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裏ルートの攻略後、悪役聖女は絶望したようです。  作者: 濃姫
第三章 思惑(しわく)は交わる
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本物の探し人

・【皇帝】視点です。

 カリカリ……

 執務室で絶え間なく聞こえる小さな筆音。不眠症を(わずら)う皇帝は余分な仕事さえ受け持って休みなく書類を処理していた。


 頭が痛い。視界がズレ修正した書類は何枚に渡るだろうか。こんな非合理的な仕事に意味はない。そのはずだが、人間とはそう上手くはいかないものなのだ。


 あの子を探して早十年。彼女が死ぬと言った日から一年を切っていた。最近は冷たくなった彼女の遺体(いたい)を抱き締める夢ばかりが出て睡眠も浅くなっている。


 彼女は俺を責める訳でもなく、その体温の冷たさを伝って絶望を与えるのだ。無惨(むざん)に開いた目から訴えかけられるように、無数の傷跡から痛みを泣き出すように。


 そのせいで抱え込むストレスなどは等に度を越していた。それはクッキリと刻まれた目の下の何十にも重なるくまからも見て取れるのだろう。


 臣下らからは休みを取るよう再三(さいさん)小言を言われているができるものなら最初からそうしている。


 奴らには分からないのだろう。決して手の届かない場所で最も大切な者が今にも死んでいるかもしれないという恐怖を。二度とその手を離さないと誓った相手が為す術もなく死んでしまう絶望を…。


 今日は一段と頭痛が酷かった。いつものように誰よりも早く執務室に着き、仕事をこなしていく。午後の謁見をこなして、明日への外交交渉に向けての書類の確認。そうして過ごすだけで一日などあっという間に終わってしまうものだ。


 だがその日は、いつもと違うことが一つあった。駆けつけて乱暴なまでに扉を開けた臣下からの吉報。


 『第一皇子殿下が長らく探していたかの御方(おかた)を連れて戻ってきた』、と。


 何故イアニスが彼女の存在を知っていたのか、それすらも考えられぬほど喜び手に持っていた仕事を捨てて、直接出向こうとすると次に発せられた言葉で頭がスーッと冷え切る。


 「ようやく本物の皇女殿下がお戻りになったのです!!!」


 夢は夢のままに、ようやく辿り着いた山頂は幻としてそれに気づかぬまま転落してしまった。現実は無情むじょうであると気づく勉強代にしてはあまりに高すぎた。


 この十年全く頭から消えていた忌むべき存在が見つかったとの報告に魔力が彷彿として執務室も片付けておいた書類も無惨に自らの手によって暴走に巻き込まれる。


 理性を保とうにも、タイミングが悪すぎたのだ。もしこんな状況でなければ、少しはまだ冷静に場を収めることが出来ただろう。しかし、最上さいじょうの者を差し置いて現れた憎むべき人間に向ける感情は到底、抑えきれるものではなかった。


 「皇女殿下とのお顔合わせですが、三日後の2時からでよろしいでしょうか?」

 皇女の帰還から数日、呆然としていたせいかいつの間にか皇女の帰還の数日後顔合わせの日程が組み込まれていたらしい。しかしそれも最初で最後だと思っておもむく。


 一人でお茶を飲みぼんやりとしているとアーチから護衛や侍女を引き連れた少女が現れる。まだつたない帝国マナーで挨拶する彼女の姿は髪色と瞳色さえ違えば愛しい人の写し身であったが心が大きく揺れ動くことはなかった。


 むしろ彼女を殺した人間が同じ顔をもして愛を乞う姿に虫唾さえ走る。そのまま立たせておいても良かったがさっさと終わらせたかったので手振りだけで指示する。


 少し戸惑った後、席に座った少女。自分の子ども、それもイェルナとの子どもだと言うから実際に会って何か変わるかと思っていたが、不思議なほど何も変わらないな。


 いや、何も知らず純粋無垢な顔で俺に愛情を求めようとしている姿には失望さえ感じる。どの世界に恋人を殺した人間を愛そうと思うのか。


 皇位継承争いの中で育ち、無数のしかばねを経て勝ち取った俺には自分の子どもだからという理由で愛する意味が分からない。


 一般ではそれを異常と例えるが、元来がんらい皇族とはそういうものだ。自分の実の両親でさえそうだったのだから、俺がそうであることにも何も異常はない。


 関心を買おうとひたすらに喋り続ける声は雑音として処理しようにもわずらわしい。初めは適当に時間を稼いで終わらせようとしていたが、この調子ではどうも今後も何かと面倒を掛けられそうだ。


