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「まぁ…、最近はそんなことが?」
「えぇ。全く物騒というか本当に難しい世の中だわ」
「社交界デビューを控えて間もない令嬢ばかり狙うんでしょう? 警備兵は一体何をしているのかしら」
ある庭園で小規模に開かれたお茶会は、主に帝国の主要貴族の奥様方の社交場として様々な話題で盛り上がっていた。しかしこれをただのお茶会だと舐めて掛かってはいけない。この場で話される内容は各自の家紋から持ち運ばれる情報であって時にその専門の者でも知り得ない鋭い情報が渡り歩くのだ。
男は言うまでもなく立ち入り厳禁。夫が祖国のため戦場に向かう時、妻は家紋のために社交場へ向かう。それがこの帝国の伝統とされていた。
そしてこの社交場にほんの一滴でも水滴が溢れた場合、それは波紋を呼び、何重にも重なった時誰もが予想しなかった大きな津波を引き起こすのだ。
「そういえば…、もうすぐですわね。【カカオデー】」
どこかの婦人が呟いたその一言は、今までため息を溢していた婦人方に別に意味でのため息をこぼさせた。
「まぁ、もうそんな時期なのね」
「今年はどんなチョコを送ろうかしら。皆さんはもうお決めになりましたの?」
「最新のキャラメルなんてどうかしら?」
「定番のミルクチョコも譲れないわ」
「私はもう少ししたらまた教室の招待状も届くからそこで決めようと思ってるの」
色めきだって話すこの【カカオデー】というものは地球で言うバレンタインとほぼ同等の意味を持つ。グラニッツ商会が六年前【チョコレート】を発売したと同時に広めた噂話。
【カカオデー】と呼ばれる2月14日に女性が好意を抱く男性にチョコレートを渡し、受け取ってもらえるとその恋は成就する。そんな噂は刺激を求める若者から広がり、保守派であった婦人方も夫婦同士の夫婦円満に繋がることで今では定着しつつあるものだった。
特にグラニッツ商会は毎年各家紋にお菓子教室の招待状を決まった枚数で送っており、貴族女性でも自ら手作りする機会を得られるためこの招待状が届くかどうかでその家紋の品格の一つとされていた。
最初は自らが作るなどという発想に辟易としていた婦人方も多かったが、その魅力にハマりこんだものや教室限定のデコレーションパーツに夢中になりその招待状を心待ちにしている婦人方へと様変わりしてしまった。
更に毎シーズン新種類が誕生するためここ最近では量の多さに何を厳選しようか迷う人達が増加しつつある。勿論決められずに全てをプレゼントする女性もいるだろうが、商会はそれぞれの商品に一つの意味を込めており、それによって今年はどうだったのかという夫の評価にも繋がっていると聞く。
ここまではエディスが考えついていなかったが結果的に統計が取れやすくなりそのデータをもとに在庫の余りを減らせたのは行幸だっただろう。
それを聞いた夫方が毎年戦々恐々しているのはご愛嬌だろう。これも夫婦仲を取り持つためと思えば案外いい刺激なのかもしれない。
「【カカオデー】の数日前から夫の挙動がおかしくなるのでいつも笑ってしまうのよ」
「あら、私の所もよ。アーモンドチョコが気に入ったのか数日前からあからさまにアピールするのよ。でもその様子が可愛くて私もプレゼントし甲斐があるわ」
「本当に【カカオデー】を作ったグラニッツ商会は一体どんなアイデアを持っているのかしら?」
「商会長であるエディス公爵令嬢が全て開発しているんですってね。今年が社交界デビューと言うのだから間違いなく注目を集めるでしょう」
「えぇ、今のグラニッツ商会なしに皇都で商売はできないと言われる程ですもの。その商会腸ともなれば…、エディス公爵令嬢は確かまだご婚約なされてないとか」
