私を忘れないで
「お前は本当に才能の塊見たいな奴だな」
魔法を教えてもらう時間、しみじみとおじさんが言う。変な顔になる私。私なんかより遥かに高度で緻密な魔術を現在進行形で展開してるおじさんに言われると説得力は皆無だと気づいていないのだろうか?
「おじさんの方が凄いと思うけど…」
「阿保か。そもそも一度見ただけで真似できたら学園なんてない」
まぁ一応聖女の設定だし補正でも効いてるのかな。そういうところは結構ガバガバだったんだよなぁと振り返ってしまった。
「魔法って不思議だよね。神が作ったなんて言うのを本気でみんな信じてる。そこに法則性なんて疑問すら持たない」
「法則性?」
「何て言うんだろう。皆ただ一つの問題に対しての答えを丸暗記してるだけで、その問題に通じる公式一つあればもっと幅が広がるだろうなって話」
「…やっぱりお前は天才だよ」
身長さのせいか随分簡単に頭をぼんぼんされてしまった。それが異世界初の、『触れあい』であることは言うまでもない。
前世でも、よくお父さんやお母さんにしてもらっていた。誰もが笑顔で、幸せが溢れていたあの日々。その思い出が、今になってじんわりと染み渡る。
あれ? おかしいな…。なんでこんなに、胸が苦しいんだろう…。
「…っ。…っうぇっ……、っぅ…っ」
泣かないように食い縛ったけど、恐怖じゃない幸せな思い出に対しての涙はそう簡単に止まらなかった。
突然泣いた私に戸惑ったのはおじさんだけど、そんなの気にする余裕もなくてとにかく泣き続けた。
「ぅぅう…っ、…ぅわぁあぁ…っつつ! おかっ…、さっん! おとー、さ…っ…」
おじさんはそれ以上何も言わずに、ただ黙って私を抱き締めた。その広い懐が、どれほど私を癒しただろうか。
そのまま泣き疲れて意識を失った私をベッドまでおじさんは運んでくれて、本当の家族みたいな温かさにこれ以上は危険だと、思ってしまった。
おじさんの傍はあまりに温かくてその温度に縋ってしまいたくなる。でもそれは、私が【聖女】である以上許されはしない。私の我が儘で、おじさんを危険にはさらせない。
昨日の夕方前には寝たお陰で朝早く起きてしまった私は、暇潰し用に残していた鹿の角でお手製のネックレスを作る。
何回も失敗したけど、最後の素材でようやく納得できるものが作れた。これなら、おじさんは身に付けてくれるかな…。
ちょうどその時に起きたおじさんが階段を降りてきた。
「おはよう、おじさん」
「あぁ。よく眠れたか?」
「うん。運んでくれてありがとね」
このやり取りも、最初の頃よりずっと自然になった。まだあの出会いから一週間も経っていないことの方が今や驚きだ。
「何を作ってたんだ?」
「コレ、おじさんへのプレゼント」
一番の力作をおじさんに手渡す。おじさんは微妙な表情の変化だけど、嬉しそうに笑ったと思う。その証拠に私たちネックレスを壊さないようにぎゅっと握りしめている。
「…ありがとな」
「気に入ってくれたなら良かった。それじゃあ朝ご飯作ろう」
昨日の残りがまだストックされているはずだ。早速解凍して用意する。
食卓を囲い、一緒に朝ご飯を食べる。それから何だって、今までの思い出が溢れる。楽しくて、嬉しくて、幸せだったこの七日間。私が【聖女】じゃなかった七日間を、私はきっと忘れない。
雑談の中で、確かな感謝を込めてこの時間を刻み込んだ。
「へぇー、じゃあその奥さんとは建国祭で出会ったんだ」
「あぁ。よく食ってて目に入ったんだ」
「あれ…? 建国祭って、帝国じゃないよね…?」
もし今の話の舞台が帝国だったら…、おじさんは帝国人で、私を忘れてしまう、人なのかもしれない。想像するだけで声が震えてしまった。
「………いや、旅の途中で寄っただけだ」
その言葉に、どっ…と安堵してしまった。おじさんには、忘れられたくない。
「帝国に、因縁でもあるのか?」
「え? えぇっと…、どうだろ。皇族には、会いたくないかなぁ」
おじさんの食の手がピタリと止まる。表情も同時に固まって、読み取れない。
「皇族に、…会いたくない?」
「う、うん…」
「…皇帝にも、か?」
「い、嫌ッツ!」
帝国二十九代皇帝カフス・フォン・ラグナロクは、私を生きたまま焼き殺す張本人だ。そんな人に、会いたいわけがない!
