皆考えは同じ
「……、起きなきゃ…」
意識を飛ばして、どれぐらい経ったのだろうか…。周囲を見渡すとオルカの姿はなく、痕跡の一つも残っていない。
いつものことかと割り切ってはいるものの、今日はまた一段と酷かったななんて取り留めもない感想をこぼす。
神官達に見られる前に首に残された若干滲んだ痕を消して全ての証拠をなくす。元々あと数十分もしない内に消えてしまう痕なら、いっそ早く消してしまいたかった。
はぁ……、と一つ息を吐く。いい加減早く飽きて欲しい。私の心も強くなったと言うべきか、最近はそんなことを不毛な限り考えている。
最初は怯え泣くばかりだったけど、時が経つに連れてそれも何だか馬鹿馬鹿しくなってしまったのだ。
たぶん今は何かの分岐点なのだろう。精神の平衡を保つための一時的な消火地点。次に火が着いたときには、どうなるのか私にも分からない。
もしかしたらオルカやラクロスのことしか考えられない言葉通りの傀儡となっているかもしれないし、まだ意思を手放せずに藻掻き苦しんでいるかも知れない。
だけどその時までには死んでればいいなと思う。どっちにせよ地獄であることに変わりはないのだから、いっそ決められた未来のまま生きるほうがずっと楽だ。
神殿に来て四年の月日が流れた今、私の体は順調とは言えないが確実に成長していた。神力の扱い方も教わったし、実践は少ないものの聖騎士が束になっても相手になるぐらいは強くなった。相手と言っても殺してしまう前提だから実際はまだまだなんだけどね。
そんな私でも、オルカやラクロスに勝てる未来は未だ想像できない。それは蓄積された恐怖による拒否反応もあるし、単純な実力差が大きい。
一方は現役で前線を駆け巡る大神官、一方は裏社会を束ねる影の親玉。そんな異常な肩書を持つ人間に一介の温室で育てられた聖女が勝てるわけがない。
もうあの人達に勝とうとか余計な考えはなくしたけど、このままを望んでいる訳では断じてない。何処かで勝手にくたばってくれれば御の字ぐらいはもちろん考えている。
…あぁ、そういえばこの頃だったっけ。【聖遺物】が登場したのって。
ふと思い出した【原作】の裏筋に書かれていた細かすぎる設定。過去の私は病室で特にすることもなかったから何度も読み返しする内にすっかり覚えてしまったものだ。
夏のオークションってことは今この頃だろう。詳しい日程は分からないけどオークションなんてそう何日も開催できるわけじゃない。出品する物がそもそも違法であり高額な品だ。気は乗らないけど、今度オルカに言って外出させてもらおう。
もしかしたら少しだけ休める様になるかも知れない。【原作】ではあんな結果になってしまったけど、今なら…。
そんなタラレバの考えで後日オルカに相談すると案の定いつもの数倍酷い躾が行われた。忙しさも会ったのか数日に一度だった躾はその日から毎日行われるようになり、それでもめげずに粘り続けた。
私がこんなに粘るのも初めてのものだから、五日目になると何故行きたいのかと問われた。
ここで馬鹿正直に理由を話せばそれこそ二度と日の目は見れなくなるだろうから、適当にオルカへのプレゼントを買いに行きたいと嘘を吐いた。
オルカは数秒私の鼻のすぐ近くまでの距離で目を合わせたが、疲労しきった私から真偽を見分けることはできず自分の手の人間を傍につけるならば良いとようやく許可が降りた。
ここまで身を削ってようやく手にしたチャンス。監視はついているものの、【聖遺物】自体に特殊な装飾は付いていないため直前まで彼らが知ることはないだろう。
当日の前夜になると古びた馬車が用意されており、それに揺られながら丸一日掛けて目的地に向かった。聖都から離れるとすぐ道の整備がずさんなせいで揺れが酷くなりお尻が痛くなった。
そうして一泊を村で過ごして丁度良い時間帯に目的地に着いた。オルカやラクロスから離れたせいか、心に背負っていた重りが消えて心なしか身軽になった気分だ。こんな爽快な思いを味わったのは何年ぶりだろうか。
早速会場の扉まで歩く。目的まであと少し、中に入ろうと足を進めると、「止まれ」と上から声がした。
声の主この会場の門番で、言われた通り止まるが門番は招待状を出せ、と更に指示をする。
この時点で私の気分は急降下していた。もちろん招待状など持ってきていない。そもそもこの会場を教えたのはオルカであり、招待状が必要と知っていただろうに…。
