同郷の人間
・ 【悪役令嬢】視点です。
【乙女ゲーム】が開始してすぐ、本物の皇女殿下の帰還が皇都に広まった。
今後皇女に送られるであろう全ての贈り物はグラニッツ商会を経由して渡るのだろうと予測されていたが、その考えはたった数日の間に断ち切れた。
今の皇帝は亡き皇妃であるイェルナ妃を深く愛しており、当然その方との本物の子どもを溺愛するはずだと最初は噂されていた。
それはゲームの展開でもそうだったから、何の疑いも抱いていなかったのが正直な本音だ。
だけど実際は、溺愛どころか忌避の行動を取っているようにもみえる。二週間の間顔ひとつ合わさずに仕事に没頭しているのだから、単純に時間を作れないのか、意図的に避けているのか。
ここ最近は国境の小競り合い程度で大きな戦争や問題も起きていないため、後者の可能性が大きいと貴族たちは判断し皇女への取り次ぎは思い留まっているというところだろう。
下手に事を焦って苦渋を飲む羽目になっては困るから、だから皆様子を伺っているのだ。本物の皇女という新たな異分子に対する、今後の情勢の変化を待ち望む者も、そうでない者も…。
かく言う私も何方かと言えばこのまま【物語】そのものが無くなるならそれ以上に良いことはない。
そもそも【物語】さえ無くなれば私が悪役令嬢として死ぬ未来も消え去るのだから、私としてはそれが一番ベストな気がする。
不安を言えばその皺寄せが一体何処に来るのか。本来あるべきものを無くしてしまえば、必ず何処かに皺寄せがいく。それが現世の理としてある以上、安心はできない。
ヒロインの行動も含めて不穏な予感を心の隅に抱えたままでいた月日が過ぎていったある日。メイドからの伝言を聞くとすぐ様部屋を飛び出しそうになった。
招待のない来訪者。門番への伝言として、『地球から来た者』と言ったらしい人物に私は心臓が飛び跳ねるほどの衝撃と歓喜を覚えた。
今の世界に不満なんてものはない。家族も使用人達も、皆優しく私は大切にしてくれる。だけどそれとは別に、故郷を懐かしいと思う心があるのだ。帰りたいとは思わずとも、淋しく思うときがある。
ずっと前に諦めたことだけど、私と同じような状況の人がいると聞いていても立ってもいられなくなった。たとえ地球に帰らなくても昔を一緒に懐かしんでくれる人がいるだけで、それだけで心強く感じられるのだから…。
無事来訪者を屋敷の中に通し、応接間に案内したとの報告に急いで駆けつける。淑女教育を教授した講師には確実に叱られるような早歩きだったけど、これはもう不可抗力だ。
応接間の扉を開けると、真黒のローブを纏いソファに深く椅子掛けたいかにも怪しい人がいた。
小柄な印象から私よりも年下で遥かに子どもだということは分かるけど、顔を見ようにも上半分が技巧的な仮面によって隠されている。
かろうじて見えた口元と輪郭から女の子だと勝手ながらにも予想する。椅子の背に持たれず姿勢を崩さない姿からはまさに高位貴族の品格を感じた。
「貴方が、私と同じ【転生者】ですか⁉!」
「…招待状もなしに突然の無礼をお許し下さい、エディス様。そしてその問に関しましては、『はい』、です」
興奮が表に出て予想よりも遥かに叫んだ形の問いかけになってしまったが、転生者かとの問いにそれに伴う答えが返ってきたためまだ残っていた警戒心が解け前世の話も含めた秘密裏な話をする為使用人たちを下がらせる。
「初めて同郷の人に会いました。私は前世が新名 蘭で、今はエディス・テナ・グラニッツという名前で生きています」
私自身も対面のソファに座って真正面から彼女と相対する。改めて間近で見ると所作も洗練されていて、どこか人間から浮世離れしているような感覚すら覚えた。
「前世は青山 心。今はルルと呼ばれています」
性がない、ってことは貴族ではないのだろうけど、それにしては余りに礼儀が良すぎる。もしかして前世が由緒ある家系だったのか、それとも偽名なのか…。
「それじゃぁ、えぇっと…。どっちの名前で呼んだら良いですか?」
だけどそんなことはどっちにしろ関係ない。折角会えた初めての同じ境遇の者に、親しくなりたいと思うことは変わりないのだから。
前世か今世か、何方の名前を呼ばれたいかは人それぞれだろう。私は今の人生に慣れきっちゃったからエディスで良いんだけど。
「ルルで大丈夫ですよ。私もエディスと呼んで構いませんか?」
「もちろんです! ちなみにルルは今はおいくつぐらいなんですか?」
私が思った通りに距離を縮めてくれるルルに好感が増し、気になっていた年齢のことを聞く。見た目的には私よりも年下なんだろうけど、前世を含めるとなると精神年齢の差になる。
「前世を含めると30歳は超えていますよ。私は若くして病気にかかり、目が覚めたら赤ん坊でしたから」
