悪役令嬢の覚悟
・ 【悪役令嬢】視点です。
スッ………、
目が覚めると日は沈んでいて、私はベッドに寝たきりになっていた。
服も寝間着に変わっていて、全てが夢だったような感覚だ。だけど身体の奥底に深く刻まれたあの恐怖が現実だと思い知らせる。
ルルが最期に向けた殺意にまだ身震いがする。強迫性障害を負ってしまったのか、部屋から出ることが怖い。いや、屋敷の中で遭ったことだ。人に対する警戒心が酷くなった気がする。
今もこうして目覚めたことを喜ぶメイドに一定の恐怖を感じている。これから医者や他のメイドが部屋を訪れるとなると震えが強くなりそうだ。
「…お父様を呼んで。それから、この部屋には誰にも立ち入らせないで」
「…お嬢様。承知いたしました。公爵様をお呼び致します」
感謝の言葉も言えず、メイドは部屋を立ち去った。申し訳ないけど、今は理解してほしい。犯罪心理学なんかが前世では番組でありふれていたけど、まさか自分が当事者になるなんて思っても見なかった。
一つ誰にも聞こえないように鬱蒼気な溜息を吐いて、ルルのことを思い出す。本当は凄く怖いけど、今じゃなきゃ絶対に思い出せない気がした。
事件の記憶というのは当事者が思っているよりもずっとストレスで、そのせいで知らず知らずの内に記憶を閉ざしてしまうとテレビであった。
一つ一つ、負荷にならない程度にゆっくり思い出すと、その成果かある仮定が出た。
ルルは乙女ゲームの存在を知らなかった。そしてゲームにもルルのような設定を持つキャラはいない。ならば【乙女ゲーム】というキーワードに何ら関連性がないのか。
それは違う。なぜならルルは『役割がある』と言っていた。私に下された役割と言えば一つしかない。じゃあ乙女ゲームを知らずに役割を知ることがあり得るのか。
今までの会話をもとにすれば、一つだけ可能性はあった。それはルルが【乙女ゲーム】の攻略者ではなく、【原作】の読者であること。
彼女は私が死ぬ前に転生したと言っていた。さらに逆算して考えると彼女が亡くなった西暦は【乙女ゲーム】がリリースされる前になる。
…だけど問題は、私が【原作】の知識を持たないこと。乙女ゲームのストーリーである程度展開は知れていたし、当時は手軽に済ませられるゲームの方が効率を重視する私にとって良かったのだ。
ここに来て手痛い失敗である。今更過去に戻れるわけでもないし、仕方がないとはいえ落ち込むのも無理はない。
ゲーム化するにあたって当然【原作】の細かいストーリーは省かれるだろうし、今後発売する予定だったとしたらそれはもう不可能だ。
結果私の知る乙女ゲームの知識はルルの持つ知識より確実に劣っているのだろう。私を殺すことで正されるとルルは言った。
でも、…ルルは何を知っていたから私を殺そうとしたんだろう。
ルルは私を殺すという強い意志があったし実際お父様やミシェルたちに全力で攻撃されても余力があったように見えた。
それだけの力を持つ人物となるとキャラの中でも絞られる。或いは未だ未解明だった隠しキャラという可能性もあるけど、ルルは女性だったからその可能性は低いだろう。
私は今の自分の影響力がどれほどのものかをよく分かっている。だからこそ私が生きていて邪魔な人物。
もし彼女が真に利己的な人間だったのならば皇女ではないかと候補に上がったけど、ルルが抱えていたのはそんな安っぽいものじゃなかった。
もっと切実で、それでいて徹底された感情のもとに作業のように淡々と行った。本当に私を殺してヒロインの座を確実なものにしようとする転生者だったのならば、もっと感情的になっていたはずだ。
それに駆けつけたミシェルにはほぼ無反応に等しかった。まるで眼中にないような…、そんな感じだ。
私が今世で接点を持ったのは記憶する限りミシェル一人だけだったから他の攻略対象者の単推しだったとしても理由がない。
万が一皇女だと仮定すれば、私と同じ年だとしても幼い頃から十分に食べさせられなかったという理由で外見だけ見ればつまじまは合う。
さらにヒロインという補正が響いているのなら私にとって途方もない脅威だ。物語が進むに連れ成長するはずの魔法は完全に扱えており、不自然なほどの静けさも鳴りを潜めているだけかもしれない。
これで皇帝まで味方につけられたら言われもない罪で【乙女ゲーム】と同様に処刑されてしまうのではないだろうか。まぁこれも全てルルが皇女であったのならの話だけど…。