どうやらまんまと嵌められた事実に急降下を通り越して最低地点まで着陸している。後ろについていた護衛は何とかゴネるがもう私にとって入場出来ようが出来なかろうがどうでも良い程まで価値が下がっていた。
長く続きそうだから距離をおいて見守っていたけど、さっさと宿に帰りたい思いのほうが強い。あぁでも、護衛の方は可哀想だな。
オルカの策略とも知らずに私が会場に入らなければ後で殺されるでも思ってるのだから。まぁこれもイカれた人間を主に持った下僕の宿命だよね。
大して同情もしていないくせにそれらしいことだけは思って人間らしさを演出する。我ながら気持ちの悪いものだ。いよいよ元の世界の価値観が薄まってきている。
そう自嘲していると話の通じない護衛に何を言っても無駄だと割り切ったのか門番が此方へ罵倒を繰り広げる。
護衛の顔が目に見えて青褪めるのが面白い。きっと今頃オルカに八つ裂きにされる未来でも見ているのだろうか。
オルカは駒を沢山持ってるから、その分一つ一つの駒に対して愛着がない。使えなかったり用済みになればすぐ捨てるし、特に私が忌避の反応を見せた人間は凄惨な最期を遂げる。だから滅多に彼らへ反応しなくなった訳だけど…。
だのにまだオルカを支持するなんて、それこそ狂っている連中の集まりだろう。
神と狂信する者、圧倒的恐怖に惚れ込んだ者、ただ自分が快楽を得るためについて来た者。人それぞれだとしても、どれも碌なものではない。
散々な罵声に加え私に直接攻撃しようとしてきた門番にもう我慢ができなかったのだろう。護衛は殺気を飛ばし今にも殺す構えだ。本当に勘弁して欲しい。誰が好き好んで殺傷沙汰なんか見なければならないのか。
呆れた目で一触即発の状況を見ていると視界の端に幼い少女が映った。護衛を何人か連れていることから何処かお偉方の貴族なのだろう。それも随分前から待っているようだった。
このまま引き伸ばすと周りに迷惑をかけてしまうし、余計な騒ぎにまで持って行きたくはない。
「ジャン卿、もういいわ」
事前に決めていた偽名を呼んで護衛を静止させる。それでも納得行かないようだから再度念押しする。
ようやく止まった護衛の代わりに門番に迷惑料として金貨一枚を渡すと何事もなかったかのように元の立ち位置へと戻っていった。
帰り際、待たせてしまった少女へ「迷惑をかけてごめんね」と謝る。まだ初な何も知らない少女。久しぶりに見た綺麗な子だったから、つい頬が緩んでしまった。
あ、でもよくよく考えるとあんなに幼い子がなんで親が同伴じゃなかったんだろう。幼いと言っても私よりは年上っぽかったけど、貴族ってそういうものなのかな…? まぁこの世界の基準なんて分かんないし、どうでもいっか。
宿へ戻ると、ほとほと疲れてしまった。結局成果は何も得ずに、ただオルカの手中で踊らされただけだった。
あぁあ…、結局無駄足になっちゃったや。嫌になるほど上手く行かないのが現実とは言え、これはあまりに酷すぎる。最初から何もしなかったほうがまだマシだ。
でも…、実際アレは『保険』みたいなものだしそこまで執着していたわけでもない。手に入れられたらラッキーぐらいの感覚だったのだから、どうしようもなく落ち込みはしない。
そもそもあの【聖遺物】は、…【原作】でオルカに壊されるモノだったし。
あってもなくても【原作】に大した影響を及ぼさなかったからまだ原作時点での力を持たないオルカ達には有効かと思ってわざわざ此処まで来た。
だけどそんなモノが通じる保証はないし仮に通じても聖遺物を壊そうと【原作】より早くオルカ達の力が強まる可能性が現れるだけだしね。
よくよく考えたらそんなリスキーなことを一時の休養のために行うべきじゃなかったと思う。あぁあ、本当に何でこんな損にしかならないことしちゃったんだろう…。
やっぱりもう『コワレて』いってるのかなあ…。…嫌だなぁ。おじさん。凄く会いたいよ…。
会って、話して、笑って、褒めてもらいたい。そんなことを願うことすら許されない立場だけど、凄く会いたいの…。
涙は何とか耐え忍んで、グッと熱くなった喉元が痛い。明日の恐怖に目がくらみ、身をかがめながら意識を落とす。
そうして感動すべき転生者二人の出会いは知らぬ間に過ぎ去り、一方は未来への不安に惑い、一方は明日への恐怖に押し潰される夜を過ごしたのだった。