「そうなんですね。私も40後半ぐらいです。でも記憶が蘇るというか、意識がハッキリとしたのは10歳ぐらいです」
私みたいに憑依に近い転生かと思いきや、まさかの赤ん坊からの転生だったとは。年も近いみたいだし、若くしてってことはまだ十代の内に病に伏せたんだろうか。
「今はどこに住んでいるんですか?」
私の質問責めに追いつけなかったのか少しルルの返事が遅れた。だけどすぐに持ち直してスラスラと話しを続けた辺り仕事をしたら凄く有能な人物なのだろう。
「孤児院で小さい子達のお世話をしています。昔誤って顔に火傷を負ってしまい、それ以降こうして仮面を被って生活しているんです」
「ルル、それは大丈夫なんですか…⁉!」
「今は痛みもありませんし、外傷さえ隠しておけば邪険にもされませんから」
何故仮面をつけ真黒のローブで全身を覆っているのか、好奇心が無いかというえば嘘になるが、そんなに重い過去があるとは思っても身なかった。
知らず知らずの内にルルを傷つけてはいなかったかと、過去を振り返って後悔する。
ルルは笑って言っているが、本当は無理をしているのではないか。顔どころか身体全身を隠すような程の大火傷を経験して、それを話のタネに話すような人はいない。大抵は自分の不幸を嘆き悲しみに暮れるだろう。
転生者だからと言って同じ人間なのだ。忌避されれば傷つくし、執拗な言葉を投げかけられれば涙を流す。苦労してきたであろうルルに同情と憐憫の目が向く。
こんなに良い人なのに、力を存分に発揮できる場所さえ与えれば光り輝く人だと分かるからこそ余計勿体ないと感じる。ただでさえ前世の記憶を持ち私との思考を共有できる唯一の人なのだ。
もしルルと一緒に商会で働くことが出来たら、帝国だけでなくいずれは大陸中に店を構えることが出来るだろう。考えたら即実行を心がけてきた私は、考えたままにルルにある提案をする。
「あの、もしよろしかったら私の商会で働きませんか? 丁度人手が足りなくって…」
もちろん人手が足りないと言うのは真っ赤な嘘だったけど、有能な人材はいくら引き入れても足りないのは事実だった。
本来なら正式な面接を兼ねて雇用契約を行うが、商会会長の私の手にかかればすぐにその手続を終わらせられる。
「ありがたいお話ですが生憎今の生活が気に入っているんです。またの機会があればどうぞよろしくおねがいします」
「いえ、私こそ勝手にすみません。でもなにか必要なことがあったら言って下さい。自慢ではないんですが、それなりに力はありますから」
申し訳無さそうに断られてしまって少し残念に思ったけど、こういうのはちゃんと相手にとっても嬉しいと思うことじゃなくちゃ何の意味もない。
ルルが今の生活に満ちあふれていると言うのなら、その幸せを存分に祝福してあげるのが私のやるべきことだ。
だけどまた何か助けが必要になったときのことも含めて予め力になると言っておく。だってこうでもしないとルルは何かずっと一人で抱え込んでしまう気がしたのだから。
私の言葉にルルはふっと口元を緩ませて感謝を表現してみせた。それにしても口元だけで何故こうも印象が違うのか。
私の顔もゲームのキャラクターなだけあって一般よりはかなり良い方だけど、これはもう根本から違う。その些細な動きだけで相手に好印象を与える、一種のカリスマだろう。
「ならお言葉に甘えて、このお茶菓子を包んでもいいですか? 子ども達に食べさせたくて…」
「もちろんです。また新しく包んでお渡しするのでここにあるものは遠慮なく食べていただいで大丈夫ですよ」
そう言うとルルはお茶菓子の方をじっと見つめた。そして何か思い出したかのように柔らかい笑みを浮かべたのだ。もしや孤児院に残された子ども達を思っての表情だろうか。
ルルは同じ転生者という身でありながら、私と正反対の環境に生まれ落ちた。普通ならとっくに絶望するであろう状況でも、懸命に生きている。
凄い人だな…。私よりも幼い年でありながらルルはより一層、立派に見えた。
「ありがとうございます。噂には聞いていましたが本当にお優しい方で安心しました。もしかしたら受け入れてもらえないんじゃないかって緊張したんです」
「まさか。私も不安だったんです。だからようやく出会えた同じ境遇の人を無下には出来ませんよ」
謙遜も上手で会話に嫌味がない。商会長ということもあってたまに嫌な席に着くこともあるけど、ルルにはそういうものが全くと言っていいほどなかった。
それに何より可愛い! もし火傷を負わずにいれば傾国の美女になれていたであろう逸材に久方ぶりに私は興奮していた。だってゲームに存在しないキャラなんてファンの極みだもん!