 あの子を探すのにも時間がないというのに、これ以上この子どもに掛ける時間など一銭をはたいてでもない。


 ゆっくりと視線を向けるとそれだけで喜色に塗れる少女。名前は確かエルネ、だったか…? すぐに俺の名を呼ぼうとしたが言う隙も与えず警告する。


 「陛っ「どうやら勘違いしているようだから言ってやる。俺はお前を娘として認めたわけでもなければ愛しもしない。皇女ということで舞い上がっているようだが、イェルナを殺したお前を許すわけがないだろう…?」


 あぁ、そうだ。俺はたとえ実の娘であろうと、イェルナを殺したという罪を許さない。俺の唯一愛した人を奪った存在を、未来永劫許すことはあり得ないのだろう。


 はたから見れば最低と揶揄やゆされようと、自分の気持ちを偽って愛を取り繕えるほど俺は器用な人間じゃない。


 理想的な父親でもなければ、完璧な皇帝でもない。何をとっても不完全な人間に、そこまで高尚こうしょうな考えが、出来るはずもないのだ。


 露骨ろこつに傷ついた表情をしたエルネの前に意外にも立ち塞がった男。その男のことは俺自身よく知る人間だった。

 

 「陛下、お言葉が過ぎます」


 まるで俺からエルネを守るように物申したヘルメスに、失望とともに感じたのは落胆らくたん。俺の手から離れ裏切ったことによる、見事な落胆だった。


 たとえその行動が俺の為を思ってのことだったとしても、絶賛今していることは俺の意に反し神経を逆なでするような愚行ぐこうだ。


 「失望したなヘルメス、お前がそれの肩を持つのか。イェルナを奪ったその娘に」

 「陛下が愛されたイェルナ皇妃の唯一の御子にございます」

 「呆れるな。皇女のために皇帝に逆らう騎士とは。ヘルメス、お前の主は誰だ」

 「皇帝陛下にございます」


 だと言うのにまだどく気がないのを見る辺り、もう駄目だな。長年付き添った騎士だとしても、俺に疑心を抱かせる騎士など何の約にも立たない。下らない感情論であるじの命令に逆らう騎士など持っていても使い道がないのだ。


 「そうか。だが俺に逆らう騎士など取るに足らない。今この瞬間からお前を皇室騎士団団長から罷免ひめんする」

 「そんなッ、待ってくださいお父様‼!」


 『お父様』。その言葉に心臓が燃えたぎる程の怒りを感じた。その怒りすら一周回って静かに噴火する。ゆっくりと流れる灼熱しゃくねつの溶岩のように、自分の内に眠るドロドロとした汚い感情が吐き出た。


 「身の程を弁えろ皇女。その言葉をもう一度でも吐くようなものならお前の舌から切り刻んでやる」

 そしてそれは殺気となって現れたのか、周囲の者ですらたじろぐ程にその場を支配した。皇帝の座についてから、おおやけにこうして感情を内に出したのはいつぶりだろうか。

 

 「…っあ、ごめんな、申し訳、ありませんっ。こうてい、へいか。どうぞお許しを…っ」

 「…お前の後任はユス・ラグナスにする。皇女はなるべくエメラルド宮から出ないように。俺の言葉を履き違えず息を殺して暮らすことだな」

 「は、い…。陛下の寛大なお心に、感謝申し上げます…」 


 恐怖で震えながら許しを乞うエルネに、これ以上の警告は無用だと自制じせいしその場から背を向ける。


 茶会は本来の目的通り行われたとは言え、余計な心労が増えたことに変わりはない。たとえ俺がコレットに関心を向けずとも、皇女という地位がなくなる訳では無い。


 イェルナが死んだ元凶と言えど、彼女が死んでも守りたいと愛した子ども。彼女の意思を繋ぐためには、俺がエルネを殺すことは大きな要因がない限りないのだろう。


 豪華な食事、綺麗な衣服、信頼のある側近達。これ程揃えば他に欲を出す必要もない。わざわざ社交界で目立とうとしない限りは十分幸せに暮らせる程のものを与えてやったはずだ。


 身の丈に合わぬ欲ほど愚かなものはない。俺の愛情をねだる以前に、与えられたものだけの仕事はやらさなければならない。


 「ハッ……」


 乾いた自嘲が溢れる。本当に守りたい者は今も何処かで生死が分からない状態だと言うのに、この世で一番憎む人間には幸せを与えるだなんて、矛盾しきっている。


 今日も眠りにはつけなさそうだ。その予兆からかまた書類に手を伸ばす。明かりが消えていく皇城の一室で、ただ一人だけが黙々と仕事をこなしていた。


 

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