囚われたのは…
・【オルカ視点】です。
「あぁxぅぁあ゛…ッ、い゛アァアぅあっ」
神に仕え、祈りを捧げる神聖な神殿の奥深く。厳重な警備の上で護られている【聖女の間】でくぐもったダミ声が反響する。絶対にありえるはずのないそれは、日常のごく一部として当たり前のように行われていた。
「う゛ぅうっうぅ……ィあ゛ぁあぁっぐ⁉!」
「こら、舌噛まないの。この間も言っただろう?」
酸欠と物理的な痛みで自ら舌を噛んだ私の口に指をねじ込むオルカ。その指でさえ噛み切ってやれば片手だというのに締め上げる力が強まった。
その反動で顎の筋肉が弱まるとすかさずハンカチを丸めたものを口に突っ込まれ、「ン゛ンーッつ?!!! ンーーッ…ツ?!」、と口でのガス交換を封じられてしまった。
ハンカチの生地が柔らかいせいか必要以上に噛むことができず、さらに口いっぱいに広がった為に鼻でも上手く酸素が吸えない。
生理的な涙が余計近まったオルカの手に滴り落ちる。最近成長期に突入したオルカと私では体格差がさらに広がり抵抗も意味をなさない。
十二歳の子どもなど、取るに足らないはずなのに…。今目の前にいるのは果たして本当にコドモなんだろうか…?
怖い、怖い怖い怖い怖い……、こわい。
オルカの思惑通り、シルティナの思考は侵されていく。知らぬ間に投薬が全身に回るように、不可逆的に行われるそれはどんなに非道さを語ろうとも決して明るみにはならないのだろう。
視界がぼやけるのが意識を失う前の決まった合図だとシルティナは知っている。ふっ…と気をやる時間に依存性を見出しては救われない行為を繰り返している。
逃げようにも、そもそも道がないのならやるだけ無駄だろう。だから全てを受け入れて流れる方がずっと楽だと、とっくの昔に気付いている。
意識を手放したシルティナの首からそっ…と手を放すオルカ。まだやり足りないと思う反面、これ以上の躾は愛情過多だとも感じている。
クッキリと残った締め痕だけが自分とシルティナを繋ぐ絶対的絆だと思って離さない。誰にも真似できない、自分だけの【所有物】の証。それは何と甘美な響きだろうか。
恍惚とした表情で手の甲をシルティナの頬になぞらせる。それは頬に流れる涙の痕跡を消して、熱を分け与えるため…。
首から手を放したことによって外れたハンカチにはびっしょりとシルティナの涎が纏わり付いている。開っき放しの口の端からも涎が垂れて途方もなく扇状的だ。
以前付き合わされた美術展の絵画や彫刻に『美しい』という感性はまるで抱かなかったが、シルティナだけはまるで汚れを知らないかのように純白のキャンバスのようで形容し難い程の魅力にいつも心が惹き踊らされる。
それなのに当の本人にはまるで自覚がないのだから可愛さ余って憎さ百倍というものだろう。もっと自分を望んで、想って、己と同じくらいの熱を分け与えて欲しい。
その瞳を自分ただ一人にできたら、それこそ此の世界の頂点に立った人間だろう。他の雑多など駆逐してしまえばいい。シルティアが己を欲してくれるのなら、世界すらも献上しようとすら本気で考えていた。
自分を真っ直ぐ正面から見つめてくれた唯一の人。高潔で、純粋で、穢れなき人。神にも等しいこの子を卑しく血に染まった自分の元まで堕としたい。そう考えるのは常人なら普通だろう。
淡紅色に染まった瞳からは温かみの一つすら感じられない。自分と同じ『モノ』を見る目だけが返ってくる。
決して内側には入れてくれないくせに自分は平気で踏みつける。そんな傲岸さえ愛しいのだから重症だろう。
陶器のように直ぐ様壊れそうな柔肌は何処か機械的な印象を裏付けるものにしか映らない。
大事に大事に匿われて生きていたせいで日焼けの一つもなく、人形とさえ見間違えるほどの薄い肌に彼女の受けた凄惨な苦痛は反映されないのだろう。
全て煩わしいと壊してしまえば簡単に壊してしまえる代物。そう、容姿ではないのだ。
この言い様もない、歯がゆいほどの衝動を湧き立てるものは決してそんな稚拙な代わりの効くようなものではない。
もっと奥底に眠る、…本質。善人も悪人も等しく魅了してしまえる、絶対的天上であるその本質こそが彼らを惑わし狂わさせる根幹に他ならない。
例え純白を纏った致死量の毒華だとしても、気づいていながら手を伸ばす程の価値を持つものが真に貴いのではないだろうか。
だから彼らは嗤って、嗤って、嗤って…、その毒華を噛み千切り呑み込むのだ。
その結末が【死】だけだと分かっていても、狂わされた者達に静止の言葉は意味をなさないのだから…。