色々と考えて思考の渦に陥っていると、「エディス」と優しく名前を呼ぶ声が聞こえた。
「…ぁ、お父様」
「そんなに考え込んで、もう少し休んでいないと…」
心配してくれるお父様に他の人のように恐怖は感じない。良かった…。私の手を握ってくれているけど、お父様の方がよっぽど休みが必要だと思う。
だって私が倒れた後からずっとルルを探し出す為に駆けずり回ったのだろう。それに私が気絶したことからの心身の負担からか酷く顔色が悪い。
「ごめんなさい。私が身元も確認せず屋敷に招いてしまったせいで」
「過ぎたことは仕方ない。それに、お前が怪我をしなかっただけでも十分だ」
「…ありがとう、お父様」
この十年、始まりは不完全だったとしても本当の親子のように信頼を深めていた。お父様は私に本物の愛情を注いでくれたし、私もそれを返してきたつもりだ。
それを、誰が偽物と言うんだろうか。たとえ中身は別人だとしてもこの十年は絶対に、嘘なんかじゃない。だから私はお父様の胸で涙を流した。
怖かった。もう二度と会えないかと思った。言われもなく殺されかけて悔しかった。理不尽な殺意への憤りを全てお父様にぶつけた。それでも受け入れてくれると、信じていたから。
お父様の服が涙と鼻水でぐしゃぐしゃになってしまったのに後で気づいて恥ずかしくなったけど、お父様はなぜか喜んでいた。
どうやら滅多に頼ってくれない娘が初めて自分の胸で安心して泣いてくれたことに対する歓喜だったらしい。私が言うのもあれだけどお父様もぶっちゃけ親バカだよね。
そんなこんなで数日はしっかりと療養すべく商会の仕事は全て代理に任せて休んだ。別にこの件がなくとも働きすぎが注意されていたから丁度良かったのかもしれない。
あの襲撃事件から数日。私は誰からの面会も拒否した状態で屋敷の中で悠然と過ごしている。まだトラウマのせいか大勢の人に会うのは難しいけど、着実に落ち着いてきている。
部屋の中で懐かしいココアを飲んで寛ぐ。左腕を伸ばすと光を反射して見えた指輪。あのまま壊れはしなかったものの宝石の色は紅く変わらなかった。
また次の襲撃があれば今度こそ持たないと分かっているからこそ、内心不安が溜まっていく。あの日以降警備の数が倍以上に増えて、周囲は慌ただしくなった。
破壊された部屋の修復等でも人の出入りが激しくなり、それでいて私の周りは不気味なほど静かだ。お父様なりの配慮だと分かっているからこそ安心はできるものの、いつまたルルが現れるか考えると気が気でない。
でも、私はそれでも生き続けるだろう。ルルの言葉で分かった。私はもうこの世界をゲームの世界だなんて思えない。
家族がいて、大切な人がいて、仕事があって、仲間がいて、帰る場所があるこの世界は私にとって紛れもない現実だと気付かされたのだ。
だから私は諦めない。たとえ決して敵わない巨大な相手だったとしても、私は生きうる限り抵抗し続けるだろう。それが、『生きる』ということだろうから。
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その日の日が沈かけの時刻。ミシェルが慰問に来た。正確には今まで嘆願があってもお父様が許可しなかっただけで私がお願いしたのだ。
数日会ってなかっただけだったのに、ミシェルは凄く疲弊していた。いつもキチッと決まっていた服や髪型が何処かヨレヨレっとしていて、滅多に見ることができない姿だ。
お父様が許可した当日に来たということは一番早い馬であの長い距離を走ってきたのだろう。
「エディ、ス…。無事で、良かった」
私の手を取って両膝を床についたミシェルは外聞など関係なかったのだろう。安心からか涙を流し始めたミシェルを見てすぐに椅子に案内する。
「今まで連絡できなくてごめんなさい。でも、あの日助けてくれて、ありがとう。ミシェル」
「…助けられなかった。俺は、肝心なときにエディスの傍にいてやれなかった」
「そんなことないよ。ミシェルがくれたこの指輪がずっと私を守ってくれた。だから、そんなに泣かないで」
涙をハンカチで拭っても止まってはくれない。随分追い詰められていたようだ。まるで子供みたいに無表情のまま泣き続ける。
というか貴方は子供の頃ですら泣いたことないでしょう!…ってツッコミたいけど、今はそんな感じじゃないよね。
仕方なく慰めてるけどこれ普通逆じゃない? う〜ん、何か腑に落ちないけどまぁミシェルの貴重な姿を見れただけでもいっか。って、ヤバいヤバい。本題を忘れてた!