私の本気の拒絶に、おじさんは何も言わなかった。どうしてそんなことを聞いたのかは分からないけど、みっともないところ見せちゃったな…。しょんぼりしながらご飯を食べ終え、食器を片付ける。
魔法を教えてもらうときも、おじさんは何だか口数が少なかった。何か、怒らせちゃったかな。
「…おじさん、さっきはごめんね」
「いや、…お前が謝ることじゃない」
そう言うけど、やっぱり顔を会わせてはくれない。おじさんに拒絶されるのは、ちょっと胸が痛い。
「わたし、皇族はどうしても好きになれないけど…。おじさんは好きだよ」
真っ直ぐ顔を会わせて言葉を表現するのは思ったより恥ずかしくて、すぐに目を背けてしまったけどおじさんは何を思ったのかそのまま私を高い高いした。
「お、おじさん?!」
「いや、すまない。もう大丈夫だ」
その顔は妙に晴れ渡っていて、元のおじさんに戻ったとすぐ分かった。
「そ、そう? それじゃあ下ろし…」
「今日はこのままやるぞ」
おじさんは私を肩車して、魔法を教え始めたけど、いつもと違う目線に戸惑うばかりだ。最初は恥ずかしかったけど、おじさんは本当に嬉しそうな顔をするもんだから私もそれに乗ってしまった。こうして見ると、本当に親子だ。
おじさんの頭に顔を乗っけてしまうのは、前世の癖だろうか。そういえば夏祭りではいつも、肩車をして花火を見ていた。それで帰りは眠ってしまっていた。
不思議だ。この世界に来てから前よりも昔を思い出すことが多くなった。それも、おじさんと出会ってから…。
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すっかり日も暮れ、夜ご飯の支度をする。これが物に言う最後の晩餐だろうか。食器を片付け、暖炉の傍でゆらゆらと雑談しながら時間を潰す。
いっぱい色んなことを話して、笑って、本当に楽しかった。だからこれは、私の最後の我が儘だ。
「旅のおじさん、一つだけお願いしてもいいですか?」
『お願い』なんて言って、一番叶わないと信じているのが私自身だなんて救えない。
「急に敬語になって、なんだ?」
最初の時とはまるで変わりすぐに返事を返してくれたおじさんに、私も大分心を許している。許し過ぎている。
「私が死んだとき、覚えておいてほしい」
たった一人、家族でもなんでもない人に、私が生きていたという証を残したい。わたし今、ちゃんと表情を作れてるかな…。
「…無理して笑うな。お前は俺より先に死なないだろう」
おじさんの大きな手がローブ越しにわたしの頬に触れる。その手は優しくて、その温かさが皮肉にも現実なのだと思い知らされた。
「おじさんは優しいね。大丈夫、…もしもの話だよ。さっ、今日はもう寝よう。明日の朝も吹雪が酷そうなんだから、体力勝負になるよ」
最初からなにもなかったかのように布団を被る。冬の山は夜になるとすぐ冷えるから、もう寝なきゃ。
「…おやすみ、良い夢を」
「おじさんも、おやすみ…」
これ以上は、駄目だ。後戻りできなくなってしまう。頼ってしまう人を作りたくない。ぐっすりと眠りにつくおじさんの姿を最後にもう一度だけ見て、ようやく決心がついた。
「ばいばい、…おじさん」
寝かしつけるように、思った以上に穏やかな声でお別れを告げて、朝日が上る前に、私は教会へ戻った。
おじさんに最後の挨拶はできなかったけど、きっとこれでいいんだと思う。あのままおじさんと旅するという選択しもあった。でも私が『聖女』という役目があることからは逃げられない。
いつかおじさんの妨げになる日が来るかもしれない。その不安にも悩まされたくはなかった。
一週間程行方を眩ましていた私は相当捜索されていたようで、無事帰還したことからまた訳もなく崇めたてられた。
古代の聖遺物を発動させたのが原因だろうけど、そんなものの転移地点に旅のおじさんが来れる訳無い。どうせ受け売りで秘境とでも伝えられたのだろう。
教皇陛下からお小言はあったけど、あまり叱られはしなかった。そうだった。私が一週間姿を消しても、本気で怒ってくれる人なんて此処には存在しない。
改めてそれを確認させてくれたことも、今回の騒動は多くのものを得たと言っていいと思う。
一週間もまともに寝ていれなかったからか、部屋に戻るとそのまま眠りについてしまった。そういえばあのおじさん…、ちゃんと山から下りれたかな?