「そういえばどうやって私が転生者だと知ったんですか?」
「グラニッツ商会の商品を見て、もしかしたら…って思ったんです」
「あ、確かに。考えてみればそうでしたね。えっと、それじゃあこの世界が乙女ゲームの世界だってことは知っていますか?」
ふと気になった質問にも即座に応えてくれて、 照れながら頬をかく仕草もまた可愛い! ルルの魅力にメロメロになりかけていた私はもう一つ気になっていたことを話す。
「乙女、ゲーム…?」
「【アルティナの真珠】っていう大人気小説がゲーム化したものなんですけど、私は悪役令嬢でヒロインの恋路を邪魔する役なんです。でも中盤であっさりと死んじゃって…。でも死にたくないから、私は必死になって商会を大きくしてきたんです」
この様子は本当に知らないのかな。確かに大ヒットしたとはいえ病院での生活を余儀なくされていたルルにとってはあまり外の世界の情報は入ってこなかったのだろう。
「そぅ、ですか…。凄いですね」
混乱しているのか、先程より返事がぎこちない。そりゃあ自分が転生した異世界がなんと乙女ゲームの世界でしたなんて言われれば受け入れられないのも無理はないけど…。
このまま続けようか悩んだけどこれは私の未来、ひいては生死に関する重要なことだから、ルルには知っていてほしいと勝手ながらも思ってしまった。
「ゲーム通り皇女様が見つかったまでは同じなんですけど、それ以降の噂があまり聞かなくて。本来ならもうそろそろ大々的な社交界デビューをしているはずなんですけど…」
色々話していくとルルの戸惑いもなくなり頷きを返してくれるぐらいには落ち着いた。私がもし逆の立場だったら相当受け入れがたい事実だろうけど、やっぱりルルは強い。
「確か私が死ぬのは18歳のときですから、それまでに何とか悪役令嬢から抜け出せるように頑張るつもりです!」
これは私の強固な意思だ。私は生きたい。たとえ絶対に無理なことだとしても私は生きて、家族や皆と幸せに暮らしたいのだ。
ルルは私の言葉に何を思ったのだろう。何故かじっと見つめられたような気がして、少し緊張する。しばらく無言の時間が続きどうしようか内心慌てふためいているとルルの方からこの静寂を切り終わらせた。
「う〜ん…、やっぱりさっきのお願い事って変更出来ますか?」
「え? はい、構いませんよ」
相手を気遣ったような謙虚な姿勢からルルの人柄の良さを感じ取る。やっぱり同じ転生者というだけで情が深いのか、彼女のためなら多少無理しても願いを叶えたい気分になる。
えへへ、と内心妹のおねだりを聞くお姉ちゃんの気持ちでいると、返ってきたのは予想もしていない、するはずもない答えだった。
「エディス・テナ・グラニッツ。どうか、死んで下さい」
そう言ってルルは、…先程と何ら変わらぬ笑顔で私の【死】を願った。朗らかに、優雅に、美しく、…毒花が花開いたのだ。