「あのね、ミシェル。もしだよ、もしミシェルさえ良かったら何だけど…。結婚しない? 私達」
すんごい爆弾発言だったと自分でも思う。だって冷めきったココアを注ぎ直そうとしていたメイドの手がピタリと止まってそのままギギギっと機械的な動きでこっちをガン見してきたし、言われた当の本人もひゅっと泣き止んでパチパチっと瞬きしている。可愛い…ッ。
まぁ私がなぜこんなことを唐突に言ったのか。それは、うん。何となくだ!
だって私は今回の件でいつ死ぬか分からなくなった。もしかしたらゲームでの死よりも先に死ぬのかもしれない。だから私は、さっさと自分の気持ちに素直になることにした。
あの日、死ぬと思ったとき一番最初に思い出した人。本当はずっと前に分かっていたはずなのに臆病な私は気づかないふりをして終わらせようとしていた。
だけど私は今ちゃんとここで生きている。ならばもう、隠し通す必要もない。私は、ミシェルが好きだ。推しとしても、異性としても、好きなのだ。
出会いはたとえ最悪だったとしても、この十年の歳月が私をそうたらしめた。自意識過剰と思われても仕方ないがミシェルも私を好いてくれていると思っている。
そうじゃなきゃいくら大切な友達でも大公家の秘宝をくれたりはしないだろうし、日頃の扱いがあんなに優しいはずじゃない。
少なくとも噂で通っている冷血な人はそんなことしないだろう。だから私は心臓を強く脈打たせながら逆プロポーズしたのだ。
しかしいくら経っても反応がないミシェルにまさかそんなにショックだったの?!と今更ながら付き合ってすらないのに結婚を申し出たことへの恥ずかしさが現れる。
ていうか今の状況まさにゲームでのストーカーしてたエディスそのまんまじゃん! あぁぁあ〜ッ、やっちゃったよ〜〜!!!
一向に返事のないミシェルにズーンっと落ち込んでいく私。これは誰がどう見ても失敗に終わった。と、そう思ったときだった。
「俺で、いい、のか…?」」
やっと口を開いたと思ったミシェルを見れば、顔は真っ赤に耳まで赤く染めていた。だけど瞳はキラキラと光り、輝いている。あれ、これってもしかして…。
「うん。ミシェルがいい。ミシェルじゃなきゃヤダ」
「俺もだ。俺も、エディスがいい。エディス嬢、どうか俺の妻になってもらえませんか?」
ソファから下りて片膝をついた正式なプロポーズ。私はまだこの国の成人年齢である18歳じゃないから結婚はできなくとも、婚約ならできるだろう。
「はいっ‼!」
私が守りたいものが全て此処にある。だから今はただこの幸せを受け止めていよう。そうやって私は笑って、ミシェルが興奮からかした高い高いに付き合ったのだった。