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<おじさん(???)視点>
すきま風が吹き込んだ為かいつもより早くに目が覚めたな…。あいつが寒がらないように毛布貸すか。隣のベッドに眠っている子どもを、当たり前だと思ったのはいつ頃だっただろうか。
…バッッツツ!!!
布団を剥ぎ取っても、あいつの姿は皆目つかない。幾ら皇宮でないからと言って足音を立てて俺が起きないはずがない。
それにこの吹き荒れる吹雪の中、自分で外に出たとも考えにくい。連れ去られた、と言ってもそれをするだけの理由がない。
クソッ…!
小屋の中をくまなく探すが影という影も見つからない。一週間も身を隠していたのにここまで生活感なく存在を消せるものだろうか。
だが昨日のあいつの様子に、気づいてしまった。あれはあいつなりの、最後のメッセージじゃなかったのか?
『自分が死んだことを覚えておいてほしい』
人間誰しもに与えられる当然の権利を、どうせ叶わないと言わんばかりに頼み込んだあいつは、一体何にそこまで囚われているのだろうか。
確かにあれは、誰かに脅かされた人間が縋る目だった。誰があいつをそこまで追い詰めたのか、この山を下りたら傍に置かせるつもりだったのに…。再度悪態を吐く。
俺が帝国出身者でないと知ると咄嗟に出たあの安堵の溜め息の理由をまだ聞いていない。絶対に逃がさない。
魔力が充分に貯まったアーティファクトを作動し、皇宮へ戻る。不思議だ。死ぬつもりで此処に来たのに、今は一刻も早く帰りたい。
あいつは頼る場所がないと静かに言った。なのに「たすけて」の四文字すら、言葉にしなかった。
皇宮に帰ると書務官が急いで駆け寄る。夜通し書類に目を通していたのかクマが酷い。が、そんなことは目もくれず更に命令を追加する。
「子どもを探し出せ。五歳ぐらいの、最近エーセルト山の近くに通行記録のある子どもだ」
「それは…、皇女様とはまた違うのですか?」
そう言えば皇女の捜索も長年に掛けてやっていたな。年で見れば近い年頃だろうが、何故かあいつは違うと断言できた。
「違う。並行して探せ。懸賞金でも掛けろ」
「陛下、それでは国庫が…!」
「俺の自費で持つ。なんなら皇女の捜索に掛ける国庫をそっちに移せ。なんとしても、見つけ出せ」
「一体、何をその者になされればそれほどまでにお怒りになられているんですか…?」
「怒り? 違うな。どうしても欲しいものが出来たんだ。あいつを手に入れるためなら、俺は何だって賭ける」
「…はぁ。分かりました。捜索隊を結成します。なので陛下はどうぞ、まずはその格好をどうにかしてください。侍女達が訝しげな視線を向けてくるので」
「チッ…」
「へ・い・か・の・せいで書類が山のように溜まってるんですよ。だからまずは終わらせてからやりたいようにして下さい」
皇妃が死んで以来手のつけていなかった髪や髭をバッサリと切れば、まだ若かりし頃の面影がある。
そういえばこの髭のせいでおじさん呼びされたなと感慨深い気持ちで別れを告げ、待ち受けていたのは書類の山々。ただ仕事をこなすだけの人生に、皇妃の亡き面影が残る皇宮で思わず笑いが溢れたのは初めてだった。
『おじさん、凄い!』『おじさん、起きて』『おじさん馬鹿なの?』『おじさんは優しいね』………『ばいばい、…おじさん』
一週間がこんなにも長くて、短いことを知った後の人生は、どれも色付いて見えた。