは朗らかで、周りの支えを感じるからこそエディスは襲撃で受けた傷を徐々に治していっていた。
この世界で私はただ生きるために色々やってきたけど、それが巡り巡って沢山の人たちとの縁に繋いだ。
本来繋がるはずのない未来を掴み取った。たとえそれが運命を捻じ曲げる行為だったとしても、私は過去を後悔なんてしないだろう。
私は必ず私だけのハッピーエンドを掴み取って見せる。誰も欠けることのない、幸せな未来を…。