「彼女は数年前まで小公子の熱烈なファンだったと聞くわ。特定の婚約者を作らないだけで実質決まっているようなものよ」
「あら、そうなのね。それは残念だわ。私の息子に年の近い子がいるから是非顔合わせをお願いしたかったのに…」
「それは皆同じ考えよ。でもロノイア公爵閣下の娘想いが激しくて顔合わせどころか肖像画も全て送り返されているわ」
「まさに鉄壁ね。…あ、そういえば。Ms.クリフィリアがまた最新のドレスを出すらしいじゃない」
いきなりの話題転換だったが、その内容にザワリと明らかな動揺が広がる。Ms.クリフィリア。社交界で知らぬ者はいない帝国一のデザイナーかつモデルである彼女は、予約一つ入れるのに公爵家であろうと余裕で半年を超えると言う。
「何ですって⁉ あぁ早く予約の伝達を入れないとっ…」
「それがもう受け付けていないそうよ。この情報が流れ出た瞬間にMs.クリフィリアの予約は終了しちゃったのよ」
「…はぁ。一度でいいから彼女のドレスに袖を通してみたいわ。グラニッツ商会の専属でなければ皇族からも引き抜きが出ていたほどの腕前だもの」
「彼女を発掘したのがエディス公爵令嬢本人というのだから仕方ないとは分かっていても、どこからあんな独創的で神秘的なデザインが出来上がるのかしら…?」
「元はエディス公爵令嬢のデザイン案に工夫を凝らしたものだと聞いたことがあるわ。だからMs.クリフィリアは猛烈に彼女を慕っているそうよ。師とも仰いでいるとか」
「この調子だと社交界デビューを果たした瞬間に掌握しそうね。本人の創作意欲もさることながら人材を見抜く目も持っているだなんて、帝国の至宝と言われてもいい人間よ」
「帝国の至宝、そうね。でも市政街から見つけ出された本物の皇女殿下も彼女と同じ年で社交界デビューも近いんじゃない? 偽物の皇女の方はアレだったけど、今後の社交界はあのお二方次第とも見て取れるわ」
「……第一皇女殿下の処分の方もまだ決まっていないらしいじゃない? 今の皇室は血筋の関係で色々と複雑だから貴族派に隙を見せないか心配だわ」
「皇族の全員が母方が違ってさらに真の皇族と呼べる者は半分。他にも教養や勢力関係を見れば次の皇位継承は揉めるでしょうね」
「また北から蛮族が攻め込むかもしれないときに、内輪揉めだなんて見ていられないわ」
北からの蛮族は国境線沿いの領地を持つ貴族にとっては目の上のたんこぶ、いや、頭の上のドラゴンのようなものだ。食料の略奪は勿論、領地民の殺害や人身売買など被害を数えると三日三晩かかるであろう非道さに幼子の寝かしつけに用いられる程だった。
幸い第一皇子であるイアニス殿下が直々に指揮を取り頭領の首を取ったことで一旦は収まったが、また新たな頭領を立てていつ攻め込まれるかという問題が帝国の悩みのタネの一つでもある。
貴族の男児は義務として家紋から一人戦場に出向かねばならず、そのことを心配する妻もこのお茶会には多い。随分暗い雰囲気となってしまったことを察したまとめ役の夫人が持っていたティーカップの最期の一口を飲み干した。
「…ひとまず今日はこのくらいでお開きにしましょう。皇室のことやこれからの社交界のことも、そう焦らずゆっくりと観察しながら役回れば心配ないわ」
「そうですね。私達はいつも通り。影で速やかに、正確に夫と家紋のために尽くしましょう」
高位貴族の夫人ともなるとやるべきことも多い。屋敷の財政管理は勿論、夫の仕事状況から見たサポートや家紋同士の交流など多岐に渡る。
それでも幼い頃から高等教育を叩き込まれ、徹底的な合理主義者として影で支えるその様は、まさに真の裏方と言えよう。
彼女達は光を浴び、その身を輝かせたいわけではない。光を守るための、安寧を与える帝国の『影』なのだ。