転生者の邂逅
「初めて同郷の人に会いました。私は前世が新名 蘭で、今はエディス・テナ・グラニッツという名前で生きています」
互いの存在が明らかになるとすぐに彼女は打ち解けた。対面に座ってお茶菓子を頂きながら前世のことも含めて話し合う。
「前世は青山 心。今はルルと呼ばれています」
前世も今の名前も真っ赤な嘘だ。幸い彼女の前世は私の知った人ではなかったけど、念には念を入れて適当な名前を綴った。
「それじゃぁ、えぇっと…。どっちの名前で呼んだら良いですか?」
「ルルで大丈夫ですよ。私もエディスと呼んで構いませんか?」
「もちろんです! ちなみにルルは今はおいくつぐらいなんですか?」
「前世を含めると30歳は超えていますよ。私は若くして病気にかかり、目が覚めたら赤ん坊でしたから」
「そうなんですね。私も30後半ぐらいです。でも記憶が蘇るというか、意識がハッキリとしたのは10歳ぐらいです」
なるほど。だから報告書に人格の変異が激しい時期があったのか。反抗期が終わったと広まっているが、人格そのものが別人になったとみてまず間違いない。
しかし、彼女の前に元の人格があったのなら私も前の人格から身体を奪って生きているのだろうか…。
「今はどこに住んでいるんですか?」
深く考え込みたせいでワンテンポ返事が遅れたがスラスラと用意された答えを連ねる。
「孤児院で小さい子達のお世話をしています。昔誤って顔に火傷を負ってしまい、それ以降こうして仮面を被って生活しているんです」
「ルル、それは大丈夫なんですか…⁉!」
「今は痛みもありませんし、外傷さえ隠しておけば邪険にもされませんから」
顔を隠しているのには何かしら理由が必要だし、こう言えば優しい彼女は私を哀れんでくれるのだろう。
「あの、もしよろしかったら私の商会で働きませんか? 丁度人手が足りなくって…」
グラニッツ商会は今や帝国最大の影響力を誇る商会だ。誰もがそこで働くことを望んでいるというのに人でが足りないということはない。
「ありがたいお話ですが生憎今の生活が気に入っているんです。またの機会があればどうぞよろしくおねがいします」
「いえ、私こそ勝手にすみません。でもなにか必要なことがあったら言って下さい。自慢ではないんですが、それなりに力はありますから」
おもわず失笑してしまいそうになったのを寸前で止める。目の前で恥ずかしそうに言って見せた彼女に悪気なんて1mmもないのは分かってる。
だけど分かるのと受け入れるとでは全くの別物だ。彼女はまるで施しを与えるかのように、無意識に私との立場を明確にした。
いくらそう思わせるように操作したとは言え、腸が煮えくり返りそうだ。感情のコントロールを知らない私が迫りくる赫怒を強引に抑え込んで、貼り付けた笑みで人畜無害を装った。
「ならお言葉に甘えて、このお茶菓子を包んでもいいですか? 子ども達に食べさせたくて…」
「もちろんです。また新しく包んでお渡しするのでここにあるものは遠慮なく食べていただいで大丈夫ですよ」
嘘の設定だから本当は渡す子どもなんていないけど、ノースのお土産ぐらいには持って帰ろうかな。神殿だと簡素な食事ばかりでこういうお茶菓子は滅多に出ないし…。
「ありがとうございます。噂には聞いていましたが本当にお優しい方で安心しました。もしかしたら受け入れてもらえないんじゃないかって緊張したんです」
「まさか。私も不安だったんです。だからようやく出会えた同じ境遇の人を無下には出来ませんよ」
偽善と言えばそうだけど、彼女の汚れを知らない潔白さが私の心を殴った。こんな汚れに塗れた私には、彼女の言葉全てを暴力に感じてしまう。
私も貴方くらい真っさらでいれば、こんな風にはならなかったのかな…。出来もしないことを考えては、彼女の話しに耳を傾ける。それから色んな話しをして、彼女の半生を知った。
「そういえばどうやって私が転生者だと知ったんですか?」
「グラニッツ商会のの商品を見て、もしかしたら…って思ったんです」
「あ、確かに。考えてみればそうでしたね。えっと、それじゃあこの世界が乙女ゲームの世界だってことは知っていますか?」
彼女が緊張しながら言い放った言葉は、私に大きな衝撃を齎した。ここが小説の世界だとばかり思っていた私にとって、新たな可能性が浮上したのだ。
「乙女、ゲーム…?」
【アル真】に乙女ゲームなんてなかった。少なくとも私が死ぬ前までは…。ということはこの世界は私知るの【原作】でもなければ訪れる結末も違うのかもしれない。
そうすれば私は何のために、こんな事をしているのか。【原作】に依存している私がその存在をなくしてしまえば、どうやって死ぬ希望が見出だせるのだろうか…?
最悪の想像に冷や汗が出る。あぁ…、駄目だ。これ以上彼女を生かしてはおけない。私が辿った道が全て否定される前に、殺さなきゃ。
知りたくもない真実などいらない。間違いでもいいから、これ以上私の希望を打ち砕かないで欲しい。正解じゃなくていいから、まだ私に抗う渇望を残して欲しい。
「【アルティナの真珠】っていう大人気小説がゲーム化したものなんですけど、私は悪役令嬢でヒロインの恋路を邪魔する役なんです。でも中盤であっさりと死んじゃって…。でも死にたくないから、私は必死になって商会を大きくしてきたんです」
「そぅ、ですか…。凄いですね」
頭が混乱して適当な返事しか返せない。頑張って説明しているみたいだけど、私の頭には少しも入ってこなかった。
「ゲーム通り皇女様が見つかったまでは同じなんですけど、それ以降の噂があまり聞かなくて。本来ならもうそろそろ大々的な社交界デビューをしているはずなんですけど…」
コレットが原作通り愛されていないことは、私もよく知っていた。明日辺りには皇帝との一連の噂が広がるだろう。それも含めて、何もかも【原作】にはなかった動きだ。
「確か私が死ぬのは18歳のときですから、それまでに何とか悪役令嬢から抜け出せるように頑張るつもりです!」
…死ぬことなんて全く考えていないそんな笑顔で、何を言っているのだろう。愛されて当然の環境で育てば、ここまで間抜けに育つのだろうか?
普通悪役令嬢になった時点で死に物狂いで公爵家からの脱走を図るだろう。それが死にたくないと抗う者の当然の姿形だ。
だのに金も地位も権力も全て手に入れた彼女は笑いながら、『頑張る』と言った。抗うではなく、頑張る、と。
一気に心が冷めきる。真に死を直視せず、ぬるま湯に浸かったまま庇護を必要とする弱者の真似事をする彼女にもはや怒りではなく哀れみすら募る。もう、躊躇いはない。
「う〜ん…、やっぱりさっきのお願い事って変更出来ますか?」
「え? はい、構いませんよ」
少し戸惑っても、何も構わないような返事を返した彼女はこれから私が言うことをきっと理解できないだろう。正常な判断さえ持っていれば、私も理解することはないだろうから。
「エディス・テナ・グラニッツ。どうか、死んで下さい」
そう言って私は、…いつもと変わらぬ笑顔を身に纏った。